『永遠のゼロ』というのは、書店で見つけて、気まぐれで買いました。もう何年か前のことです。しばらくしたら読んでみました。作者はテレビマンとかだそうで、見せ所と落ち着きどころを巧みに使い分けて、上手にお客を盛り上げたり、落ち着かせたりすることのできる人でした。
読んでいて、そういう駆け引きの上手な人だ! と、そういう面で感心しました。もちろん腕も達者なもんで、読者をうまく引きつけます。そりゃ、売れるのだろうな、今までこういうものがなかったし、ゼロ戦ブームを巻き起こすことに成功したようです。本人さんは、こうすれば売れるというのがわかっていたようです。私も売れるように書いているんだろうなと思いつつ、つい力も入りながら、戦闘を上手に描写していて、つい引き込まれました。
それで、ブームに火を付けただろうけど、なんかうさんくさいなあと思い、奥さんが読んだらすぐにブックオフに持って行きました。たぶん100円以下の買い取り価格だったでしょうか。わりとすぐ持って行ったつもりだし、ブームになる前に持って行ったつもりでしたが、ダメでした。
まあ、そんなものですね。とにかく『永遠のゼロ』は信じないことに決めました。映画を見て感動している人たちもいたようですが、「へーっ」と興味のない返事をして、スルーしてしまいました。私は、興味を持つのはいいかもしれないけれど、あれがすべてだと思わないでもらいたいし、感動してはいけないと思っていました。そこは気持ちをセーブして、何かあるぞと思って欲しかったのです。でも、単純なとっかかりとしてはいいのかもしれないとも思い、まあ、みんなが戦争のことを語るのも悪くはないと思ったものでした。
私はもちろん戦争を体験していません。ただイメージの中で戦争を思い描くだけです。そして、私のイメージする戦争は、無残に日本軍が圧倒的な米軍の力に蹴散らされる、米軍の側から撮った映像のイメージです。海に消える飛行機、爆弾も射撃も届かぬうちに敵機に打ち落とされる飛行機、ものすごい戦艦の砲弾、みんな米軍から見たあわれな日本軍の姿でした。
その無残に消えていく日本の飛行機の飛行士が私です。「おかーさーん」と叫び、「熱いよ-」と涙を流し、声にもならない声を出し、操縦不能でどんどん降下していくものすごい重力を感じ、あと数秒後には海に落ちて大破する様を思い描き、ものすごく苦しいイメージです。
それは、ドラマになんかして欲しくないし、そんなのはわかりきったことなのです。実写映像にしなくても、スローでモノクロで、過去のフイルムの編集で十分です。わざわざ再現する必要などありません。
まあ、今の映像は丁寧に何もかも、CGやらなにやらあらゆる技術を使ってこれでもかと見せてくれるだろうけれど、余計なお世話ですね。
ブツクサ書きました。映像も小説も必要ありません。1つの聞き書きだけでいい。または1つのノンフィクションだけでいい。そこから私たちは、あれこれ思いやる時間とイメージ力を持たなきゃいけません。
私も、もっとそういうことが必要です。『永遠のゼロ』みたいな読み物は本棚に置いておくのもイヤだから、わりとすぐに持って行きました。
さて、『特攻体験と戦後』という中公文庫は、本棚に置き、何度も何度も読もうと思います。
★ 抜き書きをします。
吉田 わたしの(『戦艦大和ノ最期』という作品)は、忠実に戦争の中の自分を再現するようなことですから、むしろ終戦からあまり時間がたったのではいけないし、それから戦争が終わるまでは、戦争の記録を書こうということは、全くもう頭にありませんでしたから。
その頃がぎりぎりの時期だったと思うんですが、島尾さんは(昭和)二十一年頃から、奄美の経験を扱った「島の果て」の初稿をお書きになって、それから「出発は遂に訪れず」が(昭和)三十七年ですね。十五、六年以上も同じような主題をずっと追っかけておられて、そうすると、今いわれた、わだかまりのようなものは、現在もまだ少し尾を引いて残っているわけですか。
島尾 どういうことになりますかねえ。ふだんはあまり考えませんが、全然取れてしまったともいえないでしょうね。なにかもっとすっきりした身の処し方というものが、あったんじゃないかなという気持ちは、なかなか取れませんね。しかし、それは恐ろしいことで、なかなかできそうもなかったことですけれども……。
吉田 外国の、特にアメリカなんかの、われわれと同年配の戦中派、戦争を経験した人たちは、どうもそういう陰影みたいなものはないですね。
島尾 ああ、そうですか。
吉田 そのことがずいぶん気になったことがありました。彼らはむしろ逆にその経験が一つのエネルギーになっている。ケネディなんて人の存在はそういうことだと思うんですけど、しかし、なんか、戦後の日本がやってきたことの中には、わだかまりというか、陰影が尾を引いていて、だからいまだに敗戦という事実につながっているんじゃないかという気がするんですが……。
