うちの先祖の話をしなくてはならない。父方の祖父はたぶんお百姓だったと思われる。そんなことは調べなくても、そうだろう。田畑はそれなりに持っていたということだ。曽祖父の名前はクマゴロウという。今回のカゴシマの旅で伯母から教えてもらった。
祖父はナオキチというのが戸籍上の名前だったが、みんなからはエイキチと呼ばれていたということだ。ひょっとすると、自称エイキチなのかもしれない。今となってはカッコイイ名前だけれど、同時としてはごく普通の名前だったのかもしれない。せっかくクマゴロウさんがつけてくれた名前を、勝手に拒否して持つなんて、何となく古代中国の人々のようだ。けれども、大した家柄ではなかったと思う。
祖父エイキチは、酒好きであった。カゴシマ人なので、当然焼酎である。それを何かにつけて飲んでいたということだった。おそらく晩年の姿であろう。もう50年以上前の話だ。妻を数年前に亡くしてしまい、子供たちはすべて家を出ていた。本人だけの一人暮らしで、農業はせず、酒ばかりを飲んだ。年金制度がどうなっていたかはしらないが、お金に困って次から次と田畑を売りとばし、すべてを酒代に変えていった。もう伝説の領域で、外国の農村の貧乏になっていく物語の主人公そのままに荒くれた老後を迎えてしまう。
うちのおじいちゃんは、こんな格好ではありません。これはたまたま昭和40年代にカゴシマに会社の慰安旅行で訪れた人の写真です。うちのおじいちゃんみたいな写真って、ないですかね。大阪の実家で探してみます!
私の小さいころに亡くなってしまい、写真もクッキリしたものが残っておらず、ぼんやりとした小柄なおじいさんである。よく見てみれば父に面影が似ていたのかもしれない。髪は白髪で、短い坊主頭で、下着のシャツに作業着のようなズボンをはいている。足元はクツをはいていたろうか。サンダルばきだったのか。それさえちゃんと見ていない。私の手元には写真はないし、実家の方でもわざわざ写真を掲げておくようなことがなかったので、まるでイメージが湧かない。けれども、その祖父の姿は私につながっているのかもしれないと、今回の旅で改めて感じている。
さて、田畑はすべて売りつくしてしまった。子ともたちがその暴走を止められたらよかったのだが、状況をつかめていなかったのか、自分の生活で精一杯だったのか、おそらく60年代半ばで、自分たちの生活を確立することに躍起になっていて、兄弟姉妹のうちの四人は大阪に出て、それぞれの家庭を守るのに必死だし、カゴシマに残った二人の子どもも、父の暴走を止められなかった。怖い人だったのだろうか。
家だけは残った。けれども生活するすべがなかった。仕方がないので、長男の家と次女の家を行ったり来たりしながら毎日を過ごしていた。私の祖父はそれほど高齢ということはなかったと思われる。今ならバリバリでやっている年代だったはずだ。けれども、頼れる家族はそばにはおらず、妻も亡くなっている。田畑もついウッカリ失ってしまった。仕事もこれといってない。お酒は好きだ。毎日のメシのため、近くに住む子どもたちの家を訪ねるしか生きる方法を見いだせなかった。
とんでもない人だとずっと思い、またそう聞かされてきて、あまり祖父に同情するチャンスがなかったのだが、今回改めて五十年ちかく前に亡くなった祖父を思うと、そうならねばならない何かがあったのかもしれないとふと思う。残念ながら祖父をしのぶ物や形見は何もない。実家のどこかにある写真が少しで、それらはボンヤリした面影しか伝えてはくれぬ。住んでいた家は取り壊されて、長年空き地になっていたところ、二十数年前、父が仕事を引退した折に、自分たちのセカンドハウスを建て、季節のいいころにカゴシマに遊びに行こうしたその土地があるばかりだった。
土地は何坪あるのだろう、平屋の家があって、その奥に畑を作るスペースがあり、よその土地との境界線にはレモン、桃、梅など、うちの父母好みの実のなる木が植えられている。その一番奥、この二十年余りで藪のようになっているあたりに、土地の神様がまつられている。ここで祖父をしのぶことができるのかもしれないが、あまりに抽象的すぎて、私にはイメージできない感じであった。
それが私の父方の祖父の漠然としたイメージだった。今もあまりイメージとしては変わっていない。けれども、今回父のお骨をお墓のアパートに納める段になって、その祭壇のところに小さな写真が飾られていて、これは実家でも見たことがない写真だったので、ついそばにいる伯母に訊いてみたのだった。
