松坂大輔さんは「夢」を見ない男でした。そういうことになっていました。日本に帰ってきた彼は、現在どんな夢をみているでしょう。
再びマウンドに立って投げられることを「夢」にしていないのでしょうか。ローテーションを守ってホークスを優勝させて、日本シリーズのマウンドで最後まで投げ切るとか、そんなことをイメージしていないのかな。
そんなことは彼にとって「夢」ではなくて、もっとお金を儲けて起業する、外食チェーン店で大儲けする、そんなことが彼の「夢」ですか。それとも野球少年たちを指導して、その子らが育っていくことが夢になるのでしょうか。
インタビューをしても、まともな答えは返ってこないかもしれないです。それに私はスポーツライターではありませんので、彼の復帰を楽しみにしている野球ファンの1人でしかないので、できれば素直な彼の「夢」を期待したいです。今なら素直な夢を語ってくれるんじゃないかな。
彼はすごいピッチャーでした。高校3年の時の春夏連覇、すべての人々を野球ファンにさせて、すべての人々を感動させていました。アンチ松阪がいたとしても、それはファンの1人であり、みんなが松坂大輔という太陽の周りを回っている惑星になりました。松阪世代ということばだって生まれました。みんなの代表が松坂大輔だったのです。
それから西武ライオンズでの活躍、ここでも大活躍して、ナイキのユニフォームがよく似合っていた。彼に対抗するためにはジャイアンツなどはアディダスにしなきゃいけないくらい、それくらいチーム、リーグすべてで輝いていた。それくらいの人だから、当然アメリカに行くのはみんなが納得していた。
アメリカに渡るときの会見で「夢」発言があって、彼は「夢」なんか見ない人なのだ。たいしたものだと、ここで多少の抵抗感はあったものの、私たちはそれなりに許して、彼の活躍を祈りました。
しばらくは活躍しました。高速スライダーは有効だったようです。ところが、彼も人の子で、とうとうケガをしてしまう。ここから彼の人間らしい日々があったと思われます。
ニュースで彼のことが報じられると、いつもケガの状態と、どんな練習をしたかでした。それくらいみんなが注目していた。けれども、彼は手術もしたのに、昔の彼にはならなかった。あまりに過去がすばらしくて、彼も現在の自分が許せなかったでしょう。
このまま彼は選手としてのキャリアを終えるかもしれませんし、復活するかもしれませんけど、もう昔の彼ではないでしょう。その彼は、どんな夢を見ていけばいいのか、全く関係のない私は、心配するのです。
壮大な夢もいいけれど、そんなことを彼は期待しているわけではないでしょう。お金はあるわけだから、それを有効利用したら、彼一流の生活ができるはずです。それで、どんな計画をもって暮らしていくのか、それを私は見ていきたいです。「夢」に関する発言も聞きたいですね。
さて、明恵さんです。1173~1232 平安末期から鎌倉初めころのお坊さんです。8歳で父母を失い、翌年に文覚(もんがく)さんのもとで出家。1198年、栂尾山(とがのおさん)に止住。後鳥羽上皇の支持を受けて高山寺を復興させ、建礼門院・北条泰時の厚い帰依を受けたというようなお坊さんです。……コンサイス人名辞典の受け売りです。
その明恵さんは生涯、夢日記というのをつけていたそうで、そこに自分の夢を洗いざらい語っているというのです。当然お坊さんにあるまじきことを夢の中で見てしまうらしいのですが、それも書いてしまっているそうです。そして、書くことによってそれらを乗り越え、自分を鍛えていったというのです。
夢でどんなことをしていても、それは寝ている間の自分の想念なので、それらはみんな許すけれど、現実の生活の上ではそれらを簡単に乗り越える明恵さんがいたらしいのです。
夢をはるかに越えるリアリストなのに、夢見るような風貌で、たぶん穏やかなお坊さんであった明恵さん。この方の夢日記を心理学者の河合隼雄さんは愛読し、明恵さんの生き方を見習ったみたいな新聞記事を最近見ましたが、確かに夢を越える男の明恵さんでした。そして、松坂大輔さんはどうなるのでしょう。彼は今現実と戦っているところで、それを乗り越えたらふたたび夢を語ってくれるかもしれないですね。
彼は、アメリカに渡ったとき、夢をないがしろにしてしまったんです。もう一度夢を大事に語る人にならなくちゃいけないと私は思います。
