甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

パリと千曲川、きたぐに

2020年05月16日 03時45分30秒 | 中学生までのこと

 午前四時になりました。あんなに降ってた雨も大人しくなってきました。雨のせいで寝れないとヤケクソになって起きたのは、二時半すぎだったかな。もう一時間半、パソコンで遊んでいます。 (こんな夜中に! 何やってんだか!) 

 これは油断です、きっと。

 もう安心しきっていて、土曜も一日引きこもりだし、起きてるのか寝ているのか、ゴハン食べているのか、何をしているのかわからなくなるはずです。

 もう、どうせそんなだから、いつ起きてもいいし、いつ寝てもいいだろ! こんなに雨の音がうるさいから、起きちゃうんだよ!

 そんな言い訳をして、一度起きることにしたんですね。いやー、ホントにアホだ。お前はいくつなんだ! と、叱られそうです。でも、年とったら、眠りが浅くて、何となくプンプンしてるんじゃなかったっけ。そして、寝ることに怒ってしまって、起きてしまうって、そんなのある気がする。



 何を言い訳してるの?

 うん、雨が静かになったから、何だか落ち着かなくって、もっとジャンジャン降るのかと思ってたんです。ものすごく勢いがあったのに、どうしたんだろう。もう降らないのかな? ……あっ、また降ってきた!

 それで、飯山線のことを書きたくなったんですね。たぶん、この何年かのブログ生活の中で、どこかで書いていると思われます。それくらいボクのどこかに引っかかっていることらしいのです。それで、何かのついでに取り出して、初めて書いたような気分になっている。もう、どうしようもないボケボケのオッサンです。まあ、その通りなので、仕方がないですね。 (何で居直るの!)

 先週くらいにBSの新風土記だったかで、松本清張と鉄道というテーマで二時間の番組があったんです。それを録画してチビチビ見ていて、鉄道の時刻表の妙というのを思い出したんでした。

 あれは東京駅のホームの上で、何分間かだけ見渡せる時間に誰かを見た。そこから事件はつながる、という夢のような、オタクをうならせるトリックみたいなのがあったわけですけど、それと少しだけ関係してる電車のニアミスを思い出したんです。



 1974年の3月、春休み、ボクは大阪駅の10番ホームにいました。仲間たちと新潟の十日町というところに初めてのスキーを体験するので、中央本線の急行ちくまを待っていました。

 昔は、「ちくま」って何本もあったから、どれに乗ったのかメモなんてありませんけど、乗ろうとしていた。ボクたちを引率する、塾の若い先生が設定してくれた時間に合わせて乗り込むだけでした。

 11番ホームは、北陸本線の夜行列車が次々と出ているようでした。お客さんたちは入れ替わりながら絶えることがなかった。

 ボクは中学生でした。春スキーを楽しむことになってたんです。新潟の十日町といえば、それはもう豪雪地帯でした。戦国時代の上杉謙信さんだって途方に暮れたように、北陸の冬はとても遠征する気分・状況ではなかったのです。

 北陸本線は乗らなくて、「急行ちくま」で長野まで出て、そこから飯山線で十日町まで行く、そういう予定になっていました。方向的には同じなんだけど、米原から分かれてしまうんでした。湖西線経由になるのはいつぐらいだったろう。

 向かい側のホームに、かわいらしいように見えた女の子が、家族と一緒に夜行列車に乗るため、しばらく待っているようでした。もう夜なのに、白いスカートか何かで、コートとか着てたんだろうか。ちゃんと憶えてないし、とにかく女の子がそこにいるということが大切だったんです。もちろん、誰なのか全く知らないし、たまたま向かい側にいるだけの、かわいらしく見えた女の子でした。

 しばらくしたら、彼女は「急行きたぐに」に乗り、ホームからいなくなりました。そして、ボクらも「ちくま」に乗り込んでいった。夜行列車の中ではちゃんと寝られなくて、適当にうつらうつらしていたことでしょう。その時にはもう女の子のことなんか忘れて、それなりの時間が過ぎていったはずです。あとから振り返ると、いよいよ女の子のことが気になって、どんどんその一瞬は美化されてしまうんだけど、その時のボクにはどうでもよくなっていたはずです。

 かくして、ナガノ駅に降り立ち、すぐに飯山線に乗り換えて十日町をめざした。途中から車窓にはずっと千曲川が付いてきてくれて、あたり一面の雪景色の中を、淡々と走り続けていた。たぶん、その頃には電車に乗るのにも飽きて、早くどこかで下ろしてほしいのに、どこまでも同じような風景が延々と続き、終わらない夢を、夢から覚めても見させられているような、夢もうつつもない、どんよりとした時間をディーゼルは走っていたことでしょう。


 塾仲間数人と塾の先生、ボクたちは、はるばる夜行列車でナガノまで来ていた。目的地にはなかなかたどり着かない。ずっと同じ風景の中で、わりと空いている車両の右側にボツンと座り、仲間たちが騒いでてもそれに加わらないで、川の面を見ていました。

 そして、どういうわけか、深夜放送で聞いた「美しき五月のパリ」というのを頭の中で鳴らして、気分に浸っていました。そうでした。ボクも自分の世界の中で、勝手な音楽を鳴らして人に対するカベを作って、それでどうにか自分を保つところ、あったんですね。今ごろ気付きました。

 それから何十年、あの歌は、加藤登紀子さんが歌ってた歌で、曲名はそういうものらしい。1968年のバリの五月革命の歌だったらしい。それを1971年に加藤さんは歌い、中学生のボクはラジオで聞いて、曲名も歌っている人も知らないし、特に感動もしなかったけれど、刻印はされていた。何だったんだろう。

(5時を過ぎました。やっと明るくなってきました。雨は降っています。疲れてきました。二度寝できそうです。何だかうれしい!)



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