甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

相馬と奄美 2人のルーツのこと

2014年09月18日 21時13分50秒 | 本と文学と人と

 吉田満さんは、東大から海軍、戦後日銀に入り堅実に生きてこられた人でした。けれども、戦艦大和から続く戦争体験は一生消えず、吉田さんの人生に黒々と残った体験になりました。戦記(「戦艦大和ノ最期」)を世に著し、発言をしてこられた人でしたが、なんとルーツは福島県の相馬だったらしいのです。

 島尾敏雄さんは、奄美がルーツではありませんが、終戦をこちらで迎え、ここで奥さんを見つけ、ここに住み、ここでの体験にこだわりつづけた人でした。奄美地方は、政治システムでは鹿児島県に編入させられていますが、きっと地域の人たちは、沖縄の方へ親近感を抱き、つながりや共通点をたくさん持っていました。

 しかも、鹿児島県の本体は、島々を蔑視しているというのか、軽視している。またはただの自分たちの管理地域の中でも不便なところと見ているというのか、どうもフラットには見ていない。

 都会からの旅人は、そうした地域の事情など関係なく、独特の風土を愛し、訪ねてくれる人はたくさんいるようです。たまたま私は、まだ訪れたことはありませんが、フラットな気持ちで、未知の地域の人たちと楽しくやれるのではないかと思ったりしますが、どうなんでしょうね。

 とにかく、一度訪れてみたい土地です。

 2人の対談を見てみましょう。


吉田 相馬というのは東北の中では、浜通りで関東につながっている……

島尾 入り口です。だから、大分関東が入り込んでいます。あそこはちょっとグジャグジャですね。しかし、福島県の中でも、よくいえば根性がある。悪くいえば根性が悪いというのは、会津と相馬ですね。なぜ相馬のような小藩がそうかというと、あそこはあんな街道の途中なのに、頼朝の安堵以来大名が国替えにならない珍しいところなんです。まあ島津は分かりますね。端っこだから。対馬の宗氏も最初から変わっていない。

  相馬のような不安定な場所で大名が変わらなかったというのは、ほかには聞かないですね。戦国時代もあるし、いろんな理由で亡びてしまうとか、それから徳川時代になったら、徳川氏はどんどん国替えさせましたからね。それで結局、相馬は動かなかった数少ない大名の一つです。よっぽどうまく立ち回ったのか、生き残るための知恵があったのか。そして先祖は将門だといっているでしょう。へんなところです、あそこは。六万石の小さいところですけれどね。まあ、人間は意地悪かもしれないなあ……。


 相馬野馬追いというお祭りがあって、よろい・かぶとの人たちが集団になって野原を駆け回るお祭りがあるようです。一度見てみたいお祭りの1つでしたが、震災後もちゃんと続けておられるようです。

 あの、お祭りがあったのは、相馬藩という特別な藩が戦国時代からずっとあそこにあったから、その関係もあって今に至っているのかなと、根強い力を感じて、そういう特別な地域が、あの震災でズタズタにされたのかと、心が痛くなりました。



吉田 仙台なんかと距離が近いけれど、ずいぶん違いますね。

島尾 仙台の伊達との関係なんかも、ずいぶん危いところまで行きながら、うまく切り抜けて……。伊達郡というのは相馬郡とくっついていますからね。仙台の伊達ももともとはその辺りから出たんでしょう。

吉田 奄美という所は、沖縄なんかとはずいぶん違いますか。

 島尾 それは違いますね。奄美は薩摩藩時代からその直轄になって、明治になってもずっとそのまま鹿児島県でしょう。まあ戦後八年ぐらい琉球政府下で沖縄と一緒になりましたけれど、だいたい鹿児島と密着しているから、奄美から南の、たとえば沖縄の方から比べると、ずいぶん本土化していますね。言葉が全然、奄美は琉球方言ですからね。琉球方言の中でも、沖縄と一番近いんです。宮古とか八重山の言葉はもっと遠いんです。ですから、奄美の方が沖縄に近いんです。


 こちらは、島尾さんの証言なのですが、奄美は沖縄とものすごく近いということを改めて知りました。

 私たちは、わかっているようで何もわかっちゃいないです。もっともっと、いろんなところへ出かけて、いろんな人と話をして、世界や日本を、知らなくてはいけないと思います。

 年末年始、南へ行こうかしら、ツバメたちの後を追って!



★ ただの引用から1年。確かにもうすぐツバメの家族は南に向かう感じです。子どもも大きくなって一緒に電線や屋根の上にいるようです。

 でも、たくさん並んでいても、家族同士が向き合って屋根やら、電線にいて、家族同士でおしゃべりしているようです。まるで運動会の家族のようです。そりゃ、鳥の世界だって家族が中心ですね。ツバメさんたちは命がけで日本に来て、子育てをして、命がけで南へ帰っていくのだから。

 そして、そのうちの何割かは日本で死んでしまうツバメさんだっている。子どもさんがカラスに襲われたり、旦那さんが道の上で転がっていたり、そんなこんなで日本で暮らしている。

 子どもを食べられた夫婦、ダンナを亡くした奥さん、いろんな悲しみを抱えて南へ帰り、3月になればまた帰ってくる。ほんとにオバカな生活サイクルです。どうしてもっと楽な生き方をしないの? と思ったりしますが、ツバメさんたちはごく普通に、当たり前のように日本と南との棲み分けをしているんですね。偉いです。

1 秋ツバメ 個々の家族で団らんす




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