近ごろは、あれもこれもと浮気して、まともにずっと一冊の本を読みとおすということがありません。すぐに気が散るし、すぐにあれもこれも色あせてしまいます。
今のところ、澤地久枝さんの『石川節子』という啄木の奥さんのお話と、米原万里さんのエッセイと、中野重治さんの詩集です。
とっかえひっかえ読んで、眠くなったらコテッと寝てしまいます。ちっとも一つのところでどっしりと本を読むということができていません。まあ、それは私の問題です。オッサンだから、すぐに気が散るんでしょう。
この土日くらいから、ケータイはまるでつながりません。家に帰ってきて、奥さんにLINEをすると、つながりはするけど、電話はまだできないようです。だから、母にも電話できてなかったんでした。いつもなら、クルマの中からこっそりと母に電話するのに、それもできていません。
どうしてこっそり電話するんだろう。家から堂々と電話をすればいいわけですけど、電話のあとで「あんなこと言わなくていいのに」とか、言われないかもしれないけど、まあ、私は余計なことしい(をする人・を言う人)ですから、まわりから見てると、「あちゃー」というのがよくあるんだろうなと思います。
だから、こっそり一人で電話するんですね。まあ、それでいいや。そんなふうに、今からお仕事だけど、常にオカンのことを思っているよ、というアピールにはなるでしょう。
母は、近くにいる弟が頼りで、「ほんとにあの子は、すぐに来てくれる」と絶賛するのです。私だって、オカンのために何かしてあげたいけど、すぐには飛んでいけないのです。仕方がない。そういう関係性の中で、私たち家族は続いていくんです。オカンが元気なら、まあ、それでいいや。
うちのケータイ電話には早く元気になってもらいたいけど、たぶん、明日もダメでしょう。ここまで全く使わないケータイを何日も持って出かけましたけど、もう明日からはやめにします。持ってなくても、特に困るわけではありません。
どこにも行かないし、誰にも連絡しないし、私のショボクレ人生があるだけです。
さて、せっかくだから、中野重治さんの詩を抜き書きします。戦っておられました。
日々
友達が盲腸炎になり
首を切られそうになり
合宿の全員が銭(ぜに)なしになり
人さえ見ればたばこがないかと言い
ないと言い
使いに走らねばならず
経済学を読まねばならず
へこましてやりたい腹もあり
アリタオトマツや
シンブンニホンや
代議士や大臣や元老や
何を見ても
からくりばかり眼さきにちらつき
それを勉強勉強とおさえ
なかなか勉強できず
電車でねむり
一日二十四時間ではやりきれぬ
中野さんを見習って、私も勉強をしなきゃ! と念じて行きます。
「何を見てもからくりばかり目先にちらつき」、私たちは毎日ウンザリさせられている。でも、私たちは、それでも、やらなくちゃ、と、思っていきます。