中島らもさんの『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』1994朝日新聞社→1997集英社文庫、というのを読んでいます。実は古本屋さんめぐりをしていて、最近買った本ですが、もう一冊十年以上前に買っておりました。というわけで二冊あります。どうやら、自分の中のらもさんブームというのが巡って来るみたいで、今は何度目かのブームです。しんみり読んでいます。
らもさん自身は、2004年に52歳で亡くなっています。その時にどれだけショックを受けたのか、記憶にないんですけど、何度も生死の境を行ったり来たりされていたから、仕方ないのかなという気持ちもあったでしょうか。
それにしても、この朝日新聞の播但版に連載コラムとして続いた記事は、らもさんの大変な時期も、高校時代も行ったり来たりしながら聞かせてもらう、何だか先輩のお話みたいで、「先輩も大変だったんですね」とか、「そんなムチャしてたんですか?」と、ついつい突っ込みたくなるエピソードがいっぱいです。
そして、気分が落ちこんだり、盛り上がったりという、気分の振幅の大きかった日々が描かれています。私は、そんな生き方ができなくて、単調なボチボチした生き方しかできないけれど、細々とした人生しか進めないけど、でも、何だか面白おかしい一人の人がいたのだなと思わされます。
こんな先輩に会ったことあるかな? 一人だけお酒好きでギャンブル好きな先輩がいたけど、あの人はそれを私たちに面白い作品としては見せてくれなくて、ただやたら危ない、怖い、いつ命を落とすかわからない、お酒飲んでそのまま倒れて、凍死寸前までいったという話を聞かされた時は、「何とか、お酒で命を落とすことがないように」と祈ったけれど、今はどうされているかな?
あの先輩は、滋賀県の人で、私が出会った数少ない滋賀県の人で、たまたま彼だけが特別だったと思うんですけど、滋賀県のイメージがひっくり返るような人でしたね。
ひとつだけ抜き出してみます。何でも扱う喫茶店の話です。
そういえば昔は「喫茶、メン類、中華」なんていうほとんどカオスの世界みたいな店がたくさんあった。
僕の生まれ育った尼崎にも、「喫茶おばちゃん」というのがあって、ここの「売り」は甘ぁいきつねうどんと甘ぁいカレーライスだった。
そうでした。喫茶店とは、不思議な空間でした。子どもの出入りするところではなかった。とても入れない、入ってみたいとも思わない、何だか怖いところでしたねえ。
たぶん昭和四十年前後をさかいにしてそういった「よろづ喫茶」は姿を消していったような気がするが、今でも脈々と生き残っている店も探せばあるにちがいない。
らもさんがコラムを書いてから、三十年近く経過しているわけで、喫茶店文化も変わってしまったきがします。うちの弟なんかは、学校に出なくて喫茶店に入ってたなんていう話を聞いたこともあったけど、あれはまだ文化が残ってた時代でしたか。