Kの高校2年、どういうわけか孤独であった。担任は熱血柔道の先生。もちろんNTU出身でバリバリの根性の人だった。だから、担任が何か言えば、信者となったKたちはそのままにやったのである、気持ちの上では。
でも、Kの成績は伸び悩むのでした。というか、やるべきことも見つからず、具体的な日々の努力を怠り、簡単に成績アップすることばかりを考えていた。試行錯誤はするものの、魂胆がやましいものなので、もちろん能率は上がらなかった。そして、秋になった。
高二の文化祭[1976/10/3 日曜……晴れ。ここ2、3日にない晴れ!]
いつものように目覚めたが、平日の感じがしない。そりゃあ、今日は日曜だ。
でも、だからといって休日の感じもまたしない。何だか妙な気分である。多少浮かれている向きもある……かもしれない。そして余裕しゃくしゃくとメシ食って、浮かれているのでありました。
運動会は今日がピークだそうだ。確かに近所の子どもたちも浮かれていた。近所の小学校の運動会は今日なのである。そしてボクも浮かれておった。わが校も文化祭なのである。別に浮かれなきゃあならんという理由もなかったが、やっぱり浮かれてしまった。
昨日は、文化祭の準備で予備校に行けませんでした。そして、その準備のときは何だかうれしかった。心がわくわくした。あまり話をしなかった女の人といろいろ準備のことをお話もした。話題はどうであれ、会話が開けたわけなのである。あまり微笑みをかわさなかった人と、微笑み合えたりいろいろだった。
さて、今日のこと順序立てて書こうか。砂糖5人分とコップ1一つを持って、いつもの通りに学校に出かけようとしたけれど、いく分遅く、自転車にて向かう。その時父上はボクに大いに不平を言う。というのは、この日曜に弟が買ってきたサビ落としにて自転車2台を磨く予定だったからである。が、もう家を飛び出したあとはもう遅かった……のでした。それからいくらか行くと高速の神戸行きの出入り口近くでNくん(同じ中学の友人・海鳴り分子)に会う。それで2人乗りして橋の下まで向かう。
開会式。先生たちは教師としての体裁を通したのだったが(いつものままだったということ?)、生徒会長のYくんは立派な演説をして面目躍如した。
「動き回って新しいものが見つかるかもしれない」と、詩人が言うみたいに謳った。最後の文句は歯切れがよくって、つい拍手が起こった。そのあとオイラは彼に「えらかったぞ」とほめてあげた。本当に彼にとってもえらかった(しんどかった・疲れたという意味?)らしく謙遜しなかった。彼はオイラに対してはいつも天の邪鬼のはずだったのだが……こういう素直な時もあるというのは、少し驚きだった。
それから、自分のクラスの展示場に向かった。スライド、お茶の用意と、いろいろしなければならんのだろうが、気だけが忙しくて、実際はそれというほどでもなかった。仕事が回されてきた。宣伝のビラを配るというのがそれ。ビラを配るのはなかなか恥ずかしかった。自分に恥ずかしかったし、知らない人にビラを配るというのは恐かった。
ビラ配りで一番うれしかったのは、となりの組の女子がビラをもらってくれたことでした。
それから、ビラ配りで多少疲れると、すぐ運動場の片隅のIくん(海鳴り分子)のところの巨大造形物の「象」を見に行った。そうして自分のクラスの教室に帰るというコースを何度も繰り返す。朝の間はT子さんは茶配りの人でして、そのエプロン姿がなお一層光って女らしさを輝かせていて、小人のボクはなお一層小さくなりそうでした。
それから、11時過ぎ漫研に行くと、サイボーグ009の6巻から10巻まであったから、全部読んだ。1時になって、それから後は、とりとめもなくT子さんに未練を残して彼女の姿を求め、校内をうろちょろした。
漫研にこもる前、ビラ配りをしていたとき、華道部の展示場を通り過ぎると、T子さんがいた。受付みたいにして座ってた。こっちを向いて微笑みかけてくれた。何だか話しかけてみたくなって、持ってたビラから何十枚かを彼女に手渡して、「これ配っといてな」と短いけど話しかけた。よくもそんなことができたもんだと自分ながら感心する思いである。