伯母は「これが私んちにあったおとうさんの写真で、私がここへ持ってきたの」と言う。そのあとに、祭壇の下に書かれている何人もの人々を、一つ一つ説明をしてくれて、父にも教えてもらわなかった家族の歴史が少しだけわかったような気がしたのであった。
なんと祖父が亡くなって五十年近くたって、やっと知ることのできた祖父の姿だった。そして、あまり見ないようにしていた、心の向こうに追いやっていた祖父が急に目の前に現れてくるようだった。そして、父の小さなお骨を、先祖たちの大きな壺の前に据えて、少しだけ自分につながるものを感じ、姿は見えないけれど、先祖の生きていた姿を思い出していきたいと思ったのである。
家族のために精一杯生きた父はいなくなってしまった。父は祖父たちの待つ世界へと旅立っていった。いつかは自分もそちらに行くのかもしれないが、たぶん向こうは一切無の世界で、閻魔様もいないし、お釈迦様もいないだろう。魂は不滅だというが、私の魂なんてあぶなっかしいものだ。不滅であるわけがないように思う。いい加減な魂は、消えるときには未練たっぷりだろうけれど、消えてしまえば跡形もなくなってしまう。それが死というものなのだろう。まあ、私に死を語る資格はない。私は生の世界でもうまくやっていけなくてバタバタしているのだから、死など語らない。
けれども、五十年前に亡くなった祖父だって、伯母の一言で孫の私にぼんやり浮かんでくるわけだから、魂というものはないけれど、その人が生きた跡形が、いろんな人に残っていて、それらは一葉の写真、何気ない一言でポンと浮かび上がることができるらしい。
私は、この春から、カゴシマ行きを意識して、毎晩焼酎をありがたくいただいてきた。たまに調子に乗ってワインやらに手を出したり、浮気をしてビールを飲んでしまったりすることもあるが、ずっとカゴシマ人として、何かつかむことができないかと、焼酎を飲んできた。私のことだから、あいかわらず何もつかむことはできないのだけれど、少しだけオッサンが毎日年をとっていくことを感じつつ、フラフラになって夜を過ごす習慣を身につけてしまった。私は、こういうオッサンライフはなかなかステキだと考えているのである。
あと1つ、つまらない話を書き加えておきたい。
「おじいさん、どうしておじいさんは、戸籍の名前じゃなくて、エイキチとみんなに呼ばせていたんですか?」
「そりゃ、キャロルのエイちゃんが気に入ったからじゃ」
「あのー、時代が合わないと思うんですけど……」
「まあ、つまらん冗談じゃ。そういうことを知っているというメッセージとして言ってみたんじゃ」
「お年寄りですから、近所の人たちはエイキチオジ、エイキッサン、ジサンとか呼ばれてたんですね」
「なかなか言いやすいじゃなかか」
「まあ、私はカゴシマ弁を使えるわけではないので、わからないですけど……」
「その、まあ名前はなんでんかんでんよかたろかいね」
「んー、どうでもいいと言うことですか。まあ、お年寄りとしておじいさん(ジサン)と呼ばれるしかなかったわけで、もう名前のない存在だったということですか……。でも、何かあるんじゃないかな」
「えいという名前が好きになったんだよ。だから長男はエイタロウにしたよー」
「そうですか。エイが気に入ったんですね。自分の名前をプロデュースしたというわけですね」
「まあ、そういうことかの……、おい、孫よ。わしが本当のことを言っている顔か、見てみよ」
「はあ……、そうじゃないんですか」
「おまえのおばあさんの名前は何じゃ?」
「エイさんですか? 亡くなった方たちの名前がいっぱいあって、どれがだれとは知らないんです」
「アホっ、ちゃんとおまえの父親に聞いておけ! 私の妻の名前はエイといい、もう五十数年前に亡くなったんじゃ」
「はあ、そうですか。それで……?」
「それが理由じゃ」
「へっ、まさか、そんな、年取ってから名前を変えて呼ばせるって、やはりわからないなあ」
「まあ、わからんでもいい。エイキチが好きだから、そう呼ばせることにしたんじゃ」
「まさか、そんな、ねえ。おばあさんの写真はないですか?」
「オバッの写真はないよ。ま、おまえの伯母さんたちの顔を見ていたら、だいたいわかるんじゃないか」
「はい、なんとなく面影はわかる気がします」
「まあ、おまえの中にも家族の伝統が伝わっているから、それをせいぜい感じて生きて行きなさい」
「はい、このヘンチョコリンな内股のことですね。わかりました。せいぜいこんな歩き方して生きていきます」
という空想が仕事帰りのクルマの中でふいに浮かんできたのであった。
