甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

地蔵まみえ 向田邦子「男眉」より

2022年05月15日 21時07分46秒 | 本と文学と人と

 久しぶりに電車で通勤しました。何を持って行くか少し悩んで、すぐに読めてすぐに感心してしまう向田邦子さんの「思い出トランプ」を持っていくことにしました。

 電車に乗ったら、すぐに本を取り出してみました。そう、あまりお客さんがいなくて、悠々とした感じで、ゆったり本が読めそうでした。そんなに長い時間ではないので、短期集中型の読書です。

 「思い出トランプ」はうちの奥さんは持っていました。でも、自分用にまっさらな気持ちで読みたくて、贅沢にも本屋さんで買いました。わたしの本は2021年の94刷でした。ものすごく何度も何度も増刷されているようです。1980年に単行本が出て、1983年に文庫本が出る。それから40年近く経ちますが、人々に読み継がれている作品のようです。

 真ん中にある「男眉」という作品を最後に読んで、すごいなあと感心したので、そこから抜き書きしてみることにしました。

 主人公の麻という女性は、四十代後半です。夫と結婚して二十年余り、子どもはいないということでした。父親は米寿前に亡くなり、母親は七十五歳だということです。

 結婚前に父親が、本人が気にしている骨太で毛深いということをわざわざ夫となる人にしゃべっていたのを立ち聞いて、それからずっと許せないと思ってきたのに、その父親も、もういなくなってしまった。

 父や母、そして祖母たちの思い出をふり返る中で、祖母から「あなたの眉毛(まみえ)は男眉毛(男眉)と」言われ続けてきたことを思い出として物語は進んでいくようでした。

 主人公の麻さんが小学校一年の時に妹が生まれます。

 祖母は、いつものように麻(主人公)の眉と眉の間の毛を、大きな毛抜きで抜きながら、地蔵まみえというのはお地蔵さまのような、弓型のやさしい眉のことだち教えてくれた。麻のように、ほうって置くとつながってしまう濃い眉は男まみえというのだそうな。祖母は、眉のことをまみえと言っていた。

 地蔵眉の女は素直で人に可愛がられるが、男眉に生まれついた人間は、男なら潰れた家を興すか、大泥棒、人殺しといった極悪人になりかねない。女は亭主運のよくない相だという。こういう話をする時、祖母の口調はお経のように節がついた。 

 麻さんのおばあさんはこんなことを教えてくれていた。そして、新しく家族になった妹のまみえは、「地蔵眉」とほめそやしたそうです。これは、当てつけというのか、コンプレックス助長というのか、家族であれば、もう少し配慮が欲しいところです。

 妹を褒め、姉の方はダメな眉毛だから、祖母はいつもお手入れをしてくれていた。うれしいような悲しいような家族です。

 祖母には麻さんの気持ちは持っていけなくて(父に対しては刃物で切り付けたい気持ちが一瞬うまれた時もあったそうですが)、怒りの矛先は結局祖母が珍重する「地蔵まみえ」の「地蔵」さんに向かって行くのでした。



 麻(眉毛がお地蔵さんみたいではない主人公)は、お地蔵さまを好きになれなかった。あの人のいい顔は、どこか胡散(うさん)臭い。
「そうかそうか。可哀(かわい)そうに可哀そうに」
と言いながら、口先だけで、少したつとケロリと忘れて居眠りをしているような赤いよだけ掛けも猥(みだ)りがましい。

 という風に、地蔵様には罪はないのに、いつの間にか地蔵様が彼女の中ではとんでもないヤツになっていきました。

 人の好さそうな爺さまだって、戦後の混乱の時には、

 戦争中の買出し時代、焼け残ったなけなしの品物と物々交換で、さつまいもを売ってくれた三鷹あたりの百姓のおじいさんがあんな顔をしていた。人の好さそうな、実にいい顔をして笑う老人だったが、抜け目がなかった。

 という風に、小さい時のわだかまりは、人の好さそうな顔に対して、いつもそのウラを想像してしまうクセをつけてしまいます。



 さあ、最終的にお地蔵さまは彼女の心の中でイヌになってしまう!

 お地蔵さまは、犬にも似ている。
 子供の時分、うちの近所にいた白い牝犬(めすいぬ)もああいう顔をしていた。おとなたちは、おとなしい、いい顔をした犬だといっていたが、羽根つきの羽子(はご)の黒い玉、無患子(むくろじ)というのか、あれそっくりの黒い固そうな乳首をゆすって、誰彼の区別なく尻尾を振っていたあの犬の、次から次と仔(こ)を産み、捨てられても格別恨む風もなくまた産んでいたしたたかさ、くるりとうしろを向けば、何を考えているのか判(わか)らない油断のなさそうなところは、お地蔵さまに似ているような気がする。


 ごく普通に、四十代後半になった一人の女の人の心の中にはワルモノのお地蔵様が住んでしまいました。

 お地蔵さまは何もしていないのに、ただ彼女の眉毛が毛深く太い眉毛だったから、それをみんなに言われ続けたから、彼女は今、こんな大人になったまま、特にだから困るということはないものの、もう育ててしまったコンプレックスと怒りは、ほぐしようがなくて、今も道行く人たちを見ながら、あれやこれやと想像して、そのウラを思い描く人になってしまっている、というのが描かれていました。

 私たちの心の中に、どんな形でコンプレックスが大きくなるのか、それはとんでもない方向へだって向かってしまうということなんでしょうか。

 





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