* 耐える恋とは?
よろづのことも、始め終はりこそをかしけれ。男女(をとこをんな)の情けも、ひとへに会ひ見るをばいふものかは。
何事も、始めと終わりとが味わい深いものである。男女の恋愛にしても、一途に会ったり見たりする場合だけを恋といおうか(反語ですね)。
恋愛というのは、やたらとベタベタとして、いつも一緒でなきゃダメだ、というのはよくあることです。でも、いつも好きな人とベタベタしていると、その二人は簡単に社会から転落して、やがては二人の愛そのものも終わってしまうということがあります。
やはり、愛というのは、適度にふれあうものであり、のべつ幕なしにくっついていいというものではない。会えない時があるから、再び会えた時が貴重で、見送ったりするときも、しばらく会えないのがさびしいと見送り、見送られるわけで、そういう関係こそが望ましい。
恋愛においても、始まりがあり、いつか終わりがある。その最初と最後というのは、ものすごく深い意味を持つものだ、と兼好さんは言います。あれ、兼好さんは坊主じゃなかったのか。いや、そこにたどりつくまでに恋愛とかもしてみた、ということなのかな。すべてを経験した上で、そうおっしゃっているんでしょう。
恋愛って、どんな形があるの?
会はでやみにし憂(う)さを思ひ、あだなる契(ちぎ)りをかこち、長き夜をひとり明かし、遠き雲ゐを思ひやり、浅茅(あさじ)が宿に昔をしのぶこそ、色好むとはいはめ。〈137段〉
いろんな恋の形というのがありますよ。
会うことができないで終わってしまった恋のせつなさを思い、
むなしく約束だけで破れてしまった恋を嘆き、
秋の長い夜をひとりで待ちつづけて朝を迎え、
遠い空の雲のかなたに恋人のことを思い慕い、
浅茅の荒れた宿で、昔恋人と待ち合わせたようなことを回想したりするのを、
本当に恋の情趣を解する人ということができよう。
ですって!
好きだと手紙を書いて、会ってもいいわよと返事が来て、さあ、会いに行こうと思った時に、いろいろな事情で会えなくなってしまった。その人は、ゆえあって、もう再び会う機会はなくなってしまったとか……。
心が通じたと思ったのに、それを許さぬ人がいて、会いたくても会えなくなって、そのままずっとチャンスを失い、何度か会おうとチャレンジしたけれど、とうとう二人の間に手紙のやり取りも許されない高い壁ができた。そして、そのまま心は通じないままになった。
いつか一緒に夜を過ごせると思っていたのに、いつまでも機会は訪れず、秋の夜をずっとひとりで待ち続ける。それなら、もっと行動したらいいのにと思うけれど、それもできない事情があったとか……。
空を見上げて、この空の下に好きな人はいるはずなのに、地上にいる二人はいろいろなカベに邪魔されて会えないままで、ひたすら会いたいと思い続けること、そういうのも恋する時期にはあるのかもしれない。
昔、人里離れた山里で密会したこともあったと回想してみたり、そういう気持ちを相手に向けているものの、報われない時があること、それも恋というんじゃないのか。
そんな思うばかりでは、今の世の中はやっていけないと思いますが、王朝趣味の兼好さんですから、こういうのがお好きなようです。
というわけで、「浅茅が宿に昔をしのぶ」というのが風流なのです。
「そういうこともありましたね。」
「あの時はムチャクチャしてたから、キミに迷惑かけたかな……。」
「いろいろ我慢してたこともありますよ。」
「そうか、ちっともそういう事情があったなんて、知らなかった。もっと教えてくれてたら良かったのに!」
「いえ、当時はそういうことは言えなかった。」
「どうして?」
「どうしても……」
ああ、恋のムダ話でもしてみたいです。ハナ水たらしてイビキかいてるだけじゃ、ただの動物です。センスのある恋をしてみたいもんだ。でも、たぶん、無理です。ただのハナ水オッサンですから。