私としては、50年ぶりにお祖父さんの声を聞いたような気持ちになったのだけれど、どうしてそんな気分となったのか、ただのお調子者のワルノリだったのだろうか。どうなのだろう。
祖父はナオキチというのが戸籍上の名前だったが、みんなからはエイキチと呼ばれていたということだ。ひょっとすると、自称エイキチなのかもしれない。今となってはカッコイイ名前だけれど、同時としてはごく普通の名前だったのかもしれない。せっかくクマゴロウさんがつけてくれた名前を、勝手に拒否して持つなんて、何となく古代中国の人々のようだ。けれども、大した家柄ではなかったと思う。
祖父エイキチは、酒好きであった。カゴシマ人なので、当然焼酎である。それを何かにつけて飲んでいたということだった。おそらく晩年の姿であろう。もう50年以上前の話だ。妻を数年前に亡くしてしまい、子供たちはすべて家を出ていた。本人だけの一人暮らしで、農業はせず、酒ばかりを飲んだ。年金制度がどうなっていたかはしらないが、お金に困って次から次と田畑を売りとばし、すべてを酒代に変えていった。もう伝説の領域で、外国の農村の貧乏になっていく物語の主人公そのままに荒くれた老後を迎えてしまう。
うちのおじいちゃんは、こんな格好ではありません。これはたまたま昭和40年代にカゴシマに会社の慰安旅行で訪れた人の写真です。うちのおじいちゃんみたいな写真って、ないですかね。大阪の実家で探してみます!
私の小さいころに亡くなってしまい、写真もクッキリしたものが残っておらず、ぼんやりとした小柄なおじいさんである。よく見てみれば父に面影が似ていたのかもしれない。髪は白髪で、短い坊主頭で、下着のシャツに作業着のようなズボンをはいている。足元はクツをはいていたろうか。サンダルばきだったのか。それさえちゃんと見ていない。私の手元には写真はないし、実家の方でもわざわざ写真を掲げておくようなことがなかったので、まるでイメージが湧かない。けれども、その祖父の姿は私につながっているのかもしれないと、今回の旅で改めて感じている。
さて、田畑はすべて売りつくしてしまった。子ともたちがその暴走を止められたらよかったのだが、状況をつかめていなかったのか、自分の生活で精一杯だったのか、おそらく60年代半ばで、自分たちの生活を確立することに躍起になっていて、兄弟姉妹のうちの四人は大阪に出て、それぞれの家庭を守るのに必死だし、カゴシマに残った二人の子どもも、父の暴走を止められなかった。怖い人だったのだろうか。
家だけは残った。けれども生活するすべがなかった。仕方がないので、長男の家と次女の家を行ったり来たりしながら毎日を過ごしていた。私の祖父はそれほど高齢ということはなかったと思われる。今ならバリバリでやっている年代だったはずだ。けれども、頼れる家族はそばにはおらず、妻も亡くなっている。田畑もついウッカリ失ってしまった。仕事もこれといってない。お酒は好きだ。毎日のメシのため、近くに住む子どもたちの家を訪ねるしか生きる方法を見いだせなかった。
とんでもない人だとずっと思い、またそう聞かされてきて、あまり祖父に同情するチャンスがなかったのだが、今回改めて五十年ちかく前に亡くなった祖父を思うと、そうならねばならない何かがあったのかもしれないとふと思う。残念ながら祖父をしのぶ物や形見は何もない。実家のどこかにある写真が少しで、それらはボンヤリした面影しか伝えてはくれぬ。住んでいた家は取り壊されて、長年空き地になっていたところ、二十数年前、父が仕事を引退した折に、自分たちのセカンドハウスを建て、季節のいいころにカゴシマに遊びに行こうしたその土地があるばかりだった。
土地は何坪あるのだろう、平屋の家があって、その奥に畑を作るスペースがあり、よその土地との境界線にはレモン、桃、梅など、うちの父母好みの実のなる木が植えられている。その一番奥、この二十年余りで藪のようになっているあたりに、土地の神様がまつられている。ここで祖父をしのぶことができるのかもしれないが、あまりに抽象的すぎて、私にはイメージできない感じであった。
それが私の父方の祖父の漠然としたイメージだった。今もあまりイメージとしては変わっていない。けれども、今回父のお骨をお墓のアパートに納める段になって、その祭壇のところに小さな写真が飾られていて、これは実家でも見たことがない写真だったので、ついそばにいる伯母に訊いてみたのだった。
伯母は「これが私んちにあったおとうさんの写真で、私がここへ持ってきたの」と言う。そのあとに、祭壇の下に書かれている何人もの人々を、一つ一つ説明をしてくれて、父にも教えてもらわなかった家族の歴史が少しだけわかったような気がしたのであった。
