甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

松阪・長谷川邸 月に2回だけ公開ですって!

2014年10月20日 22時08分53秒 | 松阪探検メモ
 私は、昔から秘密の花園には弱かったようです。ものすごく見たくなります。それはたぶん小さいときに読んだ「不思議の国のアリス」の影響だと思います。鍵穴からのぞくきれいな感じのする庭にいつもあこがれてしまいます。

 大人になってから「隣の芝生は青い」とか、「隣の庭の花は赤い」とか、禁断の花園を示すような(?)ことばも知りましたが、なかなか見ることのできない、隠された庭というのには魅力を感じます。それが少しだけ開かれていて、無理をしたら見られるかもしれないとしたら、多少の無理はしてでも、そのお庭を見せてもらいたい気持ちになります。



 私は大阪で育ちましたが、庭というか、あまり立派なお庭にはふれる機会がなく育ちました。もしお庭を見たいとしたら、すごく無理をして金閣寺に行くとか、大徳寺の枯山水庭園を見るとか、竜安寺の石庭を見に行くとか、特別なことをしないと見に行けないものでした。

 大阪では「緑」のあるところは、すべて公園でした。街によっては、それは美術館であったり、鎮守の森であったり、城跡であったりするのですが、大阪にはそんな樹木のあるところはありませんでした。大阪城は何度か行きましたが、緑というより天守閣と石垣であり、緑を感じるところではありませんでした。それに大阪城だけは別格の世界であり、緑を云々するところではありませんでした。



 大学生になって初めて東京に出て行くと、東京は公園でもないのに緑があちらこちらにありました。昔の大名屋敷がそのまま公園となったもの、どこかのお屋敷として使われていたもの、桜を楽しむために作られたところ、将軍家の菩提寺など、いろいろなパターンがありそうでした。

 たいていこれらのお庭は塀で仕切られ、中には入れないけれど、そこに豊かな森があるというのを感じました。これがまた驚きでした。大阪の緑は、開放されていて、緑に接する機会のない大阪市民の数少ない木々を感じる場所でした。東京では、これらの木々はそれを望み、それを味わいたい人が味わう特別なものでした。また、あちこちに何気なく木々は残されているので、大都会の中なのに緑欠乏症にならずに済むのでした。東京は人も多いけれど、緑もちゃんと設定されている首都だったのです。


 さて、松阪の長谷川邸です。ここは松阪市の秘密の花園でした。ずっと存在はわかっているのに、閉ざされたままの広大なお屋敷と庭園でした。それが松阪市に寄贈され、やっと限定公開が始まって、月に2回だけ開放されています。だもんですから、やっと行けたときのことを写真中心に書きます。

……入り口に看板が出ていました。うれしかった!

……うす暗いエントランスをくぐります。

……松阪木綿のディスプレイがあります。これは最近のものなのかな。

……お屋敷の真ん中の蔵を見せてもらいました。ここを開くときのシステムにびっくりしました。白い扉をずらせて鍵穴を引っ張り出して開けるとは! ギャラリーのみなさんは知っているようでしたが、私は初めて見ました! まあ、蔵などというものにふれる機会はありませんから……。

 表紙に掲げたお屋敷は、大正時代に作られたものです。お屋敷の中では唯一の2階建てだそうで、ここで大正のころには生活をされていたらしいです。

……そのお庭のカエル。写真にしてみるとグロテスクですが、現物はもっとかわいい印象でした。

……障子に木のシルエット。秋のここちよい日がふりそそぎます。

……手水鉢。こういうところにメダカを住ませてやりたいなあ。

……つきあたりに門があって、貴人・客人専用の門になっていたそうです。だから、今は閉ざされています。ずっと閉ざされるのかもしれません。

……立派な飾りです。これは市役所の人たちのアイデアでしょうか?

……4つか5つある蔵のうちの1つです。


……お屋敷の中のお稲荷さん。とはいうものの、土地の神様をそのまままつってあるというお話しで、長谷川家だけではなく、地域の人にもある程度開かれた神社さんだったのかもしれません。土地の神様がおられるので、少し小高くなっています。市役所の解説をしてくださった方も写ってしまいました。

……茶室やら、イベント用の屋敷。ふすまがかわいらしかったり、モダンだったりして、これにもびっくりしました。





……松阪市に寄贈後、一番新しい蔵からいろいろな小判などが発見され、持ち主に返すべきところを、持ち主の方からこれらもそのまま寄贈されたということです。


 ものすごい観光資源でした。これから三井家・三越グループなど、東京資本にも連携してもらって、少しずつ街を活性化しようという計画が進んでいます。工場誘致ではない、地域が生き生きする方法って、答えがみつかりませんけど、1つの方法としては今たくさん住んでいる外国の人たちも市の活性化に参加してもらえたら、というのは私の個人的考えですが、それと長谷川邸というのは全く今のところ関係がない同士ですけど、いつかつながるといいなあ。




★ 改革派の市長さんは、議会とうまくやれなくて、引退してしまいました。そして、松阪の土建屋さんにバックアップされてる県議さんが市長になりました。これで、松阪市は建設業のバブルというのか、建設中心行政が行われることでしょう。

 それは仕方のないことです。市民の選択であり、前市長さんは投げ出してしまった。でも、だれか立ち向かって、モノにお金を使うんじゃなくて、教育・福祉・文化行政などに力を入れて、文化都市の松阪を築いてもらいたかったけれど、市民はそんなものを欲しがっていないようです。

 てっとり早く、もの作ったり、工場呼んだり、新しい道路を作ったり、そんなことを求めているようです。外国人の教育、町の高齢化、交通マナーの悪さと道のアクセスの悪さ(みんな狭い道を走っていることで優越感みたいなのを感じているらしい)、図書館の老朽化、その他ダメなところはいっぱいです。

 行政に期待してはいけないのです。自分のことは自分で守らなくちゃ! 暴走する若者はいっぱいだし、若者を吸収する職場はないですし、本当に町が日々しぼんでいる感じです。(2015.10.20)



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