再びマウンドに立って投げられることを「夢」にしていないのでしょうか。ローテーションを守ってホークスを優勝させて、日本シリーズのマウンドで最後まで投げ切るとか、そんなことをイメージしていないのかな。
そんなことは彼にとって「夢」ではなくて、もっとお金を儲けて起業する、外食チェーン店で大儲けする、そんなことが彼の「夢」ですか。それとも野球少年たちを指導して、その子らが育っていくことが夢になるのでしょうか。
インタビューをしても、まともな答えは返ってこないかもしれないです。それに私はスポーツライターではありませんので、彼の復帰を楽しみにしている野球ファンの1人でしかないので、できれば素直な彼の「夢」を期待したいです。今なら素直な夢を語ってくれるんじゃないかな。
彼はすごいピッチャーでした。高校3年の時の春夏連覇、すべての人々を野球ファンにさせて、すべての人々を感動させていました。アンチ松阪がいたとしても、それはファンの1人であり、みんなが松坂大輔という太陽の周りを回っている惑星になりました。松阪世代ということばだって生まれました。みんなの代表が松坂大輔だったのです。
それから西武ライオンズでの活躍、ここでも大活躍して、ナイキのユニフォームがよく似合っていた。彼に対抗するためにはジャイアンツなどはアディダスにしなきゃいけないくらい、それくらいチーム、リーグすべてで輝いていた。それくらいの人だから、当然アメリカに行くのはみんなが納得していた。
アメリカに渡るときの会見で「夢」発言があって、彼は「夢」なんか見ない人なのだ。たいしたものだと、ここで多少の抵抗感はあったものの、私たちはそれなりに許して、彼の活躍を祈りました。
しばらくは活躍しました。高速スライダーは有効だったようです。ところが、彼も人の子で、とうとうケガをしてしまう。ここから彼の人間らしい日々があったと思われます。
ニュースで彼のことが報じられると、いつもケガの状態と、どんな練習をしたかでした。それくらいみんなが注目していた。けれども、彼は手術もしたのに、昔の彼にはならなかった。あまりに過去がすばらしくて、彼も現在の自分が許せなかったでしょう。
このまま彼は選手としてのキャリアを終えるかもしれませんし、復活するかもしれませんけど、もう昔の彼ではないでしょう。その彼は、どんな夢を見ていけばいいのか、全く関係のない私は、心配するのです。
壮大な夢もいいけれど、そんなことを彼は期待しているわけではないでしょう。お金はあるわけだから、それを有効利用したら、彼一流の生活ができるはずです。それで、どんな計画をもって暮らしていくのか、それを私は見ていきたいです。「夢」に関する発言も聞きたいですね。
さて、明恵さんです。1173~1232 平安末期から鎌倉初めころのお坊さんです。8歳で父母を失い、翌年に文覚(もんがく)さんのもとで出家。1198年、栂尾山(とがのおさん)に止住。後鳥羽上皇の支持を受けて高山寺を復興させ、建礼門院・北条泰時の厚い帰依を受けたというようなお坊さんです。……コンサイス人名辞典の受け売りです。
その明恵さんは生涯、夢日記というのをつけていたそうで、そこに自分の夢を洗いざらい語っているというのです。当然お坊さんにあるまじきことを夢の中で見てしまうらしいのですが、それも書いてしまっているそうです。そして、書くことによってそれらを乗り越え、自分を鍛えていったというのです。
夢でどんなことをしていても、それは寝ている間の自分の想念なので、それらはみんな許すけれど、現実の生活の上ではそれらを簡単に乗り越える明恵さんがいたらしいのです。
夢をはるかに越えるリアリストなのに、夢見るような風貌で、たぶん穏やかなお坊さんであった明恵さん。この方の夢日記を心理学者の河合隼雄さんは愛読し、明恵さんの生き方を見習ったみたいな新聞記事を最近見ましたが、確かに夢を越える男の明恵さんでした。そして、松坂大輔さんはどうなるのでしょう。彼は今現実と戦っているところで、それを乗り越えたらふたたび夢を語ってくれるかもしれないですね。
彼は、アメリカに渡ったとき、夢をないがしろにしてしまったんです。もう一度夢を大事に語る人にならなくちゃいけないと私は思います。