少しだけ帰りが遅くなりました。家族はみんなゴハンを食べた後でした。予定通りだったので、「先に食べて」とお願いしていたのです。
帰りは雨になりました。それほど強い雨ではないけれど、しっかり降っているから、明日の朝もグズついているでしょう。冬なのに、雨が降るなんて、寒気はどこへ行ったやら、お風呂上がりの私は、ストーブも消したというのに、Tシヤツ1枚でブログを書いています。寒くありません。どうしたことでしょう。喜ぶべきかな……。
農作物のためには、冬は寒さ厳しく、夏は雨が適度に降って、しっかり太陽が輝いてしてもらった方がいいでしょう。温かい冬なんて、しらけてしまう。冬は冬らしく、できたら杉の花を蹴散らすくらいに雨や風が吹いてもらうと、私としてはうれしいのですけど、たぶん、杉は杉で、雨にも耐えて、風にも耐えて、花の準備をしていることでしょう。それはそれで仕方がありません。
帰りは少し遅くなりました。そして、いつもの通勤ルートではなくて、県庁所在地の津の中心部から帰ってきました。めったにあることではないので、国道23号線を縫うようにして、走ってきました。抜きつ抜かれつ、右車線左車線とすきまを見つけて走りました。
ご帰宅の時間帯は過ぎていたので、家路を急ぐクルマと、仕事なのでとにかく荷物を運ばねばならないトラックと、なんだか不安げな軽自動車などが走っていて、夕方であればスマホしながら運転の人たちを見つけてはハラハラしなくてはいけないですが、そんなのは蹴散すように走ればいいし、どのクルマも戦々恐々・とにかく早い者勝ちの流れで、急ブレーキがどこであるかもしれないので、わりと充実した運転になります。頭をギラギラさせて走るのです。何だか危なっかしいです。
津の町中は、信号の加減で、後ろにだれもいなくなる時があって、前方で信号待ちしているクルマともかなりの距離があると、もうアクセルから足を離して、惰性で走らせます。それで雨の夜で、都市のど真ん中だから、といってもただの津市ですけど、「タクシー・ドライバー」を気取ろうと思って、サントラは持っていないので、いつもクルマの中に転がっているジョン・コルトレーンの「バラード」のCDを鳴らせることにしました。
そして、ゆっくり信号待ちのクルマの後ろにつきます。傘をさした人々、傘さし運転のオジサンとかはとてもニューヨークではないけれど、それでも、ゆっくり視界を横切ってくれるので、このオジサンだって、津の「タクシー・ドライバー」気取りの私には、スローモーションのように見えます。
ああ、ゆったりとした待ち時間です。信号が青に変われば、また遅い車を見つけては抜いて、トラックの後ろに出たら、車線変更のチャンスを待って……。なかなかドキドキする時間を過ごしています。
自分の表情は見えないから、とにかく気分はロバート・デニーロで、街はニューヨーク、雨の夜。すしチェーン店・クルマのディラー・赤ちゃん用具店・津ボート・メガネチェーン店・どれもこれも視界には明かりだけを入れて、看板などははっきり見えないことにして、走り抜けると、すぐに町はずれに来ました。
そうしたら、ただの帰り道になってしまって、おなかが空いて、ジョン・コルトレーンも耳に入らなくなって、気分がただの遅い帰りになって、しぼんでいきました。
だから、これまたクルマの中に転がっているIVYの編集CDに換えて、それでも気分は盛り上がらないので、とにかく今夜の私は「タクシー・ドライバー」なのだと思い込んで、家に帰ったら、赤と白のワインを1杯ずつ飲んでみました。
太宰治の「富岳百景」にこんな夜がありました。雨は降ってなくて、富士吉田の若者たちが飲みに誘ってくれたので、天下茶屋を降りて、吉田で飲んで、若者たちとたくさんおしゃべりをして、どてら姿で1人町中を歩いてみることにして、夜の富士山と対峙して、ついでに財布を落として、それに気づいたらあわてて引き返して、財布を見つけて酔いも覚めて、しんみり宿に帰った夜というのがありました。
そういう太宰気取りでもないかもしれませんが、何かに仮託してみたい帰り道だったのでしょうか。私も今は酔いが覚めて、そろそろ寝ないといけません。長谷寺のつづきは明日書きます。初瀬街道を極めつくすつもりの私です。さて、どうなることやら……。
