甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

石仏へのみち 入口まで

2019年01月09日 22時30分04秒 | あこがれ九州

 2018年の12月28日の夕方、八幡浜からフェリーに乗って、ようやく臼杵のフェリーターミナルにたどり着きました。そこから駅まで20分程度ということだし、バスもないみたいだから、歩くことにしました。市街地はどこにあるのか、まるで見当がつかないまま、太陽が沈んでいった方向へ歩いていきました。



 同じ客室にした若者二人も歩いているし、彼らのあとをついていけば、駅に着けるような気がしていました。

 お城跡の小高くなったところが見えました。そこをまっすぐ行くと、石仏まで6kmという表示があります。歩けない距離ではないけれど、わざわざ歩く必要もないし、バスがあるのなら、バスに乗っていこうと考えました。

 臼杵という町は、戦国大名の大友宗麟さんが本拠地にした町でもあるようです。ポルトガルとのつながりもあるので、かなり昔のポルトガルの大統領さんが臼杵を訪ねた記念碑だってありました。それなのに、市街地はまるでなくて、お店もコンビニも、弁当屋さんも、ガソリンスタンドも、何もないような感じです。ただ道にはクルマは走っている。でも、そのクルマも何だかうつろで、クルマの中に人がいるのか、それさえ不安になるような、さびしく暗い(街灯もあまりない)町に見えました。



 実際は、今歩いているお城のお山の向こう側に町が開けていたようですが、それは全く感じられなかった。ホテルは決まっているけれど、そこに荷物を置いて、「さあ、どこか食べに行こう」と思っても、どこにも食べるお店がないように見えました。

 クルマなら少し走らせてみて、適当なところでゴハンを食べるのだけれど、頼みは自分の足だけでした。だったら、駅前には何か食べるお店があるだろう、そう思って歩いて、駅にたどり着いてみると、そこにはお店みたいなものは一切なかったのでした。

 ああ、恐ろしいことになりました。今夜はもう、さっき見つけた港町商店街で食べ物屋さんを探すか、それともさっき見つけたコンビニで適当なものを買って、ホテルで食べるか、しか選択肢はないようでした。

 バスは朝の7時半に出るようです。何とか明日起きたら、すぐに行けば大丈夫そうです(路線バスの旅みたいな感覚になっていました)。あとは今夜のゴハンを食べるだけです。

 ホテルに荷物を置いて、さあ、探そうと、商店街と呼ばれる道筋を歩いてみました。クルマは通るし、お店は開いていません。というか、営業そのものも怪しい感じです。かつて商店街だった筋を歩いているだけであって、どこにも食べるところはなさそうでした。

 仕方がありません。コンビニでスパゲテイサラダなるものを買い、ホテルにもどりました。どうしてサラダなのか? 何となく不調で、寝不足で、それでもビール一杯だけが希望で、それができたら何でもよかったようです。

 そして、夜はブログして寝ました。睡眠不足なのに快眠はできなくて、何度も目が覚め、それでも何度も寝ようとチャレンジする、行ったり来たりの夜を過ごします。

 やがて朝が来れば、昨日コンビニで買った菓子パンを食べ、いつもならコーヒー飲んで、ヨーグルト食べて、という朝なのです。ですから、それに近いものを食べて、ホテルを出ました。



 駅前には、石仏のレプリカがあります。たぶん、こんなものなのだと思われます。

 だったら、レプリカ見ただけでそれでいいではないの? とは思うけれど、それはあくまでレプリカだし、人々の思いが入っていません。たくさんの人々によって刻まれ、拝されてきたからこその何かがあるはず、それを感じてみたい。私のアンテナの感度は低いけれど、現場に行けば何かがあるでしょう。

 はやくバスに乗って、石仏の里に行かせてくれ!

 バスは町中をくるくる回って、市街地を出ようとしているみたいです。

 川が見えました。その向こうに、フンドーキンという麦みその会社です。ああ、時間があれば、フンドーキンさんの見学もさせてもらうのに、それはまた次回にとっておいて、早く町中を抜けてくれ!



 そういう焦りでキリキリしていました。6時からオープンしているはずなんだけど、最寄りのバス停に着くと、運転手さんは、「外で待つのは大変だね。まだ開いていないよ。」とのことでした。少しガクッとしたけれど、
「運転手さんは何も知らないのさ!」と、強く念じて入口へ急いだのです。

 


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