甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

子路さん大いに語る 微子編 中思-14

2016年02月12日 16時22分52秒 | 中国の思想家のことば
 隠者つながりで、孔子さんが(今回は子路さんが主役ですけど)隠者の人にあれこれ言われるお話をつづけたいと思います。……旅でのできごとは物語になりますね。

 前回の「長沮・桀溺(ちょうそ・けつでき)」の次のお話です。微子編の7番目です。これもそれなりに長いです。

 子路(しろ)従(したが)いて後(おく)れたり。丈人(じょうじん)の杖(つえ)を以(もっ)て蓧(かご)を荷(に)なうに遇(あ)う。

 子路さんが先頭を切って何かすると、物語が生まれます。これが彼の持っている部分ですね。天才の顔回(がんかい)さんや、秀才で有能、なおかつ経済的にも豊かな子貢(しこう)さんでは、物語がサラリと進んでしまいかねませんが、子路さんなら、いろんな人を呼び寄せる力があるみたいです。

 岩波文庫では「丈人(じょうじん)」を「つえで竹かごを荷なった老人」というふうに訳しています。まあ、行商の人なのか、それとも職人さんか、今度は隠者じゃないかもしれない。このお爺さんに質問をしてみるようです。



 子路(しろ)問いて曰わく、「子(し)、夫子(ふうし)を見たるか。」

 丈人(じょうじん)曰わく、「四体(したい)勤(つと)めず、五穀(ごこく)分(わか)たず、孰(たれ)をか夫子(ふうし)と為(な)す」と。その杖(つえ)を植(た)てて芸(くさ)ぎる。


 子路は老人に尋ねました。「あなたは、私の先生をお見かけではありませんでしたか。」

 老人が答えました。「えっ、何だって。先生だって。お見かけするところ、その手足では百姓仕事をなさるようにも見えず、五穀の見分けもつかない方のようですけんど、それでいったいお前さんの先生というのは、どんな人ですかなあ。」老人はそれだけ言って、杖を地につき立てて、草を刈り始めました。

 子路(しろ)拱(きょう)して立つ。

 子路を止(とど)めて宿(しゅく)せしめ、鶏(にわとり)を殺し黍(きび)を為(つく)りてこれに食くらわしめ、その二子(にし)を見(まみ)えしむ。




 子路は手を胸に組んで敬意を表し、そのそばにじっと立っていた。すると老人はなんと思ったか、子路を自分の家に案内して一泊させ、鶏をしめたり、黍飯(きびめし)を炊いたりして彼をもてなしたうえに、自分の二人の息子を彼にひきあわせ、丁寧にあいさつさせるのでした。

 お爺さんは何を思ってこんなことをしたのでしょう。孔子さんのところからスカウトしようというのでしょうか。息子たちも孔子さんに弟子入れさせたいという意味でしょうか。



 そうではないですね。地方にはいろいろな誘惑があったのでしょう。立派な男の人が、農作業をするわけではなくて、集団になって自分たちを採用してくれる国を探しているけれど、そんなことよりも大切なこと、自分で自分のお腹をふくらませることも大事だし、子供をもうけることも大事だし、大地とふれあう仕事をすることも有意義である。ぜひそういう生活を味わって欲しいというデモンストレーションでしょうか。

 ただ単に、はぐれた1人の男の人を、一晩だけゆっくりさせたいという中国的熱烈歓迎だったんでしょうか。どうしてお爺さんは、子路さんにごちそうしたのか? わかりませんね。

 それが子路さんの人間的な魅力かもしれないです。道に迷ってたら、みんなが助けてくれるなんて、こんな魅力のある人間になれたらいいですけど、私は道に迷うにも、そんなところへ出て行かないので、人と出会う可能性もないですね。


 明日(めいじつ)子路(しろ)行きて以(もっ)て告(つ)ぐ。

 子(し)曰わく、「隠者(いんじゃ)なり」と。子路をして反(かえ)りてこれを見(み)せしむ。


 翌日、子路さんは孔子先生たちのグループに追いついて、前日の話をしました。すると先生は言われました。
「その人は隠者だろう。」その後、子路さんに、もう一度引きかえしてお爺さんに会ってくるように命じられたのです。