お二人の対談されてたころ、70年代半ば、はじめてアメリカ軍に陰影が生まれ、それらを取り上げた映画が生まれました。「追憶」「ディア・ハンター」「地獄の黙示録」「プラトーン」「ハンバーガーヒル」もっといっぱいあったと思います。ベトナム戦争を経験したアメリカは、やっと戦争が嫌いになれたのです。アメリカの挫折です。それ以前は経験したことがなかったのですから、まあ、仕方ないですね。
私たち日本人は、何をこんなにアメリカ映画はベトナム戦争のことを取り上げるのだろうと思っていましたが、アメリカの人たちには貴重な体験だったのですね。今ごろになってわかります。私たち日本人はその30年前にすっかり味わっていたことでした。
島尾 その日本人の発想の中の、なんかこう、陰湿というか、暗い、そういう考え方から、ぼくは抜け出したいという気持ちが強いんですけど。どうですか、やっぱりこう、武士道というのがあるでしょう。その時代によって、侍のものの考え方は変わってきているでしょうけれども、特に徳川時代にこしらえられた侍の考え方みたいなもの、そういう考え方から、われわれ日本人は自由になれないというふうなところがありますね。実をいうと、ぼくはその武士の考え方というのを、そのまま受け止めたくないんです。もっと自由な考え方をしたいんですけれども、なんとなく、引っかかりますね。
吉田 武士道ね。わたしは、あまり関心がありません。戦争末期の海軍は、武士道的なものがだいぶ薄れていたんじゃありませんか。ところで、わたしなんかの場合は、じゃそういうものがなければ、特攻の経験や敗戦の意識がなければ、非常に戦後の生活がすっきりとして、もう少しましなことができたかというと、どうもやっぱり戦争を経験したことの重要な意味の一つは、どうもそういう後ろめたさの実感にあるので、今でもそれから逃れられないで、結局いまだに何かやってるという、そういうことに意味を見出していかなきゃいかんのかな、という気がするわけです。つまり、何をどうしたら、それがふっきれるかということは、なかなか出てこないですね。
島尾さんは、武士道から離れたところで部隊の隊長さんをして、部下たちをはげまし、いつ出撃となるのか、その命令が来るのを待ち続けました。吉田さんは、大和とともに消えた仲間たちの無念を思い、とにかく虚無的な気分を抱えながら生きていた。そして、やたら軍人たちが武士道うんぬんするのをうさんくさいと見ていた。そして武士道を鼓舞する連中こそ最も武士道から遠い存在だと看破していたのでした。
読んでいて、そういう駆け引きの上手な人だ! と、そういう面で感心しました。もちろん腕も達者なもんで、読者をうまく引きつけます。そりゃ、売れるのだろうな、今までこういうものがなかったし、ゼロ戦ブームを巻き起こすことに成功したようです。本人さんは、こうすれば売れるというのがわかっていたようです。私も売れるように書いているんだろうなと思いつつ、つい力も入りながら、戦闘を上手に描写していて、つい引き込まれました。
それで、ブームに火を付けただろうけど、なんかうさんくさいなあと思い、奥さんが読んだらすぐにブックオフに持って行きました。たぶん100円以下の買い取り価格だったでしょうか。わりとすぐ持って行ったつもりだし、ブームになる前に持って行ったつもりでしたが、ダメでした。
まあ、そんなものですね。とにかく『永遠のゼロ』は信じないことに決めました。映画を見て感動している人たちもいたようですが、「へーっ」と興味のない返事をして、スルーしてしまいました。私は、興味を持つのはいいかもしれないけれど、あれがすべてだと思わないでもらいたいし、感動してはいけないと思っていました。そこは気持ちをセーブして、何かあるぞと思って欲しかったのです。でも、単純なとっかかりとしてはいいのかもしれないとも思い、まあ、みんなが戦争のことを語るのも悪くはないと思ったものでした。
私はもちろん戦争を体験していません。ただイメージの中で戦争を思い描くだけです。そして、私のイメージする戦争は、無残に日本軍が圧倒的な米軍の力に蹴散らされる、米軍の側から撮った映像のイメージです。海に消える飛行機、爆弾も射撃も届かぬうちに敵機に打ち落とされる飛行機、ものすごい戦艦の砲弾、みんな米軍から見たあわれな日本軍の姿でした。
その無残に消えていく日本の飛行機の飛行士が私です。「おかーさーん」と叫び、「熱いよ-」と涙を流し、声にもならない声を出し、操縦不能でどんどん降下していくものすごい重力を感じ、あと数秒後には海に落ちて大破する様を思い描き、ものすごく苦しいイメージです。
それは、ドラマになんかして欲しくないし、そんなのはわかりきったことなのです。実写映像にしなくても、スローでモノクロで、過去のフイルムの編集で十分です。わざわざ再現する必要などありません。
