那須の黒はねと云ふ所に知る人あれば、これより野越(のごえ)にかゝりて直道(ぢかみち)をゆかんとす。遥(はる)かに一村を見かけて行くに、雨降り日暮る。農夫の家に一夜をかりて、明くればまた野中(のなか)を行く。
那須の黒羽というところに訪ねて行きたい人がおりました。俳諧の世界についてともに語りたい人たちでした。
そこに行くためには、野原の中を越えていかねばならず、道は少し不案内でした。
人里を求めて歩いて行くのですが、ちっとも見つからず、雨は降ってくるし、日は暮れてきたのでした。道ばたに見つけた農家に一夜の宿を借り、明ければまた野の中の道を行くことになりました。
そこに野飼ひの馬あり。草刈のおのこになげきよれば、野夫といへどもさすがに情しらぬには非ず
「いかゝすべきや、されどもこの野は縦横にわかれてうゐうゐしき旅人の道ふみたがえん、あやしう侍れば、この馬のとゞまる所にて馬を返し給へ」とかし侍りぬ。
しばらくすると馬を連れた農夫に出会いました。もう心細くなって、その男に道案内してくれるよう請いすがると、お百姓さんとはいえ、人の情けは通じるもので、
「さあ、どうしたものかなあ。これからの道は、初めての旅人なら道に迷うところがあるように思われます。
私は、付いてはいけませんけれども、この馬が停まるところが分岐点になることでしょう。馬の歩く道をたどるようにしなさい。道が分かったら、今度は馬を帰らせてやってください。」と言って、私たちに馬を貸してくれたのでした。
ちいさき者ふたり馬の跡したひてはしる。ひとりは小姫にて名を「かさね」と云ふ。聞きなれぬ名のやさしかりければ、
かさねとは八重撫子の名成るべし 曾良
かさねとは八重撫子の名成るべし 曾良
野原を行く馬の後ろに小さなこどもたちが付いてきてくれました。おそらく先ほどの農夫さんのお子さんなんでしょうか。
男の子と女の子がいて、女の子のお名前は「かさね」という名なのだそうです。あまり聞き慣れない女の子の名前で、とてもやさしい響きのお名前です。それで、一緒にいた曽良は句を詠みました。
かさねというお名前を聞かせてもらいました。この名前は、八重ナデシコの花が幾重にも重なっているところからとった名前なのかもしれません。
頓(やが)て人里に至れば、あたひを鞍(くら)つぼに結付(むすびつ)けて馬を返しぬ。
そのまま馬に乗り続け、どうにか人里にたどり着いたので、お駄賃を鞍つぼに結び付けて馬と子どもたちを返したのでした。
★ この一節、いつの頃からか好きになりました。女の子が生まれたら、「かさね」という名前を付けようと思ったくらいでした。妻は「穂波」にしようと思ってたそうです。運命のめぐりあわせか、私たちのところには女の子はやって来なくて、ただの願望で終わってしまいました。
それも私たちの人生の一つ、いろんなことを考えつつ、その通りにならないことはたくさんあります。誰かがその思いを実現する人もいるだろうけど、私たちのささやかな願い・思いは実現に至らなかった。でも、どこかで誰かがお文字ことをしてくれているはずです。それを応援したらいいのかな。
2022.12.22 Thu