今朝、昨日の解散のニュースをFMで聞いていました。
全く予定通りに、ご祝儀相場を期待して、新総裁で解散に踏み切りました。6割の支持があるとか、いやいや5割程度だとか、いろいろなウワサはありますが、各社がやってる調査はどれくらい正確なんでしょうね。
2千人くらいに機械がアトランダムに電話して、電子音声に質問させて選択肢を選ばせる世論調査、たいていの人はアホくさくてすぐに切るから、結局半分程度しか答えなくて、集計できるのは千人ほど、この人たちが支持する・支持しないを選ぶという、大雑把な調査なのに、だいたいの人の動きになっているから不思議です。
半分の人は答えたくもない人たち。答えた人の半分くらいは支持する。残りの半分は、わからないとか、どっちでもいいとか、不支持ではないのです。結局そこそこの数字は出てくるでしょう。もっとボロが出た頃に解散でもすれば、結果はどうなるかわからないけど、小さな勝利で終わるかな。
解散の詔書を国会内で読み上げたら、予定通りに「パンザイ」三唱が起こりました。たぶん、自民党の皆さんが声を合わせてやったパフォーマンスというのか、これが与党としてのしきたりだったんでしょうね。
自分たちのペースで解散に踏み切り、自分たちの勝利を確信する前景気のバンザイでした。何人かは国会に戻って来れない人がいたとしても、とりあえず過半数を取り、自分たちのペースでやれたら、彼らとしては万々歳だったんでしょうね。
それにしても、朝からラジオで、2021年というのに、「バンザイ」なんてやってるなんて、そんな古いしきたりを守る人々がいた、ということにビックリしました。
彼ら・彼女らは、自分たちのリズム・世界観で発言し、行動している。
「成長なくして分配なし」とか、いやいや「分配なくして成長なし」だとか。
「まっとうな政治を取り戻す」とか、もっとあれこれ提出されているんだろうけど、本当にあの人たちのペースやことばに合わせるのは骨が折れます。
私たちと違う次元で暮らしている人だから、とてもついていけません。あの人たちは日々生活感覚をなくして、自分たちの言語・価値観で生きていくことになるんでしょう。そんなとこから色眼鏡を通して外を見ているから、まあ人々の世界なんて、見たくもないし、知りたくもないんだろうな。
あんな人たちの、実体のないおしゃべりなんて聞きたくありません。どうしてフツーの話ができる人がいないものかなあ。
さて、うちの近所のスズメくんたちは、ずいぶん大きくなりましたが、まだ大家族で暮らしているようで、一つのおうちの雨どいに集団で住み付いています。ツバメとけんかしたり、カラスに襲われたりしながらも、家族みんなで毎日一緒に行動しているようです。
別にどこか、よその集団に入らなくてもいいんでしょうか。とりあえず子どもたちが大きくなるまでは大家族で近所をまわることでしょう。
どうしてウチにはこの子らが来ないのか、ウチにはよほど食べるものがないのだと思われますが、まあ、よそを回るだけでここの大家族は生きていけるんだから、そんなに無理しなくてもいいわけですね。
スズメたちののんびり加減と、政治家の人たちの空々しさ、対照的な朝でした。わざとらしいのはキライだな。自然に生きていきたいです。