汽車の窓からハンケチ振れば、
牧場の乙女が花束投げる、
「高原列車は行く」(1952)という歌がありました。
今日、NHKの「こころ旅」の録画を見ていて、福島県の旅で猪苗代町の川桁というところから北に向かう軽便鉄道があったというのを教えてもらいました。
火野正平さんたちがそこをさかのぼっていく旅を見て、例の歌を思い出しました。番組の中でも、歌と鉄道をたどるように始発駅から、お手紙の人の思い出の駅までを自転車で走っていきました。
さて、この歌の作詞者・丘灯至夫(おか・としお もちろんペンネームで、福島県出身の方のようです)は、自分のふるさとをモチーフにして歌を作ったそうです。
あの「高原列車はラララララン行くよ! 」というフレーズは、地元のローカル線の風景だったとは! その影響で、ナツメロとして聞いたはずの私たちも、お気に入りの曲としてどこかにインプットしてしまいました。
だから、今でも、いつでもどこでも、自分たちの記憶として取り出せてしまう。なかなか歌というのは便利なものです。ことばだけでもダメだし、メロディと一緒じゃないと、特別な記憶にはならないんだと思われます。
「高校三年生」とか、森進一の「襟裳岬」とか、いろんなヒット曲があるようで、2009年に亡くなられた方みたいでした。旅をテーマにした歌をいくつか作っておられるようで、今回はなんと、あの古関裕而さんが曲をつけておられた。だったら、曲もヒットしたんでしょうね。
ものすごい組み合わせだったので大ヒットして、当時生まれていないはずの私たちでも、何度かナツメロ番組に接することになり、いつの間にか刷り込まれてしまっていました。
磐越西線の川桁駅から、北の方角に軽便鉄道は走っていた。磐梯山の東側をずっとさかのぼっていく鉄道だったらしく、鉱山で掘り出されたものを運び出す鉄道であったということでした。
昔は、そんな時、必ずと言っていいほど、鉄道を敷いたんですね。今なら、大きな道路を作るところでしょうけど、昔の日本は、鉄路から産業へとつながっていこうとしていた。
そんな古い歌を、私たち夫婦はどうして知っていたんでしょうね。
いろんな形で、テレビなどでは何度も取り上げられている曲ではあるし、一つの名曲だし、テンポもいいし、明朗快活の青春讃歌として、どこかで見たり聞いたりしたんでしょう。
思わず知っているフレーズを口に出して歌ってしまえるところが、昔の歌のいいところで、歌ったからといって、何かが変わるわけではないのだけれど、とりあえず過去の自分たちの雰囲気に触れられるし、そういう歌で育ってきた社会のあたたかさを感じるわけです。
今の若い人たちに、歌を通して社会とつながっている雰囲気が味わえるものって、あるでしょうか。
たぶん、ないと思うのです。
仕方のないことだけれど、私はそれがもったいないというか、ザンネンでならないのです。
みんなが歌える歌、そんなのを持つことは贅沢なことになってしまった。