歌稿A 大正五(1916)年七月
以下東京、秩父 博物館
344 歌まろの乗合船の前にきてなみだながれぬ富士くらければ
歌麿の乗合船って、何でしようね。渡し船なのかな。そういう絵があるということですか?
確かにありました。博物館で浮世絵の喜多川歌麿「乗合船」を見ることになったんでしょう。せっかく見に来たのだけれど、何となく薄暗い富士山に心ウキウキしなかった、ということなんだ。
でも、泣くほどではないでしょ。富士山だって暗く見えるときがあってもいいのに、二十歳の賢治さんには許せなかったんでしょう。江戸から遠く眺める富士山は、憧れではあるけれど、いつもチラッと見えるだけで、本当の姿を見せてくれないんだもんね。
神田
346 この坂は霧のなかよりおほいなる舌のごとくにあらはれにけり
東京は坂の町です。だから、きっと風情のある、不思議な生き物の舌のような坂だってあるかもしれない。
でも、ちょっとこの比喩はピンと来ない感じがあります。坂が舌のようだなんて、私はイヤだなあ。不気味です。
博物館
348 歌まろの富士はあまりにくらければ旅立つわれも心とざしぬ
そうか。確かに私たちは暗い絵を見たいわけじゃないですね。たまにはいいのかもしれないけど、普通は、絵を見るのはスカッとしたいからです。
わざわざ暗い気分になりたいから、その絵を見に行くというのはあまりないような気がします。
小鹿野
350 さわやかに半月かゝる薄明の秩父の峡のかへりみちかな
関教授という人に従って、秩父の地質調査に出かけたそうです。その帰り道に、くっきりと半月がかかっていた。何だか楽しい仕事帰りですね。
荒川上流
351 鳳仙花(ほうせんか)実をはぢきつゝ行きたれど峡のながれの碧(あお)くかなしも
私は、植物で遊んだ記憶がありません。ひっつきもんつきを投げて遊んだくらいで、自然にあるものに興味の薄い人間でした。花の種や実をはじいたり、吹き飛ばしたりしたことがありません。タンポポで遊んだこともないです。ああ、人工的な空間が好きな、根っからのオタクだったです。
鳳仙花って、実物を見たこともないような気がします。世の中の風物のすべてがうすぼんやりしている。こんな寂しい現実ではダメです……。
三ッ峯 二首
352 星の夜をいなびかりするみつみねの山にひとりしなくかこほろぎ
353 星あまりむらがれる故みつみねのそらはあやしくおもはゆるかも
地面の上にあるものだけではありません。空も自然の1つだった。星も見上げなくちゃ。なのに寒いから、家に閉じこもっています。
賢治さんは、空からも、地面からも、星の姿からも、いろんなものをキャッチしていた。音を聞き、空気を吸い、風を感じたことでしょう。
そうだ。今日は流星群あるそうだから、少しだけ外に出てみますかね。また、口だけ?
仙台
357 綿雲(わたぐも)の幾重(いくえ)たゝめるはてにしてほつとはれたるひときれのそら
これは定家さんのマネみたいな作品です。こういうのもあっていいですね。何もかもオリジナリティにあふれていたら、私なんか恐れ多くて、こんなどうでもいいコメントも書けなくなってしまう。
定家さんのは、「春の夜の夢のうき橋とだえして峯にわかるるよこぐもの空」でした。そりゃこちらの方が技巧的だし、インパクトはありますね。「ほつと晴れたる」なんて、何だか稚拙な感じがします。人の作品だから、こきおろしてしまう?
いや、シンプルな観察から生まれた写生の歌じゃないんだろうか。技巧なんか使いたくなかったんでしょう。
福島
358 たゞしばし群とはなれて阿武隈(あぶくま)の岸にきたればこほろぎなけり
359 水銀のあぶくま河にこのひたひぬらさんとしてひとり来りぬ
賢治さん、福島に来たというのに、みんなと行動を共にしなかったんでしょうか。まさかね。いや、そうなのかな。そして、コオロギに心動かされている。
そうですよ。浮世絵なんかを見るよりも、コオロギの声を聞いている方が賢治さんらしいですよ。そうでなくっちや! みんなを連れて回るのもいいけど、単独であちらこちらを回るのも賢治さんらしいです。
山形
360 雲たてる蔵王の上につくねんと白き日輪かゝる朝かな
361 銀の雲焼杭のさくわれはこれこゝろみだれし旅のわかもの
旅先での朝、ひとりで朝日に向き合っている。こんなふうにして東北各地を回っておられたんですね。でも、ここに描かれている風景は、何だか落ち着かない旅をしている感じです。
やはり、何かに向かって一心に行動しないと、賢治さんらしさは湧き出てこないのかな。わりと淡々と朝を迎え、別に何か大目的があるわけでもなく、ぼんやりと細かなことで一喜一憂しているみたい。
福島
362 しのぶやまはなれて行ける汽鑵車(きかんしゃ)のゆげのうちにてうちゆらぐなり
私は、今年の春、18キップで盛岡から東京・小田原まで三日かけて南下してきました。福島も通りました。何度も電車に乗り換えました。その一つでしたっけ。
この「うちゆらぐ」ものって、何だろう。賢治さんの心なんだろうか。それとも、風景ということだろうか。イマイチわからないところがあります。
離れていく汽車の姿が湯気の中で揺れているということなのかな。わりとありふれた感じになってしまいます。どうなんだろう。
盛岡
363 うたがひはつめたき空のそこにすみ冬ちかければわれらにいたる
364 かくてまた冬となるべきよるのそらたゞやふ霧に降れる月光
365 夜の底に霧たゞなびき燐光(りんこう)の夢のかなたにのぼりし火星
東京から東北本線を北上する賢治さんの旅は、やっと盛岡に戻ってきました。
地元に帰ってきて、落ち着いたのか、空を見上げて、いつものようにあれこれと考えをめぐらせられるようになりました。星の動きも手に取るようで、月も火星も賢治さんの世界の1つになりました。
東京では、空は遠い、うすぼんやりとした世界でしかないのでしょう。地元に帰ってくると、それらがくっきり浮かび上がり、賢治さんもじっくり星々と対話ができるようになる。
そして、空からあれこれ教えてもらえる、空を語れる人になるようです。
そうだ。やはり、地元の空を愛さなくては。どこで見る月も同じと人は言うけれど、そうではないのでしょう。やはり、地元の空をしっかり見なくちゃ!