今思うと、彼女に余計な負担をかけて悪かった、と思う。でも、それしか話しかけられなかったんだから……。もうちょっと積極的にならないといけない、と何となく思えてきた。そうだ! とは思うが、やりにくいのは事実である。
放課後は、フォークダンスがあったけれど、踊らなかった。どうしてかというと、その理由としては、
①行きそびれた。 ②胃が苦しかった。 ③T子さんがいなかった。 ④太陽がまだ強く輝いていた。
⑤頭が悪い自分なのに、どんじりをいく自分、いてもいなくても別に支障のない自分が、高校を謳歌するのがいけない、不相応のことのように思われた。要するに実力考査が振るわなかった。
⑥だれも一緒に踊る友、または誘ってくれるような友がいなかった。男の友が今の組にはだれもいない気がしているから……などがその理由だった。
フォークダンスといえば、1年のころだと、いつも真ん真ん中にいないと気がすまなかった。でも今回はついに不参加。体育祭のファイアーストームのとき、途中で帰ってしまって、拍子抜けしたのかもしれないけど、それだけ青春をムダにして、老骨化してしまうのだ。何となくわびしい。よし、今度こそは若返ってフォークダンスにも参加せむ。
帰りは一人さびしく橋の下を通って帰ると、うちの学校の同級生カップルが一緒に帰っておったが、ようやるなあと思った。大いにうらやましかったが、なかなかしんどいだろうなあとも思う。でもやっぱりうらやましかった。
近所の公園に立ち寄ったら、中学の同級生が2人いた。いろいろお話をしたけれど、みんな大人になっていくのかなあと、さみしくもあったが、楽しくもあった。こういう自分も大人になっていく。
折角の文化祭も、後ろ向きの気分が続いていた。唯一の救いはクラスメートのT子さんとの時間であり、ほんの少しことばを交わせればしあわせな気分が満ちあふれる、そんな単純なヤツであった。
そうなれば、当然この気持ちは修学旅行へ向かっていき、ここで何か起こらないかと期待するようになる。自分で何かしなければ何も起こらないのに、ただ待つばかりのKではあった。
でも、Kの成績は伸び悩むのでした。というか、やるべきことも見つからず、具体的な日々の努力を怠り、簡単に成績アップすることばかりを考えていた。試行錯誤はするものの、魂胆がやましいものなので、もちろん能率は上がらなかった。そして、秋になった。
高二の文化祭[1976/10/3 日曜……晴れ。ここ2、3日にない晴れ!]
いつものように目覚めたが、平日の感じがしない。そりゃあ、今日は日曜だ。
でも、だからといって休日の感じもまたしない。何だか妙な気分である。多少浮かれている向きもある……かもしれない。そして余裕しゃくしゃくとメシ食って、浮かれているのでありました。
運動会は今日がピークだそうだ。確かに近所の子どもたちも浮かれていた。近所の小学校の運動会は今日なのである。そしてボクも浮かれておった。わが校も文化祭なのである。別に浮かれなきゃあならんという理由もなかったが、やっぱり浮かれてしまった。
昨日は、文化祭の準備で予備校に行けませんでした。そして、その準備のときは何だかうれしかった。心がわくわくした。あまり話をしなかった女の人といろいろ準備のことをお話もした。話題はどうであれ、会話が開けたわけなのである。あまり微笑みをかわさなかった人と、微笑み合えたりいろいろだった。
さて、今日のこと順序立てて書こうか。砂糖5人分とコップ1一つを持って、いつもの通りに学校に出かけようとしたけれど、いく分遅く、自転車にて向かう。その時父上はボクに大いに不平を言う。というのは、この日曜に弟が買ってきたサビ落としにて自転車2台を磨く予定だったからである。が、もう家を飛び出したあとはもう遅かった……のでした。それからいくらか行くと高速の神戸行きの出入り口近くでNくん(同じ中学の友人・海鳴り分子)に会う。それで2人乗りして橋の下まで向かう。
開会式。先生たちは教師としての体裁を通したのだったが(いつものままだったということ?)、生徒会長のYくんは立派な演説をして面目躍如した。
