半世紀近く前、富士山に登りました。弾丸登山でした。今から考えると、危なっかしいことでした。河口湖駅まで最終便で行き、そこで一晩過ごして、朝一番のバスに乗り、寝ぼけながら五合目から歩きだして、ほとんど寝てないのに山頂にたどり着き、フラフラになりながら家に帰ったのでした。
帰ったら、すぐに寝たんでしょう。まだ若かったから、そして、一緒に登った仲間がいたから、ひとりだとくじけたと思うけれど、みんなが呼び合ってくれて、私みたいな根性なしでもたどり着けたんだった。
私は、みんなから遅れて、どこだかわからないところでヘトヘトになっていました。そんな時に仲間の声が聞こえたと思いました。そこからトボトボ歩いたら、みんなのところに着いたはずですが、あの声は、ひょっとして幻覚だったのかもしれない。フラフラの頭に聞こえた妄念が叫んでただけかもしれない。
いや、たぶん、誰かの声だったと思うんだけど……。
山頂の山小屋で食べたインスタントラーメンの不思議だったこと。当然おいしくはないんだけど、何てったって「半煮え」ですから、それでも、ここでしか食べられないものを食べている、という充実感がありましたね。
さて、まだ元気だった歩き始めの頃、「ロッコンショウジョー」と声を合わせる集団とすれ違いました。着実に歩いていくその人たちを、まさか追い抜いていかなかったと思うけれど、この人たちは正統派の富士登山の人たちなのはわかるのだけれど、六つの根っこが清浄となるのを祈っている、そういう意味だとすぐに分かったかなあ。もう思い出せないですね。
そんな話を見つけました。徒然草の第69段でした。
書写の上人は、法華ほつけ読誦(どくじゅ)の功つもりて、六根浄にかなへる人なりけり。
姫路の書写山・円教寺の性空上人は、法華教を毎日飽きずに唱えていたおかげで、目と耳と鼻と舌と体と心(六根)が洗い清められて来た人だったということです。
書写の上人は、法華ほつけ読誦(どくじゅ)の功つもりて、六根浄にかなへる人なりけり。
姫路の書写山・円教寺の性空上人は、法華教を毎日飽きずに唱えていたおかげで、目と耳と鼻と舌と体と心(六根)が洗い清められて来た人だったということです。
この性空上人(しょうくうしょうにん)さんは、姫路市に書写山円教寺を開いた高僧なんだそうで、うちの母などは西国三十三か所めぐりで行かせてもらってるはずですけど、私は行けてないですね。平安時代のまん中の1007年にはお亡くなりになっている、ということでした。
さあ、そのすごいお坊さんの話が出てくるみたいです。中世の世界は、すごい人と変てこな人が出てきますけど、今回は研ぎ澄まされた感性の人のようです。
旅の仮屋(かりや)に立ち入られけるに、豆の殻を焚きて豆を煮ける音の、つぶつぶと鳴るを聞き給ひければ、
旅先で仮寝の宿に入った時(どんなところで仮寝したんでしょうね。掘っ立て小屋みたいなところかな?)、豆の殻を燃やして豆を煮ているグツグツという音を上人様は聞かれたというのです。
世話する人がいて、旅の途上にある方たちにシンプルな食物を提供しようとする人がいたんですね。
「うとからぬおのれれらしも、恨めしく我をば煮て、辛き目めを見するものかな」と言ひけり。
「昔は一心同体の親友だった豆の殻が、どうしたことか恨めしく豆の僕を煮ているね。豆の殻は、僕らを辛い目にあわせるとんでもないヤツらだなあ」というつぶやき声が聞こえました。
「昔は一心同体の親友だった豆の殻が、どうしたことか恨めしく豆の僕を煮ているね。豆の殻は、僕らを辛い目にあわせるとんでもないヤツらだなあ」というつぶやき声が聞こえました。
グツグツというのが、そんな風に聞こえるなんて、聞こうとして聞かないと、凡人には聞こえない声のようです。
焚(た)かるる豆殻(まめがら)の、はらはらと鳴る音は、
「我が心よりすることかは。焼やかるるはいかばかり堪へがたけれども、力なき事なり。かくな恨み給ひそ」とぞ聞えける。
一方、豆の殻がパチパチ鳴る音は、
一方、豆の殻がパチパチ鳴る音は、
「自ら進んでこんなことをするものか。焼かれて熱くて仕方がないのに、どうすることもできないのさ。だから、そんなに恨まないでくださいな」という声に聞こえたらしいのです。
これで話は終わりです。研ぎ澄まされた耳を持つと、いろんなものの声が聞こえてくるようです。
それを聞いたなら、すべてのものが命を持ち、お互いを支え合って生きていて、苦しい・悲しい・せつない・バカバカしい、いろんなコメントを述べてるのを聞くことになります。
そして、世界は、そんなすべてのものの声が、反映はされないし、そのまま消えていくのがほとんどではあるけれど、その声を聞けたなら、それらのいのちを感じ、自分の生き方を見直すことになる、というのが確認できたでしょう。