薄暗いところで撮りました。写真のできはよくありません。
でも、とにかく私の手元にあるという事実を確認したかったのです。たぶん、埼玉の川越からわざわざうちまで来てくれました。ありがたいことです。
1987年に新潮社から単行本が出たそうです。福武書店からたくさん出ていた干刈あがたさんを、新潮社でも本を出してもらおうと思って、お願いしたんでしょうね。そして、いくつか出て、文庫本は1990年の4月に出ているそうです。私たち家族が三重県での生活を始めたころ、あがたさんの本が文庫で出ていたんですね。
もう30年くらい前に出ていたようです。
うちに来たこの本をあちらこちらながめて見ますと、古い本ではあるようです。でも、誰も読んでないような感じで、誰にも手に取られずに時間だけが過ぎてしまっていた。
最近、30年前の自分たちを見つめようとあれこれしていて、あがたさんを見直したのもその一環だと思われますが、そして、なんとこの本は、あがたさんの自分探しを作品にまとめた「入江の宴」というのが入っています。
あがたさんは、鹿児島の南の島にルーツがあるそうで、そこを取材した作品が収録されている。それが知りたくてずっと古本市まわりをしていたんですけど、とうとう諦めてネットで購入しました。
価格は送料込みで300円くらい。信じられない価格です。こんなことで古本業界はやっていけるんだろうか。
不安になるくらい安かった。まあいいです。とりあえず読んでみて、少しずつ研究してみましょう。
とはいうものの、私は何を研究したいんだろう。わからなくなってきましたね。
改めて家族というのを研究するということなのかな。あまり成果はあがらないだろうな。
★ 2019.2.23 Sat
書き切れていないことをもう少し書いてみます。
この文庫を開いたところに、「新潮社のハードカバー 窓の下の天の川 干刈あがた」と宣伝が載っています。
内容は、「別れた夫も難問にぶつかっている、性のざわめき、体の不調が私を襲う。離婚、性、恋愛と孤独……女性のシングル・ライフを描く。」というキャッチコピーが書かれています。
これでこの本を読みたいと思う人がいたんだろうか。
私なら、「ああ、こんなのめんどくさい」と思って、全く手に取らないでしょう。
三十年が経過しているから、もし文庫で出ているなら、買おうかなと思う程度です。
そして、たぶん、読まない。読む必要に迫られないからです。そんなの勝手にやって、と思うだけです。
私は、あがたさんの本をとりあえず集めています。どうしてかというと、以前読んだ短編で見直してから、とりあえず彼女の作品を掘り起こしてみようという気持ちがあるからです。
2019年の今でも、彼女の作品は読み返されるべきだと思うからです。
そんな「シングル・ライフ」を知りたいから読むわけではありません。もっと別の意図があるはずだと思って読むのだと思われます。
そして、彼女の作品は、短編が意外とおもしろいかもしれないという期待も持っています。
短編なら、私でも読めそうな気がする、という安心感もあります。
30年、時代は変わってしまいました。世の中は、不安定でウソばかりがはびこる社会になっています。
世の中のニュースとして流されるものは、たいていがウソだという気がしています。真実は隠されている。表面的にはきらびやかで、華やかなことが行われているみたいだけど、内実はボロボロになっています。
それを何とかしようと、地方ではあれこれ取り組みが行われていますが、なかなか突破口は見つからない。けれども、やらないよりは、やる方がいいから、心ある人はこれからも地方を活性化しようとするでしょう。
経済の波は、地方をゴミ捨て場にしようと手ぐすね引いて待っている。ソーラーバネルと廃棄物と不法ごみといろんな要らないものを、中国は受け入れてくれないし、国内に、できれば文句を言わない、お金に困っている地方に捨てるしかないと思っている。
それに対抗して、地方は地方としての輝きを、自らの力で持つしか道はありません。お金はもちろんない。だから、頼みは人の力だけ。それで町を活性化するしかない。その人の力は、経済でグラグラと揺さぶられてしまう。何人かの地方の人は、地域の活性化のためには、ゴミであろうとも、受け入れるしかないと、環境には目をつぶってこっそりと受け入れている。
地方はいつも分断化しようとする経済の論理で切り刻まれています。それをみんながまあるくおさまる人の力、うまく作れないかなと私は祈るような気持ちです。
この30年、大阪から三重県に来た私は、とにかく三重県の住みよさを感じ、これは守っていかなくてはという気持ちを心に蓄えてきました。
私も、三重県もお金はない。道路はそこそこ作った。でも、人は来ない。もちろん、よその人にしてみれば、わざわざ来たいところがない。伊勢神宮だけが輝いていて、他はくすんで見える。伊勢エビ、海女さん、真珠、海岸、どれも魅力が感じられないし、とても閉鎖的な空間です。魅力がないように見えてしまう。
確かにそうだけど、住むにはほどほどで、文化やスポーツはさっぱりだけど、それも無理すれば、名古屋や京都、大阪に行けば何とかなる。
そんなこんなで三重県での30年が私にはあった。
そうしたら、やけにあがたさんが恋しく見えた。小説世界の人たちがいとおしい存在になった。
私も年を取ったということなのか。何なんだろう。とにかく、あがたさんを伝えなくてはという使命感は持っています。そのためには、もっと読まなくては!