甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

子路さんのいかだ

2022年05月30日 06時39分30秒 | 中国の思想家のことば

 テレビだと思うんですけど、孔子さんのことを考えました。たぶん、NHKの中国を空から取材する番組でした。

 中国との関係は、今はこんなですから、昔みたいに取材班が現地を歩き回るということはなくなりました。昔の番組は、中国はこんなに遅れている、という上から目線で、おかしな風俗を取り上げてみよう的な心があったんではないか、と今さらながら思います。

 中国の人々の根幹は全く変わらず、相変わらず過剰で、サービス満点で、人懐こくて、時々無愛想で、でも、割と自分のペースをしっかり守る、そういうところがあると思うんですけど、私たちは何かというと硬骨の習近平さんを見させられている。あの人は、テレビの前では(社会的に)あんな顔をしなきゃいけないんです。まさか、戦争はしないと思うんだけど、孤立化させると、仕掛けるかもしれないから、みんなと仲良くさせてあげなくてはなりません。

 残念ながら、あの人には、昔の香港的な中国というのはイメージできなくて、1989年の天安門的中国共産党としてやるしかないのです。

 そんなことはどうでもいいことでしたね。また中国の街角に立ってふつうの人々の物語をしっかり取り上げてもらえたらと思います。


 私がふと思ったのは、孔子さんと旅でした。『論語』を取り出して、孔子さんの旅ってないのかなと探してみました。冒頭にもありました。

 朋有り、遠方より来たる、亦た楽しからずや。

 友だちが遠くの町から来てくれた。楽しいことではないか。

 と孔子さんがおっしゃいます。旅を感じる言葉でした。人は、誰かに会うために旅をするんです。誰かに会うのは、戦争や威圧のためではありません。それはビジネスであって、暴力でしかない。

 人に会う旅とは、何かを探しているから、それで出会う訳でした。いろいろとお話したいことがあるでしょう。それが旅だと思うんです。



 『論語』の公冶長(こうやちょう)の第七にこんな文章があります。書き下し文は岩波文庫版に従うことにします。

 子の曰(のたま)わく、道行われず、桴(いかだ)に乗りて海に浮かばん。

 先生がおっしゃいました。「この世の中では、正しき道が行われない。いっそのこと筏(いかだ)に乗って海に浮かぼう。そして、海の向こうの遥か遠くの国に行こう。

 孔子先生だって、イヤになる時とか、弟子たちと適当なおしゃべりをする時があったのだと思われます。でも、何となくそのテーマが壮大で、どうなるんだろうとドキドキします。

 我れに従わん者は、其(そ)れ由(ゆう お弟子さんの子路さんの名前です)なるか。

 私についてくる者は、それは由であろうかなあ。」

 先生、海に漕ぎ出すなんて、どこへ行かれるのですか? もちろん、ただのおしゃべりだけど、弟子たちの学びを見つめておられた先生には、弟子たちの飛躍が見えていたでしょうか。

 いえ、いくら学んだとて、その学びを生かすことができない中国であれば、そんなの意味がないじゃないですか。それよりも、田を耕したり、麦をまいたりした方がいいじゃないですか。

 そうした隠者のような生活ということもあり得ます。でも、あくまでも正直に学び、世の中を変えていこうと世の中に立ち向かい、どこまでもくじけないことが「仁」でした(でも、今回みたいに気持ちが折れる時もあります。でも、仲間がいたら、さあ、立ち向かおうと再起できます)。

 戦争があろうとも、独裁者が自分の権力だけしか考えないことも、人々が何度も過ちをして、つまらない指導者をいただくこともすべて織り込み済みです。それでも立ち向かわねばならないのです。

 孔子さんは、絶対に海へなんか行かない。ただ、船で出かけるとしたら、という「もしも」の話です。

 私なら、少し行きたいけど、私にも船はないですね。



 子路(しろ)これを聞きて喜ぶ。

 子路さんは先生から名指しされたことがうれしくて喜びました。

 先生から特に名前を上げられたし、私についてくる者のいの一番ですから、うれしかったでしょう。でも、それは海に漕ぎ出すという前提でしたよ。先生は海には行かないし、この大陸で勝負するんだから。目の前にあることに立ち向かうことが先生なんですから。子路さんも、落ち着いて考えたら、すんなり納得するんだけど、みんなでの他愛もないおしゃべりの場だから、つい調子に乗ってしまいました。

 子の曰わく、由や、勇を好むこと我れに過ぎたり。材を取る所なからん。

 先生はおっしゃいました。「由は、武勇(勇敢)を好むことは私以上である。しかし、筏の材料は得るところがないな。」

 持ち上げておいてストンと落とす、これは一つのパターンです。みんなの笑いを誘うことになります。子路さんだって、シュンとなったかもしれません。

 でも、ここに悪意はないし、勇猛果敢なのは子路さんのセールスポイントでした。孔子先生との出会いも、乱暴者として、「こら、孔子、お前みたいなのは何とも思ってないんだよ」とぶつかっていった子路さんでした。

 それが今は忠実なワンコみたいになってる子路さんです。何を言われてもうれしいし、シュンとなるし、そういう姿が見えてきます。

 そうです。お弟子さんの中で、海に漕ぎ出せる人がいたでしょうか。たぶん、いなかったのです。孔子さんも、海に乗り出して、蓬莱の国に行こうとか、そういうアイデアは持っていなかったのです。

 もし行くとしたら、子路さんしかいなかった。でも、子路さんはあまりに無茶をするから、船もいかだもゲットすることはできない、そういうのを孔子さんは考えておられました。

 『論語』の中から旅を探してみます。いくつかありそうな気がしています。

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