甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

私たちの過ち、そして反省

2019年05月30日 21時53分00秒 | 私たちの社会・世界

 三重県にはかつて原発を建設しようという話がありました。

 原発の候補地は、熊野灘に面したまわりをすべて山々に囲まれた、県の中心部から数十キロほど離れたところでした。漁村でもあったので、土地は推進派と反対派に二分され、小さなコミュニテイはズタズタにされたのではなかったかな。

 何度も会議は持たれ、県の方たち、電力会社の人たち、中央から反対派を切り崩す人たちなど、いろんな嵐と利権とカネに見舞われたことでしょう。

 結局、当時の知事・北川正恭さんの裁定で、原発は県内に建設させないということになりました。私はこの一事だけで、北川さんが知事でよかったと、ホッと一息ついたというのか、心底安心しました。

 原発から数十キロに住むということは、住んでいること自体が不安定で、いつすべてが終わってしまうのか、限りなく恐ろしい危険と隣り合わせになるということです。その危険性は計り知れません。目に見えない敵と無理やり向き合わされるなんて、恐ろしいことです。それに、その恐ろしさは静かに空から見えないのにやってくるんですから!

 とりあえずそうした恐怖と被害を避けられたので、私が生きている間は、原発の近くで住むということがなくなったのだと思いました。

 原発建設不認可は十年以上前のことになるんでしょうか。三重県では、県民が決めたのではなく、トップが原発NOを判定してくれました。県民は、意見が二分していたので、どっちに転んでおかしくなかったでしょう。県民自身は自分たちで決められなかったのです。多数決はお金で買いたたかれる心配もありました。



 最近、旧優生保護法によって断種(恐ろしいことばです)させられた人たちが、国を相手取って裁判を起こし、その判決が出たというニュースを聞きました。人として当然持っている、自分の子どもを持つという権利、それを無理矢理に国によって奪われた人たちがいたのです。

 被害者の方たちは、七十歳から六十歳ということですから、数十年前に法律によって手術をされたことになります。その時に私は生きていたのかどうか、知っていたのかどうか。たぶん、知らなかっただろうし、今さらながら、そういう事実を認識したところですけど、そういうことが普通に行われている国に私は生まれたのですね。

 法律ですから、国会のエライ方たちが決めたものなんでしょう。国民もそれを支持して、「先天的に何かある人を、子どもを作れないようにしてしまってもいいんじゃないの」と、まさか思ったわけではない、と思いたいけど、国民も認めてはいたのでしょう。仕方ないよ、かわいそうだけど、などと言い訳でもしてたのかなあ。

 2019年の今、判決は、国が進めた強制不妊手術は人として権利を奪うものである、とても責任は重い、というところまでは言及しました。でも、責任はというと、本人たちが訴えを起こせるタイムリミットは過ぎている。今さら賠償せよといっても、数十年前のことを訴えても、もう時効となっている。賠償はしなくていい。というものでした。

 ずっと権利を奪われ、失意のどん底に落ち、生きる希望を失い、それでも生きてきた人たちがいたのです。自分の過去をとても人には話せはしないし、話したとしても、その辛さは伝わらなかっただろうし、基本的に人というのは、他人のことに関しては、それほど敏感に反応できるものではないのです。

 結果として、何も言えないままの数十年が経過して、人生も後半になってきて、ようやく私たちはこんなだったと表明することができるようになった。人とは、それほどに自分のトラウマとか、辛い体験を冷凍保存してしまえる生き物なのだと思われます。

 生々しい体験はすぐに冷凍にして、心の保管庫の奥底にしまっておく。そうすることで日々の生活をかろうじて送ることができる。そういう生き物なのです。

 数十年が過ぎたということで、裁判所はドライに切り捨てて、「もうあなたたちは権利がない。タイミングを逃したのだ」という判決ですけど、これももう少し世の中の後押しがあると、判決は変わることでしょう。

 もし、世の中が見捨てたままなら、他の裁判所も、「それ見たことか、あなたたちが今さらブツブツ言ったって、もう遅いんだよ。確かに国はひどいことをしたかもしれないけど、もう遅い」と言うんだろうな。

 国民も、政府も、人間も、みんながミスをするし、とんでもない選択をしてしまう、ということはよくあることです。

 なんてったって、私たちの国は、戦争推進で、とことんやられるまで突き進んだ国でした。軍部もいけなかっただろうし、政治にかかわる人たちもどうかしてたんでしょう。侵略するためには、アメリカでも、中国でも、どことでも戦おうとみんなで思っていたんです。集団催眠なのか、国民全体がヒステリーなのか、わりと冷静に戦争推進だったのか、とにかくとんでもない選択をしてしまった。



 間違ったら、しっかりフォローして、ミスを謝罪し、関係を修復しなくてはいけませんし、社会全体もひとつ賢くならなくてはならない。

 それはぜひやらねばならないことだし、子孫への責任でもあるはずです。

 それでも、失敗や暴走、権利にからまれて欲に目がくらむとか、目先の利益を優先させるとか、数限りなく失敗をする。

 過去の政府の失敗と切り捨てないで、私たちが連帯責任で、国がしてきたミスを正していかなくては、いつかは自分がそういう立場に立たされた時、誰も助けてくれないし、ひとりでは泣き寝入りするだけだと思いたい。

 三重県内の原発予定地だったところは、今も電力会社の土地になっていて、いつか原発OKという裁定がおりたら、ふたたび建設をしようと土地はキープされているようです。ほとぼりがさめたころに、新たな予定地として復活させるつもりなんでしょう。

 できれば、その時には、断固反対と訴えたいけれど、私が生きている間は、塩漬けの土地のまんまかな。若い世代の皆さんに、新たな提案として出される時、夢のようなことばとイメージで満たされ、地域活性化のためにという大号令で建設される時もあるんでしょうね。

 それまでに大地震がどうなっているか、ですけど、自分がいなくなってからのこと、あれこれ心配してもしょうがないのかな。

 いや、せめて自分たちがいる所に、恐ろしいものは持ち込んではいけない、というのは若い人に伝えなくてはいけないし、もっと理屈で伝えなきゃいけないんだろうな。

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