今朝、電車に乗っていてふと思いました。他の人たちはスマホで忙しいのに、私はちゃんと本を読んでいました。エライでしょ、まあ、スマホなんて持ってないもんね!
読んでいたのは、澤地久枝さんの「私の青春日めくり」(1990 講談社文庫)という本でした。
澤地さんの満州から日本に引き揚げてきたときのことを書かかれたもの、前にも読んだことがあると思うんですけど、その本のタイトルをちゃんと確認していないのが、これまた私のいいかげんなところですけど、澤地さんのそういう近現代のお話、わりといいなあと思ってたりします。
さて、ほんの少し読んだだけですけど、満州から日本に引き揚げたあと、最初は山口県の防府で高等女学校に編入したそうです。それからしばらくして、東京に家族全員で親戚を頼って転居したところくらいまで読みました。澤地さんが二十歳くらいになるまでです。
東京で、1947年頃、都内で通学のために電車に乗りながらあれこれ考えていた時代を振り返っておられました。
昭和二十二年の九月三日で私は十七歳。髪は二つに分けて編みさげにし、セーラー服に母の手製の布靴で学校へ通っていた。首都の荒廃のなかへおかれて、私はとまどいつつ、防府では知らなかったおそれを知る。戦災も引き揚げも知らない同級生に比べて、私は貧しくて粗野な娘であることに心が萎縮した。外見にこだわることで私はつまらない女学生になっていった。
当時の高等女学校の四年、いまでいえば高校一年生。困ったことに人一倍多感であり、多情(?)でもあったかもしれない。
まだ50ページまでしか読んでないし、もう少し電車に乗って読み続けたいと思います。
★ と書いて、2日経過しました。ふたたびおうちに帰ってきました。何だかうれしいです。
それで調べてみたら、
1 おとなになる旅(1985 新潮文庫) 単行本は1981年ポプラ社 たぶん、これを読みました。
2 わたしが生きた「昭和」(2000 岩波現代文庫) 単行本は1995年岩波書店 これはたぶん読んでいません。もう十数年寝かしてあります。近々読もうと思います。
この2冊がうちにある澤地さんの本ですね。
それで、今日、大阪難波のジュンク堂に行ったんですけど、文庫本ではありませんでした。
そうか、何だか読んでて、誰かと重なる部分があるなあと見ていたら、うちの父と同い年の方でした。だから、父の世代の人の話を慎んで聞くような気分で読んでいたようです。
うちの父とは全く違う人生を歩かれた方ですけど、何だか親しみがあるのは、すべてうちの父の時代の話だからだと今さらながら思いました。
たぶん、前にもそう思ったような気がします。そして、今ごろ、初めて知ったような気分で思っているけど、前に読んだ時も同じように思っていたことでしょう。ああ、何たることか……。