なんと祖父が亡くなって五十年近くたって、やっと知ることのできた祖父の姿だった。そして、あまり見ないようにしていた、心の向こうに追いやっていた祖父が急に目の前に現れてくるようだった。そして、父の小さなお骨を、先祖たちの大きな壺の前に据えて、少しだけ自分につながるものを感じ、姿は見えないけれど、先祖の生きていた姿を思い出していきたいと思ったのである。
家族のために精一杯生きた父はいなくなってしまった。父は祖父たちの待つ世界へと旅立っていった。いつかは自分もそちらに行くのかもしれないが、たぶん向こうは一切無の世界で、閻魔様もいないし、お釈迦様もいないだろう。魂は不滅だというが、私の魂なんてあぶなっかしいものだ。不滅であるわけがないように思う。いい加減な魂は、消えるときには未練たっぷりだろうけれど、消えてしまえば跡形もなくなってしまう。それが死というものなのだろう。まあ、私に死を語る資格はない。私は生の世界でもうまくやっていけなくてバタバタしているのだから、死など語らない。
けれども、五十年前に亡くなった祖父だって、伯母の一言で孫の私にぼんやり浮かんでくるわけだから、魂というものはないけれど、その人が生きた跡形が、いろんな人に残っていて、それらは一葉の写真、何気ない一言でポンと浮かび上がることができるらしい。
私は、この春から、カゴシマ行きを意識して、毎晩焼酎をありがたくいただいてきた。たまに調子に乗ってワインやらに手を出したり、浮気をしてビールを飲んでしまったりすることもあるが、ずっとカゴシマ人として、何かつかむことができないかと、焼酎を飲んできた。私のことだから、あいかわらず何もつかむことはできないのだけれど、少しだけオッサンが毎日年をとっていくことを感じつつ、フラフラになって夜を過ごす習慣を身につけてしまった。私は、こういうオッサンライフはなかなかステキだと考えているのである。
あと1つ、つまらない話を書き加えておきたい。
「おじいさん、どうしておじいさんは、戸籍の名前じゃなくて、エイキチとみんなに呼ばせていたんですか?」
「そりゃ、キャロルのエイちゃんが気に入ったからじゃ」
「あのー、時代が合わないと思うんですけど……」
「まあ、つまらん冗談じゃ。そういうことを知っているというメッセージとして言ってみたんじゃ」
「お年寄りですから、近所の人たちはエイキチオジ、エイキッサン、ジサンとか呼ばれてたんですね」
「なかなか言いやすいじゃなかか」
「まあ、私はカゴシマ弁を使えるわけではないので、わからないですけど……」
「その、まあ名前はなんでんかんでんよかたろかいね」
「んー、どうでもいいと言うことですか。まあ、お年寄りとしておじいさん(ジサン)と呼ばれるしかなかったわけで、もう名前のない存在だったということですか……。でも、何かあるんじゃないかな」
「えいという名前が好きになったんだよ。だから長男はエイタロウにしたよー」
「そうですか。エイが気に入ったんですね。自分の名前をプロデュースしたというわけですね」
「まあ、そういうことかの……、おい、孫よ。わしが本当のことを言っている顔か、見てみよ」
「はあ……、そうじゃないんですか」
「おまえのおばあさんの名前は何じゃ?」
「エイさんですか? 亡くなった方たちの名前がいっぱいあって、どれがだれとは知らないんです」
「アホっ、ちゃんとおまえの父親に聞いておけ! 私の妻の名前はエイといい、もう五十数年前に亡くなったんじゃ」
「はあ、そうですか。それで……?」
「それが理由じゃ」
「へっ、まさか、そんな、年取ってから名前を変えて呼ばせるって、やはりわからないなあ」
「まあ、わからんでもいい。エイキチが好きだから、そう呼ばせることにしたんじゃ」
「まさか、そんな、ねえ。おばあさんの写真はないですか?」
「オバッの写真はないよ。ま、おまえの伯母さんたちの顔を見ていたら、だいたいわかるんじゃないか」
「はい、なんとなく面影はわかる気がします」
「まあ、おまえの中にも家族の伝統が伝わっているから、それをせいぜい感じて生きて行きなさい」
「はい、このヘンチョコリンな内股のことですね。わかりました。せいぜいこんな歩き方して生きていきます」
という空想が仕事帰りのクルマの中でふいに浮かんできたのであった。
私としては、50年ぶりにお祖父さんの声を聞いたような気持ちになったのだけれど、どうしてそんな気分となったのか、ただのお調子者のワルノリだったのだろうか。どうなのだろう。