まあ、今の映像は丁寧に何もかも、CGやらなにやらあらゆる技術を使ってこれでもかと見せてくれるだろうけれど、余計なお世話ですね。
ブツクサ書きました。映像も小説も必要ありません。1つの聞き書きだけでいい。または1つのノンフィクションだけでいい。そこから私たちは、あれこれ思いやる時間とイメージ力を持たなきゃいけません。
私も、もっとそういうことが必要です。『永遠のゼロ』みたいな読み物は本棚に置いておくのもイヤだから、わりとすぐに持って行きました。
さて、『特攻体験と戦後』という中公文庫は、本棚に置き、何度も何度も読もうと思います。
★ 抜き書きをします。
吉田 わたしの(『戦艦大和ノ最期』という作品)は、忠実に戦争の中の自分を再現するようなことですから、むしろ終戦からあまり時間がたったのではいけないし、それから戦争が終わるまでは、戦争の記録を書こうということは、全くもう頭にありませんでしたから。
その頃がぎりぎりの時期だったと思うんですが、島尾さんは(昭和)二十一年頃から、奄美の経験を扱った「島の果て」の初稿をお書きになって、それから「出発は遂に訪れず」が(昭和)三十七年ですね。十五、六年以上も同じような主題をずっと追っかけておられて、そうすると、今いわれた、わだかまりのようなものは、現在もまだ少し尾を引いて残っているわけですか。
島尾 どういうことになりますかねえ。ふだんはあまり考えませんが、全然取れてしまったともいえないでしょうね。なにかもっとすっきりした身の処し方というものが、あったんじゃないかなという気持ちは、なかなか取れませんね。しかし、それは恐ろしいことで、なかなかできそうもなかったことですけれども……。
吉田 外国の、特にアメリカなんかの、われわれと同年配の戦中派、戦争を経験した人たちは、どうもそういう陰影みたいなものはないですね。
島尾 ああ、そうですか。
吉田 そのことがずいぶん気になったことがありました。彼らはむしろ逆にその経験が一つのエネルギーになっている。ケネディなんて人の存在はそういうことだと思うんですけど、しかし、なんか、戦後の日本がやってきたことの中には、わだかまりというか、陰影が尾を引いていて、だからいまだに敗戦という事実につながっているんじゃないかという気がするんですが……。
お二人の対談されてたころ、70年代半ば、はじめてアメリカ軍に陰影が生まれ、それらを取り上げた映画が生まれました。「追憶」「ディア・ハンター」「地獄の黙示録」「プラトーン」「ハンバーガーヒル」もっといっぱいあったと思います。ベトナム戦争を経験したアメリカは、やっと戦争が嫌いになれたのです。アメリカの挫折です。それ以前は経験したことがなかったのですから、まあ、仕方ないですね。
私たち日本人は、何をこんなにアメリカ映画はベトナム戦争のことを取り上げるのだろうと思っていましたが、アメリカの人たちには貴重な体験だったのですね。今ごろになってわかります。私たち日本人はその30年前にすっかり味わっていたことでした。
島尾 その日本人の発想の中の、なんかこう、陰湿というか、暗い、そういう考え方から、ぼくは抜け出したいという気持ちが強いんですけど。どうですか、やっぱりこう、武士道というのがあるでしょう。その時代によって、侍のものの考え方は変わってきているでしょうけれども、特に徳川時代にこしらえられた侍の考え方みたいなもの、そういう考え方から、われわれ日本人は自由になれないというふうなところがありますね。実をいうと、ぼくはその武士の考え方というのを、そのまま受け止めたくないんです。もっと自由な考え方をしたいんですけれども、なんとなく、引っかかりますね。
吉田 武士道ね。わたしは、あまり関心がありません。戦争末期の海軍は、武士道的なものがだいぶ薄れていたんじゃありませんか。ところで、わたしなんかの場合は、じゃそういうものがなければ、特攻の経験や敗戦の意識がなければ、非常に戦後の生活がすっきりとして、もう少しましなことができたかというと、どうもやっぱり戦争を経験したことの重要な意味の一つは、どうもそういう後ろめたさの実感にあるので、今でもそれから逃れられないで、結局いまだに何かやってるという、そういうことに意味を見出していかなきゃいかんのかな、という気がするわけです。つまり、何をどうしたら、それがふっきれるかということは、なかなか出てこないですね。
島尾さんは、武士道から離れたところで部隊の隊長さんをして、部下たちをはげまし、いつ出撃となるのか、その命令が来るのを待ち続けました。吉田さんは、大和とともに消えた仲間たちの無念を思い、とにかく虚無的な気分を抱えながら生きていた。そして、やたら軍人たちが武士道うんぬんするのをうさんくさいと見ていた。そして武士道を鼓舞する連中こそ最も武士道から遠い存在だと看破していたのでした。