甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

屋久杉ワンダーランド

2022年05月14日 10時04分00秒 | 草にうずもれて

 テレビで30分の番組でした。屋久杉を訪ねて森を歩いてくれる内容で、BSじゃなかったかな(13日の朝)。

 ガイドの人が最初に見せてくれたのは三代杉という杉でした。どうして「三代」なのかというと、お爺さんの初代が倒れた後に、二代目が初代を養分にして同じところに伸びていった。大きな木が倒れたその切り株から新しい命が生まれる、というのはよくあるようでした。これは人間世界でも同じなのかもしれません。

 初代は取り込まれたので二代目の一部として赤い塊として残っていた。その二代目はまっすぐに伸びていたところを人間たちに目をつけられて切られてしまう。その後に三代目が、初代・二代目を取り囲み、吸収しつつ大きくなっている途中の姿を見せてくれたおかげで、付けられた名前が三代杉だったそうです。事実をありのままに名前にしたカタチです。

 杉の生命力と強さを感じさせてくれました。屋久島は杉にとって天国なのかと思っていましたけど、実は、風は強いし、寒暖の差はあるし、雨は多いし、塩気もあるだろうし、厳しい環境にあるのだそうです。だから、本来なら五百年しか持たない命が、ごく何本かが生き延びて何千年にもなったということでした。通常ならいくら伸びて肥大化して、それが頂点に達するのが五百年で、頂点に達して命が終わる。ところが、屋久島は全然伸びきれなくて、苦しい環境に耐えて少しずつ大きくなるだけだから、何年経っても限界に達しなくて、二千年経過してもまだ杉という種の限界を越えていない。矮小化され、ストレスを感じ続けた末の現在の形なのだそうです。

 二本目の杉は、樹齢二千何年という、あたりでは一目置かれていた翁杉というのがついこの間まであった杉でした。前の日までは元気だったというのに、次の日の、ごく風のない日にパタリと倒れてなくなってしまったというのを聞かせてもらいました。今は、翁杉があったところにポッカリ穴が開いて、日差しは届くようにはなったけれど、どの植物もその空間を埋めていないということでした。ここが埋まるには何百年もかかるわけです、これからまた長い時間の植物たちの格闘が繰り広げられるようでした。


 三本目はウィルソン株でした。数百年前、豊臣秀吉が巨大な建物を作ろうとしたときに、目をつけられたのがウィルソン株のところに生えてた杉だったそうです。安土桃山のネットワークは、屋久島の巨大杉を持ってこさせる力があったようです。

 ウィルソン株は切られてから数百年経って、今では人々がその空洞の中に入れてもらって、木の大きさと命の長さを感じられるところになっているということでした。もう木の下の空洞に入れてもらうということですが、ただのうろの中とはいえ、それは貴重な体験のような気がします。その現場感は何かを与えてくれるでしょうか。

 最後が縄文杉でした。今は木のまわりを歩くことはできないのですが、昔歩いたガイドさんによると、どこから見てもデコボコでこぶだらけの杉だったそうです。だから、建材にはならないから、何百年も放置されてきたそうです。建築資材としてはものにならないから、放置されていた。伐るだけ無駄ですから、仕事人は無駄なことはしないもんですから、大きな木ではあるけれど、ずっと放置されてきました。

 他のところだったら、ご神木としてしめ縄でも巻かれてしまうところだけれど、巨木がたくさんある屋久杉の世界では、無理やりにまつり上げられることはないようでした。それは、何だか潔い感じでした。

 今はパワースポットとしてみんなが有り難がっています。パワーをもらえる、なんてみんなが自分に言い聞かせつつ、木を見あげ、写真を撮りしている。たぶん、私だって写真を撮ると思われますが、実はそういうのは些末なことなんでしょうね。ちっともパワーとはつながらない。

 でも、何かしなきゃ、自分もこの木があることを誇りにしなきゃとか思えるのかもしれません。

 経済の世界では役に立たないものが、こころの世界では珍重されるものになるなんて、何だか不思議です。経済を進めなきゃいけないのは現代においては当たり前です。でも、人間はそれだけではないし、ひね曲がり、こぶだらけで、経済的には利用できない、ある意味みっともないものは、別の意味で誰かの支えになることもある。

 私たちは、経済的な面も生きていかなきゃいけないけど、心の面も生きていかなきゃいけないから、どっちも折に触れて接しつつ、バランスをとりながら生きていくということなんでしょうか。


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