帰りは雨になりました。それほど強い雨ではないけれど、しっかり降っているから、明日の朝もグズついているでしょう。冬なのに、雨が降るなんて、寒気はどこへ行ったやら、お風呂上がりの私は、ストーブも消したというのに、Tシヤツ1枚でブログを書いています。寒くありません。どうしたことでしょう。喜ぶべきかな……。
農作物のためには、冬は寒さ厳しく、夏は雨が適度に降って、しっかり太陽が輝いてしてもらった方がいいでしょう。温かい冬なんて、しらけてしまう。冬は冬らしく、できたら杉の花を蹴散らすくらいに雨や風が吹いてもらうと、私としてはうれしいのですけど、たぶん、杉は杉で、雨にも耐えて、風にも耐えて、花の準備をしていることでしょう。それはそれで仕方がありません。
帰りは少し遅くなりました。そして、いつもの通勤ルートではなくて、県庁所在地の津の中心部から帰ってきました。めったにあることではないので、国道23号線を縫うようにして、走ってきました。抜きつ抜かれつ、右車線左車線とすきまを見つけて走りました。
ご帰宅の時間帯は過ぎていたので、家路を急ぐクルマと、仕事なのでとにかく荷物を運ばねばならないトラックと、なんだか不安げな軽自動車などが走っていて、夕方であればスマホしながら運転の人たちを見つけてはハラハラしなくてはいけないですが、そんなのは蹴散すように走ればいいし、どのクルマも戦々恐々・とにかく早い者勝ちの流れで、急ブレーキがどこであるかもしれないので、わりと充実した運転になります。頭をギラギラさせて走るのです。何だか危なっかしいです。
津の町中は、信号の加減で、後ろにだれもいなくなる時があって、前方で信号待ちしているクルマともかなりの距離があると、もうアクセルから足を離して、惰性で走らせます。それで雨の夜で、都市のど真ん中だから、といってもただの津市ですけど、「タクシー・ドライバー」を気取ろうと思って、サントラは持っていないので、いつもクルマの中に転がっているジョン・コルトレーンの「バラード」のCDを鳴らせることにしました。
そして、ゆっくり信号待ちのクルマの後ろにつきます。傘をさした人々、傘さし運転のオジサンとかはとてもニューヨークではないけれど、それでも、ゆっくり視界を横切ってくれるので、このオジサンだって、津の「タクシー・ドライバー」気取りの私には、スローモーションのように見えます。
ああ、ゆったりとした待ち時間です。信号が青に変われば、また遅い車を見つけては抜いて、トラックの後ろに出たら、車線変更のチャンスを待って……。なかなかドキドキする時間を過ごしています。
自分の表情は見えないから、とにかく気分はロバート・デニーロで、街はニューヨーク、雨の夜。すしチェーン店・クルマのディラー・赤ちゃん用具店・津ボート・メガネチェーン店・どれもこれも視界には明かりだけを入れて、看板などははっきり見えないことにして、走り抜けると、すぐに町はずれに来ました。
そうしたら、ただの帰り道になってしまって、おなかが空いて、ジョン・コルトレーンも耳に入らなくなって、気分がただの遅い帰りになって、しぼんでいきました。
だから、これまたクルマの中に転がっているIVYの編集CDに換えて、それでも気分は盛り上がらないので、とにかく今夜の私は「タクシー・ドライバー」なのだと思い込んで、家に帰ったら、赤と白のワインを1杯ずつ飲んでみました。
太宰治の「富岳百景」にこんな夜がありました。雨は降ってなくて、富士吉田の若者たちが飲みに誘ってくれたので、天下茶屋を降りて、吉田で飲んで、若者たちとたくさんおしゃべりをして、どてら姿で1人町中を歩いてみることにして、夜の富士山と対峙して、ついでに財布を落として、それに気づいたらあわてて引き返して、財布を見つけて酔いも覚めて、しんみり宿に帰った夜というのがありました。
そういう太宰気取りでもないかもしれませんが、何かに仮託してみたい帰り道だったのでしょうか。私も今は酔いが覚めて、そろそろ寝ないといけません。長谷寺のつづきは明日書きます。初瀬街道を極めつくすつもりの私です。さて、どうなることやら……。