八並映子さんが亡くなったということです。今月の14日、68歳だったそうです。わたしよりひとまわりくらい上の方だったんですね。
私は、彼女を映画では「ガメラ対ジグラ」でしか見ていないかもしれない。それも、舞鶴の町で、夏の浜辺近くの映画館で見たような気がします。(八並さんは「えいこ」で、若林さんは「あきこ」でしたっけ?)
どうして私が舞鶴にいたのか、それは観光ではなくて、家族ぐるみのつきあいだった方たちとの交流のために舞鶴に家族みんなででかけていたのです。
中学生になっていたんだろうか、それとも小学校の高学年だったのかな。よくおぼえていません。
大阪の狭苦しいアパート街にいくつかの家族とその子どもたちがいて、みんなで離合集散を繰り返していました。でも、たまたまうちの家族とお隣同士になった家族とその友だちの家族、みんなが仲良しで、子どもも大人も何かにつけて一緒になって遊んでいました。
時々は家族で連れ添って遠出することもありました。生駒山の公園とか、ブドウ狩りとか、玉手山遊園(近鉄大阪線沿線の現在は河内国分というところにありました)に行ったり、何かにつけて仲良く遊んでいた。
ところがせっかく仲良しになったお隣の家族は、お父さんが造船のお仕事だそうで、舞鶴に転勤になったということでした。それから、夏になって、そのご家族を頼って残された2家族が舞鶴に出かけたのです。2泊くらいはしたかもしれません。舞鶴は、何だか遠い町で、ディーゼルで出かけたはずですが、何も記憶がありません。
そして、舞鶴の町の記憶もありません。少し遠くの高浜海水浴場に出かけたことと、そこで初めてクラゲに刺されたことと、夜はみんなでおしゃべりしながらゴハン食べたことと、そんなことしかおぼえていません。
子どもたちはヒマなので、映画に連れてってあげようということになって、たまたま映画館でやっていたのが「ガメラ対ジグラ」でした。
映画館の中に入ると、すでに映画は始まっていて、ジグラが地球人に無理難題を海の中から話しかけているところでした。今まで怪獣はおしゃべりしないルールみたいなのがありましたが、ジグラは深海怪獣だったかな、宇宙人だったかな、とにかくしゃべっていました。
そこに八並映子さんが出ていました。後にもう一度見直してみて、映画の中でビキニになったり、地球人とからんだり、サービスしていましたが、たぶん子供心にドキドキしたと思われますが、あまりおぼえていなくて、昭和シリーズの最後の作品なので、「やはりガメラも終わりかな」という雰囲気が感じられて、昔ほどのワクワク感がありませんでした。女優さんのサービスカットで引き戻せる流れではなかった。
舞鶴での滞在はやがて終わり、私たちは大阪に戻り、二度と舞鶴に行くことはありませんでした。あとは父母たちの年賀状のやりとりだけが続き、父もなくなり、もう1つの家族のお父さんも、舞鶴のお隣だったご夫婦も亡くなったというのを最近母から聞かされました。
それは仕方がないけれど、そうして時間は流れていくものだけれど、それでも、何だか私はもどかしいのです。どうしてもっと交流できなかったかなあと思うのです。でも、自分からは何もしなくて、今は三重県でくすぶっている。まわりの人とどれだけことばを交わし、気持ちを通わせているのか、それはあぶなっかしい。ちっとも心を開いていないし、何だかブスッとした毎日です。
反省はしています。でも、なかなか自分のスタイルを変えられていない。
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