先日、後醍醐天皇をおまつりした吉野神宮を訪ねたあと、吉野に行くか、橿原神宮へ行くか、迷いがありました。
でも、そんなに何もかもできるわけではないから、自分のやりたいことをしようと、とにかく、吉野川にかかる近鉄の鉄橋を撮らなくちゃと思っていました。
吉野神宮駅は、川のすぐそばにある感じなんだけど、川に降り立とうと思うと、駅からすぐに降りていく道がありませんでした。駅から川までは大きな材木工場が広がっていました。近隣から集められたブランド材木の吉野杉を、そのまま都会へ持っていくのではなくて、この巨大な工場で何かの製品にしているのかもしれない。川に降り立てるまで、もしくは鉄橋が正面から見られるところに出たいと思ったのです。
吉野川の右岸には和歌山につながる国道があるので、いつでも橋が見えたりするんだけど、この左岸にはそこにある川に降りる、川そのものを見るということができませんでした。
結局ぐるっと回って、電車ならすっと鉄橋を渡って一、二分のところを小一時間かけて歩いて、やっと大和上市の駅までたどり着きました。
橋の写真は、また今度載せることにして、とにかく、ここまで来たら、もうそのまま橿原神宮まで出ることにしました。
しばらく待って、電車に乗ると、すぐに意識は飛んで、飛鳥やら、いくつかの駅も知らないまま寝過ごして、ワッと騒がしくて目が覚めて、橿原神宮前駅に知らない間に着きました。
駅からは、そんなに遠くないし、駅からずっと参道が続いています。
境内に入るまで、ほとんどのお店は閉まっていて、はにわ饅頭というのがあって、少し心ひかれるものがあったけれど、お参りするのが大事だし、どうせただの饅頭だろうと、見向きもしないことにしました。
はにわやさんというのがあって、大小のはにわが値札をつけられて、乱雑に置かれていました。はにわですから、そんなに工夫の要る土器ではなくて、サラリと作られているところに魅力があります。
でも、はにわを欲しがる人がいないみたいで、店は開店休業のようでした。シャッターは半分上っているけれど、店に明かりはなかった。ショーケースの招き猫たちも手持無沙汰に見えました。今の世の中に、招き猫が欲しいという人もいないのでしょう。
それに、わざわざ橿原神宮にお参りして、招き猫を買うということが考えられません。招き猫はすでにファンシーグッズの仲間入りをしていて、どこかの土産として買うものではありませんでした。
はにわは? これも、お土産としては気が重いものです。心惹かれる表情ではあるのだけれど、そういうのをおうちに飾るということが難しいです。それに何かの拍子で壊れそうじゃないですか。ああ、もう遠くから見させてもらうだけです。家に置くものではなかった。敬して遠ざけるものという気がしました。
広い参道を通って、やっと入口にたどりつきます。
右側の白い看板には、紀元2700年は、2040年(令和22)と書かれていました。今の天皇さんも、その記念の年までは元気にやってもらわなくてはいけないのでしょう。あと18年、現在のお父様の年よりも少ないくらいだから、簡単にクリアするのかな。
でも、気が遠くなります。
でも、あと18年と区切られると、そんなのあっという間だ、という気もします。
あっという間だけれど、そこまでたどり着いたら、もちろんのことだけれど、逆戻りはできないから、せめて1年、1ヶ月、1日、1時間、1秒の一瞬を大事にしたいと思うのです。
時間というのを、口で言うのは簡単です。数億年、数万光年、なんとでも言えます。でも、ひとりの人間は、そのほんの一瞬しか生きられないのだから、その短い時間を大事にしなきゃいけないのです。
2700年だと言われたって、私の時間ではありません。ただの壮大なスケールであって、よそごとという気がする。何も私はそこに関わっていないし、そういう風に時間を刻むことにどれほどの意義があるのか分からないのです。
いや、そういうのを大事にする人もいるのだから、それも大事だねと思わなくちゃ。そして、私は橿原神宮にお参りさせてもらうんだから、初めっから、そういう日本古来の伝統みたいなのを感じなきゃいけないのです。
ひねくれてる場合じゃなかった。広い境内に、お参りする人はそんなにいなくて、のびのびとお参りさせてもらいました。
初夏の日差しはあたたかく、水分補給も必要でした。