 さあ引き返してみたら、お爺さんはいるのでしょうか? それとも、どこかへ行くというのでしょうか。




 至(いた)れば則(すなわ)ち行(さ)れり。

 子路(しろ)曰わく、「仕(つか)えざれば義(ぎ)無し。長幼(ちょうよう)の節(せつ)は廃(はい)すべからざるなり。君臣(くんしん)の義は、これを如何(いかん)ぞ廃(はい)すべけんや。

 その身を潔(きよ)くせんと欲(ほっ)して大倫(たいりん)を乱(みだ)る。

 君子(くんし)の仕(つか)うるや、その義を行なわんとなり。道の行なわれざるや、已(すで)にこれを知れり。


 子路さんが行って見ると、老人はもちろんいませんでした。やはり孔子先生のおっしゃる通りに「隠者」だったのです。隠者は、だれかに自分が隠者だと知られるのを好まず、だれかに自分の素性のようなものがバレそうになったら、どこかへ行ってしまうのです。潔いというのか、いつも誰かに知られはしないかと戦々恐々としていないのか、精神状態が心配ですけど、とにかくそういうことらしいのです。

 けれども、2人のお子さんたちは、ただの農夫だったので、そのままそこにいました。この人たちは農夫の兄弟であり、搾取される一般市民だったのです。お父さんだけが放浪の隠者でした。

 息子たちはビックリしたでしょう。お父さんが突然お客さんを連れて来て、ごちそうを食べさせたかと思ったら、次の日にはどこかへ行ってしまったわけですから……。もちろん息子たちはお父さんが昔どんな仕事をしていたとか、どこに住んでいたとか、自分たちの母親はどうなったのか、何も語らないで消えてしまったわけですから、もうワケが分かりませんね。

 子路さんは仕方なしに、二人の息子に先生のお気持ちを伝えます。伝えずにはいられなかった。これが子路さんの持ってるところですね。秀才ならあえて何も知らない人には語らないでしょう。



 どこかのだれかに仕えなければ、主人と部下の義理みたいなものはありません。でも、長幼の序(だれが年上で誰が年下か、そのメリハリをつけること)は大切であります。昨日、お父さんがあなた方を私に紹介してくださったことでも、お父さんはちゃんと社会のきまりといいますか、順番と言いますか、それを守っておられたことがわかります。それくらいお父さんは折り目正しい方でした。

 さてそうなりますと、君臣の義(だれかに仕え、その人のために努力し、今度はその仕える人からは自分を大事にしてもらうという、人と人とのつながりみたいなものです)を捨てていいという道理はありますまい。

 わが身を清くしようとするあまり、人と人とのつながりを捨てるということは、人としての大切な道を乱しているのです。

 立派な人間がだれかにお仕えするというのは、人と人のつながりを大切にすること(君臣の義)を行うためです。

 今の世の中に、道が行われないということは、とっくにわかっているのです。

 それを承知の上で、少しでもいい社会ができないかと、私たちは諸国を放浪しているのです。それをお父さんに分かってもらいたかったんですけど、遅かったようです。また、もどられたら、そんなことをあの旅の者は言っていたとお伝えください。

 子路さんは、孔子さんの代弁かもしれないけれど、たくさんしゃべりましたね。なかなかステキです。こういう姿勢、私にあるでしょうか。あるつもりなんだけど、すぐくじけてしまいますね。でも、せいぜい頑張ります。

★ 改めて、子路さんのことばをかみしめたいです。いつも世の中にはちゃんとした「道は行われていない」。「この道しかない」とか言ってる変なヤツは、自分のことしか考えないとんでもない野郎なのに、みんなついついだまされてしまう。

 みんな後になって、「こんなはずじゃなかった」と言うために、私たちは転がっている気がします。ぜひ、そんな世の中でも、少しでもだれかと連帯して、世の中を変えられるように、みんなで話し合いたいです。

 そういう私は、孤立して、あまり誰とも、家族とも話をしていないけれど、とにかく、明日、家族と一緒に選挙には行こうと思います。結果はわかっていても、それはいいです。

 みんながこれでいいのか、私はこんなことも知らなかったのかと、気づくまで、私はオンボロアンテナを立てていきたいです。感度は悪いけど、とにかく明日!

 さて、今日は、朝からものすごい雨で、たぶん世の中は動き出しているはずですが、幸い私の家では、のんびりした朝です。とても外に出て行く気になれません。すごい雨です。(2016.7.9 Sat)


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