もういつだったか、忘れてしまいました。とにかく18キップで伊勢奥津というところまで行ってみました。……といっても、実は何度も何度もこちらには来ています。たいていはクルマで行ってたんですけど、長い間崖崩れのところがあって、クルマは通れないということだったので、遠ざかっていたんでした。
でも、最近規制はなくなったようでした。だったら、クルマで行けばいいんですけど、それをあえて電車で行く、変なこだわりは大切です。
伊勢奥津駅、何度も来ているし、そんなに感動はありません。でも、とても静かで、あたたかだったので(だからネコさんも日向ぼっこをしていました)、奈良方面に歩いてみました。
もうどこまでも歩いて行けそうでしたし、せめて次の宿場まで行けたらよかったのだけれど、次の電車で帰ることに決めていたので、40分ほどで行けるとこまで行き、時間が来たら駅まで戻ることにしました。
ずっと切れ目なく家は続いているし、わりと平坦で歩くにはちょうどいい負荷でした。少しずつ坂はあるみたいで、奈良の御杖村まで坂道は続きます。そこからいくつものアップダウンがあって、榛原の方まで道は続いています。榛原で伊勢本街道と初瀬街道が合流して、長谷寺の下を抜けていくのです。
いつか、この伊勢本街道も走破したいですけど、いつになることやら、思っているうちにやらないと、たぶん、ずっとやらないだろうな。
そして、私はふたたび電車に乗り、みどりと光の中を松阪方面に向かっていきました。
伊勢奥津、比津(ひつ、ここは静かな山里の駅)、伊勢八知(いせやち)、伊勢鎌倉(ここはすごい秘境駅)、伊勢竹原、家城(いえき)と続いていきます。
別になんということもない駅名だけど、どこにでもありそうで、どこにもないような駅名みたいです。伊勢とつけないと、よそと混同してしまうんだろうけど、どうして鎌倉があったり、奥津(おきつ)があったりするんだろうな。
やはり、昔このあたりは、中世は北畠氏が一つの世界を作ってたんでしょうね。それをあの信長さんの策略で少しずつ削られていき、最後はご当主が織田家の息子さんに家を乗っ取られ、滅びてしまうんでした。滅ぼされた側の歴史はもう埋もれてしまって、地元でも物語としては受け継がれていません。いろんな悲劇があったと思うんだけど。誰か書いてないのかな。
どんなに遺跡が出てきても、考古学的な発見があっても、歴史の資料があっても、そこに物語を描いてもらわないと、私たちはそこに肩入れできないようになっていて、ただ漠然と滅びたんだと思っているだけです。イメージが湧いてこない。
いつか、ちゃんとそうした物語を、どこかから掘り起こして来なくちゃいけないな。それを誰がやるの? 私も、少しだけでも、知ろうとしなくちゃ!
比津から伊勢八知に着く直前に大洞山が見えます。この2つの耳を持つ山、双耳峰というのかな。左が雌岳で右が雄岳で、何とも言えず、好きですね。私のブログのキャラにもなってもらってます。
さあ、まだ明るかったし、次はどこへ行ったんでしたっけね。