「動き回って新しいものが見つかるかもしれない」と、詩人が言うみたいに謳った。最後の文句は歯切れがよくって、つい拍手が起こった。そのあとオイラは彼に「えらかったぞ」とほめてあげた。本当に彼にとってもえらかった(しんどかった・疲れたという意味?)らしく謙遜しなかった。彼はオイラに対してはいつも天の邪鬼のはずだったのだが……こういう素直な時もあるというのは、少し驚きだった。
それから、自分のクラスの展示場に向かった。スライド、お茶の用意と、いろいろしなければならんのだろうが、気だけが忙しくて、実際はそれというほどでもなかった。仕事が回されてきた。宣伝のビラを配るというのがそれ。ビラを配るのはなかなか恥ずかしかった。自分に恥ずかしかったし、知らない人にビラを配るというのは恐かった。
ビラ配りで一番うれしかったのは、となりの組の女子がビラをもらってくれたことでした。
それから、ビラ配りで多少疲れると、すぐ運動場の片隅のIくん(海鳴り分子)のところの巨大造形物の「象」を見に行った。そうして自分のクラスの教室に帰るというコースを何度も繰り返す。朝の間はT子さんは茶配りの人でして、そのエプロン姿がなお一層光って女らしさを輝かせていて、小人のボクはなお一層小さくなりそうでした。
それから、11時過ぎ漫研に行くと、サイボーグ009の6巻から10巻まであったから、全部読んだ。1時になって、それから後は、とりとめもなくT子さんに未練を残して彼女の姿を求め、校内をうろちょろした。
漫研にこもる前、ビラ配りをしていたとき、華道部の展示場を通り過ぎると、T子さんがいた。受付みたいにして座ってた。こっちを向いて微笑みかけてくれた。何だか話しかけてみたくなって、持ってたビラから何十枚かを彼女に手渡して、「これ配っといてな」と短いけど話しかけた。よくもそんなことができたもんだと自分ながら感心する思いである。
今思うと、彼女に余計な負担をかけて悪かった、と思う。でも、それしか話しかけられなかったんだから……。もうちょっと積極的にならないといけない、と何となく思えてきた。そうだ! とは思うが、やりにくいのは事実である。
放課後は、フォークダンスがあったけれど、踊らなかった。どうしてかというと、その理由としては、
①行きそびれた。 ②胃が苦しかった。 ③T子さんがいなかった。 ④太陽がまだ強く輝いていた。
⑤頭が悪い自分なのに、どんじりをいく自分、いてもいなくても別に支障のない自分が、高校を謳歌するのがいけない、不相応のことのように思われた。要するに実力考査が振るわなかった。
⑥だれも一緒に踊る友、または誘ってくれるような友がいなかった。男の友が今の組にはだれもいない気がしているから……などがその理由だった。
フォークダンスといえば、1年のころだと、いつも真ん真ん中にいないと気がすまなかった。でも今回はついに不参加。体育祭のファイアーストームのとき、途中で帰ってしまって、拍子抜けしたのかもしれないけど、それだけ青春をムダにして、老骨化してしまうのだ。何となくわびしい。よし、今度こそは若返ってフォークダンスにも参加せむ。
帰りは一人さびしく橋の下を通って帰ると、うちの学校の同級生カップルが一緒に帰っておったが、ようやるなあと思った。大いにうらやましかったが、なかなかしんどいだろうなあとも思う。でもやっぱりうらやましかった。
近所の公園に立ち寄ったら、中学の同級生が2人いた。いろいろお話をしたけれど、みんな大人になっていくのかなあと、さみしくもあったが、楽しくもあった。こういう自分も大人になっていく。
折角の文化祭も、後ろ向きの気分が続いていた。唯一の救いはクラスメートのT子さんとの時間であり、ほんの少しことばを交わせればしあわせな気分が満ちあふれる、そんな単純なヤツであった。
そうなれば、当然この気持ちは修学旅行へ向かっていき、ここで何か起こらないかと期待するようになる。自分で何かしなければ何も起こらないのに、ただ待つばかりのKではあった。