やっと「ナイルの流れのように」(ハムザ・エルディーン)読み終えました。
最後の方は、日本でのことがいろいろ書いてありました。本が出されてから、さらに日本とのつながりが深まり、もらった奥さんは日本の方のようでした。そして、日本に奨学生として住んでみたり、いろんな人との出会いがあったり、したようです。本当なら、ハムザさんが見た日本というのも書いてもらいたかったくらいです。資料はあると思うから、奥さんが編集してもらったら、新たな日本像が得られるんですけど、まだ出てないと思います。
ハムザさんはヌビア人でした。ナイルは、アフリカのエチオピアの高地などがある南の方から、北に流れていき、スーダンを通り、その北側にエジプトがあり、ナイルは地中海に注ぎます。
ヌビア人とは、アラブ人のイスラム教国のエジプトと、アフリカ系のスーダンの途中の土地の人々です。おそらく、スーダンには、もっといろいろな民族があるのだと思われます。それら様々な民族がとりあえずスーダンという国家を作ったんでしょう。国の枠である国境は不自然な一直線でエジプトと仕切られている。
大陸の中にある国々にとって、国境というのは、へっこんだり、書き替えられたり、右往左往するものなのだと思われます。本来はないところに無理やり線を引いてますから、それを機能させようとしたら、壁を作るしかありません。
それを21世紀の現代にやろうとしている時代錯誤な人が、トランプさんでした。彼はそろそろベトナムから米国に帰ったのかもしれないけど、どれだけの成果を得られたんでしょう。もともと魂胆ありの会談だから、底が見えていますね。北朝鮮の人々もアホではないのだから、トランプさんは何を取り引きしようとしているのか、そこらあたりはちゃんと判断して、得られるものなら何でも得ようとしたことでしょう。それはもう必死で来たんですからね。
トランプさんは、それはもう失礼な方なんだから、本人に向かって「やあやあ、ミスターロケット」と呼びかけたらよかったのにね(丁重にしたとしても、彼の他人をコバカにしている雰囲気はすぐに伝わってしまう!)。そうしなくても、見え見えなんだろうな。相手がそんなだから、北朝鮮としては、適当にやるしかないじゃないですか。
トランプさんなんて、どうでもいいことでした。ベトナムでの往復の間に、沖縄に寄り道して、「辺野古は必要ない。シンゾーと話し合おう。沖縄の人々にも約束したい。」とか言える人だったら、見直したのにな。オバマさんでもできないことが、あの人にできるわけがないですか。
つまらないことを書きました。
スーダンの端っこの、エジブトとの境界の人々のヌビア人、ここの人々はアスワンハイダムによって、住むところを追われた人々だったそうです。昔のことだから、どれだけ立ち退き住民に援助がなされたのか、あやしいですね。生活のために、ヌビアの人々は、出稼ぎをしなくてはならなかった。ハムザさんのお父さんも、カイロに出て低賃金労働に従事していた。
その流れで、息子さんのハムザさんは、ふるさとを離れ、カイロで学ぶ機会を得て、イタリア、アメリカ、日本と音楽を介在して世界を歩くことになった。
そういう人生の不思議が、この本のテーマでもあり、きっとハムザさんの音楽の根本にあるのだと思われます。
ハムザさんが演奏するウードという楽器は、アラブの人たちの持っていたものであり、ヌビアの人は知らないものでした。でも、ハムザさんは、ウードを使い、ヌビアのことばで演奏し、歌を作った。ただオリジナルで作るのではなく、スーダンに取材し、ヌビアの音楽とは何かも模索したと思います。ヌビアの人たちの集まりで演奏する機会を経て、少しずつ自分の音楽スタイルを見つけることができたみたいだから、ヌビアとアラブとスーダンと、いろんな文化を吸収しながら、作り上げられたものだったと思います。
それが、イタリアで西洋音楽、古典音楽を学び、アメリカでは現代音楽、フォーク、ジャズなど幅広い音楽を吸収していったようです。日本でも、いろんな音楽を学ぼうとしてくださった。そして、ハムザさんの音楽が残っていった。
あとがきとして書かれたところで、感動しました。
1989年の初め、アメリカに帰国したとき、友人の作曲家テリー・ライリーから連絡をうけ、クロノス弦楽四重奏団(現代音楽専門のカルテットらしいです)を知ってるか、と聞かれた。
やがて、そのクロノス・カルテットがハムザさんの曲を演奏してレコードを出すことになります。
その話を聞いていたテリーはこう言った。「夢は夢じゃなくなったよ、実現するんだ。かれらが君の曲をやりたいそうだ」しかし、私は曲は書けるが編曲者ではないので、ちょっと困ってしまった。
その一年前、作曲家の池辺晋一郎先生がプロデュースされたサントリーホールの「ガラ・コンサート」に、私も出演した。そのときに、先生の弟子の上田亨君という若い作曲家と知り合うことができた。彼は「ガラ・コンサート」で、私の曲の編曲を担当してくれた。上田君はほんとうに音楽を愛していて、忍耐強いし、誠実で才能のある編曲者でもある。
そして、レコードは作られ、アマゾンでも買えるみたいです。クロノス・カルテットというのがあるんですね。何も知らない私です。たぶん、CDも買わないでしょう。現代音楽というと、少し敷居が高いもんな。youtubeにでもあればいいんですけど、パソコンで聞いても良さはわからないかも……。
もし私が上田君にめぐりあわなかったらクロノスは私の曲を演奏しなかっただろうし、サントリーホールに私が出演しなかったら上田君にも会えなかっただろう。もし私が日本にいなかったらサントリーホールのこともなかっただろう。
それに、私はアメリカにいたから日本にも来られたのだと思う。もしジーノ(アメリカ行きのきっかけを作ってくれた友人)に会わなかったらアメリカに行くこともなかったと思う。イタリアにいたからジーノにもめぐり会ったのだし、スーダンにいたからイタリアにも行けたのである。
また、私がヌビア人でなかったらアスワン・ハイ・ダムに人生を左右されることもなかっただろう。そして、読者のみなさんが、私の人生の流れをかいま見る機会もなかっただろう。
そうです。ハムザさん、人生って不思議です。流れるままに生きていくのは、それでいいの? と、ついしり込みをしてしまうけれど、出会いを大切に生きていくこと、私は見習ってやっていきたいと思うのです。
私はもう、いいかげんなオッチャンだけど、今からでも、出会いを大切にして、とことんそこから新たな選択をしていきたいと思います。それはどうなるか、わからないけれど、狭いなりに私の人生をある限り進んでいきたいと思うのです。
あるとき、「将来の展望は?」と質問をされた。
私の将来は、川の流れの中のひとしずくの水のようなものだと思う。あるときは動物や人間や鳥の飲み水となったり、またあるときは植物を生き生きさせたりする。
私はこの流れに身をまかせ、大洋に出、水蒸気となり、それから雲となり、雨のしずくとなって川の流れにもどってくるだろう、と答えたい。 1990年2月 ハムザ・エルディーン
私は、ちゃんと川の流れにいるんだろうか。勝手に蒸発したり、干からびたり、鳥のシッコになって、草の中から地面に消えてないだろうか。
わかりませんね。せいぜい流れの中にあると信じ、誰かのために生きていかなくてはなと思います。思うだけで、ちゃんと誰かのためになっていないのが情けない。