大学駅伝がありました。名古屋の熱田神宮から三重の伊勢神宮・内宮までを予選で勝ち上がったチームがたすきをつないで走り続ける競技でした。朝早くからずっと走り続け、お昼過ぎにやっとゴールにたどり着くのです。
考えてみればものすごいことです。名古屋から伊勢までをすべて一人で全速力で走るのは無理だけれども、いくつかの区間に分ければ、とりあえず人の力で走りつなげられるだなんて! 人の力で朝から昼までずっと全速力の走りがつながるのです。
人力では、二日くらい、いやもっとかなあ、一人で歩いて伊勢神宮まで行くというのはものすごく時間のかかることでした。
チームだったら、若い力が結集すれば、数時間でたどり着けてしまう。そこに私たちは夢を描くことができるようです。
選手たちが走るところを見に行こうか? そこまで歩くか自転車でなら、見られるかもしれないな……。でも、ほんの一瞬だし、わざわざ行くこともないか、ということで前日までは見に行こうと思っていたのに、とうとう私は見に行きませんでした。
同じ日、岐阜の武者行列、キムタクさんが信長役で出るというだけで、何万人もの人たちが岐阜市街に押し寄せたということでした。ただの武者行列で、目の前を通る時はほんのしばらくの時間なのに、みんながその時間・空間・空気にふれたくて押し寄せたみたいでした。
みんな、何かを求めているんですね。大学駅伝でも沿道にはそれなりに応援の人たちがいましたね。たぶん一瞬のことだと思うんだけど、みんなその空気を味わいたいとやって来たんでしょう。私はやめてしまったけれど。
どうしたんだろう、みんな。先週の月曜日、前日の韓国ソウルの事故の翌日なのに、「自分たちはそういうことはない。人には迷惑はかけない」と、たくさん若い人たちが集まったようです。韓国は日曜日、日本ではルール通りに31日に実施。とにかく、集まりたかったみたいです。集まって何か見つかったんだろうか。
そんなにして人々が動いて、事故やら記録やら、思い出やら、ドラマが起きるようです。動かないなら、そこにドラマは生まれません。
私だって、日曜だからと家にこもってても、何も生まれませんでした。夕方近くになって奥さんと散歩に出かけたから、たまたま鳳凰みたいな雲に出会いました。誰も注目してなくて、私たちだけが見つけました。しばらくしたら、別の形になったことでしょう。空にはわりと風が吹いているし、同じものはそういつまで続くわけがありません。
たまたま私たちは鳳凰を見て、他の人たちは別の何かを見つけたでしょう。
秋はやがて終わります。今年ももうあと少しです。何だかあっという間の1年でした。これが永遠に続くわけではなくて、ある時にパタっと時間が止まる時もあります。止まったり動いたり、なかなか動かなかったり、そんなことをしながら、私たちの時間はもどかしいような旋回をしながら、「何もできないな」という焦りも生みつつ、過ぎていくのです。
このウネウネとする時間をつかまえた! という瞬間がたくさんあればいいんですけど、なかなかそういうトキって、ないんですよね。
1 クルマ通り過ぎ虫の音トリの声
2 スズメらの集まるカリン、見下ろすヒタキ
昨日の夕方の散歩は、雲にトリでした。まるで芭蕉さんみたい。
3 この秋はなんで年寄る雲に鳥(芭蕉)