よろづのことも、始め終はりこそをかしけれ。男女(をとこをんな)の情けも、ひとへに会ひ見るをばいふものかは。
何事も、始めと終わりとが味わい深いものである。男女の恋愛にしても、一途に会ったり見たりする場合だけを恋といおうか(反語ですね)。
恋愛というのは、やたらとベタベタとして、いつも一緒でなきゃダメだ、というのはよくあることです。でも、いつも好きな人とベタベタしていると、その二人は簡単に社会から転落して、やがては二人の愛そのものも終わってしまうということがあります。
やはり、愛というのは、適度にふれあうものであり、のべつ幕なしにくっついていいというものではない。会えない時があるから、再び会えた時が貴重で、見送ったりするときも、しばらく会えないのがさびしいと見送り、見送られるわけで、そういう関係こそが望ましい。
恋愛においても、始まりがあり、いつか終わりがある。その最初と最後というのは、ものすごく深い意味を持つものだ、と兼好さんは言います。あれ、兼好さんは坊主じゃなかったのか。いや、そこにたどりつくまでに恋愛とかもしてみた、ということなのかな。すべてを経験した上で、そうおっしゃっているんでしょう。
恋愛って、どんな形があるの?
会はでやみにし憂(う)さを思ひ、あだなる契(ちぎ)りをかこち、長き夜をひとり明かし、遠き雲ゐを思ひやり、浅茅(あさじ)が宿に昔をしのぶこそ、色好むとはいはめ。〈137段〉
いろんな恋の形というのがありますよ。
会うことができないで終わってしまった恋のせつなさを思い、
むなしく約束だけで破れてしまった恋を嘆き、
秋の長い夜をひとりで待ちつづけて朝を迎え、
遠い空の雲のかなたに恋人のことを思い慕い、
浅茅の荒れた宿で、昔恋人と待ち合わせたようなことを回想したりするのを、
本当に恋の情趣を解する人ということができよう。
ですって!
好きだと手紙を書いて、会ってもいいわよと返事が来て、さあ、会いに行こうと思った時に、いろいろな事情で会えなくなってしまった。その人は、ゆえあって、もう再び会う機会はなくなってしまったとか……。
心が通じたと思ったのに、それを許さぬ人がいて、会いたくても会えなくなって、そのままずっとチャンスを失い、何度か会おうとチャレンジしたけれど、とうとう二人の間に手紙のやり取りも許されない高い壁ができた。そして、そのまま心は通じないままになった。
いつか一緒に夜を過ごせると思っていたのに、いつまでも機会は訪れず、秋の夜をずっとひとりで待ち続ける。それなら、もっと行動したらいいのにと思うけれど、それもできない事情があったとか……。
空を見上げて、この空の下に好きな人はいるはずなのに、地上にいる二人はいろいろなカベに邪魔されて会えないままで、ひたすら会いたいと思い続けること、そういうのも恋する時期にはあるのかもしれない。
昔、人里離れた山里で密会したこともあったと回想してみたり、そういう気持ちを相手に向けているものの、報われない時があること、それも恋というんじゃないのか。
そんな思うばかりでは、今の世の中はやっていけないと思いますが、王朝趣味の兼好さんですから、こういうのがお好きなようです。
というわけで、「浅茅が宿に昔をしのぶ」というのが風流なのです。
「そういうこともありましたね。」
「あの時はムチャクチャしてたから、キミに迷惑かけたかな……。」
「いろいろ我慢してたこともありますよ。」
「そうか、ちっともそういう事情があったなんて、知らなかった。もっと教えてくれてたら良かったのに!」
「いえ、当時はそういうことは言えなかった。」
「どうして?」
「どうしても……」
ああ、恋のムダ話でもしてみたいです。ハナ水たらしてイビキかいてるだけじゃ、ただの動物です。センスのある恋をしてみたいもんだ。でも、たぶん、無理です。ただのハナ水オッサンですから。