孔子さんのこと、しばらく忘れていました。何度も、何回でも、私みたいなボケ人間は、忘れる度にまた見直さなくてはいけません。
どうして今さら孔子さんなのか、そりゃもう、そこに学ぶべきことが書いてあるからです。なのに私はすぐに忘れてしまう。だから、その度にもう一度ふりかえらなくてはならない。
さて、孔子さんは、人生を歩いていくとき、必ずそこにだれかがいてくれると言います。そして、そのだれかにはそれぞれにまなぶべきところがあると言っておられます。
ことばを見てください!
19【( )人行えば必ず我が師あり】……○人で何かをすれば、中に必ず手本となる人がいる。採否は個人の自由ということ。〈述而〉 * 行動を起こすには何人必要でしょう?
ある解説では、人生を過ごしていると、必ずそこに良い手本、悪い手本、自分の合わせて3人がいるというのです。だから、それぞれを適切に判断して、悪いのは切り捨てて、いい手本を採用していけばいいということらしいです。
というわけで3人ですか。
何だか当たり前というか、ありふれた解説ですね。
同じ「述而篇」の中に次のようなおことばがあります。
「二三子(にさんし)、我れを以(もっ)て隠(かく)せりとなすか。吾は爾(なんじ)に隠すことなし。吾れ行うとして二三子(にさんし)とともにせざるなし。これ丘(きゅう)なり。
諸君はわたしが隠しごとをしていると思いますか。わたしは隠しごとなどはしません。わたしはどんなことでも諸君と一緒にしないことはない。それが丘(このたわたし)なのです。
というのがあります。
孔子先生は、お弟子さんたちにも隠すことなんかしないし、いつもお弟子さんたちと一緒にあれこれ考え、おしゃべりし、悩み、ゴハンを食べ、書物を読み、旅をしたり、世の中のことを議論したのです。
そりゃ、先生なので、弟子たちと考えが違ってたり、どういう意味で言ってくれたのかわからないところもあったでしょう。でも、たくさんの仲間がいるので、お互いにフォローすることができて、お互いに補い合えたのでしょう。
ふとわが身を振り返ると、友人がいて、家族がいて、お客さんやら敵がいて、関係のない人がいて、いろんな人たちがいるけど、お互いにフォローするし、支え合っているのかもしれません。敵はこちらが意識せねばなりませんし、弱みを見せちゃいけない。敵も私を支えてくれているのかもしれない。
そんなこんなで、孔子先生は、お弟子さんたちにはいつも同じ心でひらかれた気持ちで接していた。なかなか答えにたどりつけないけれど、数字は、四人でも、五人でも、多ければ多いほど、それはもうみんな何かいいところがあるのでしょう。
二人だと、社会・世の中とはいえないものなんでしょうね。日本では「人のふり見て我がふり直せ」ということわざがありますが、孔子先生のおことばの方が人間社会を見つめている感じで、いいですね。
答え 19・三
どうして今さら孔子さんなのか、そりゃもう、そこに学ぶべきことが書いてあるからです。なのに私はすぐに忘れてしまう。だから、その度にもう一度ふりかえらなくてはならない。
さて、孔子さんは、人生を歩いていくとき、必ずそこにだれかがいてくれると言います。そして、そのだれかにはそれぞれにまなぶべきところがあると言っておられます。
ことばを見てください!
19【( )人行えば必ず我が師あり】……○人で何かをすれば、中に必ず手本となる人がいる。採否は個人の自由ということ。〈述而〉 * 行動を起こすには何人必要でしょう?
ある解説では、人生を過ごしていると、必ずそこに良い手本、悪い手本、自分の合わせて3人がいるというのです。だから、それぞれを適切に判断して、悪いのは切り捨てて、いい手本を採用していけばいいということらしいです。
というわけで3人ですか。
何だか当たり前というか、ありふれた解説ですね。
同じ「述而篇」の中に次のようなおことばがあります。
「二三子(にさんし)、我れを以(もっ)て隠(かく)せりとなすか。吾は爾(なんじ)に隠すことなし。吾れ行うとして二三子(にさんし)とともにせざるなし。これ丘(きゅう)なり。
諸君はわたしが隠しごとをしていると思いますか。わたしは隠しごとなどはしません。わたしはどんなことでも諸君と一緒にしないことはない。それが丘(このたわたし)なのです。
というのがあります。
孔子先生は、お弟子さんたちにも隠すことなんかしないし、いつもお弟子さんたちと一緒にあれこれ考え、おしゃべりし、悩み、ゴハンを食べ、書物を読み、旅をしたり、世の中のことを議論したのです。
そりゃ、先生なので、弟子たちと考えが違ってたり、どういう意味で言ってくれたのかわからないところもあったでしょう。でも、たくさんの仲間がいるので、お互いにフォローすることができて、お互いに補い合えたのでしょう。
ふとわが身を振り返ると、友人がいて、家族がいて、お客さんやら敵がいて、関係のない人がいて、いろんな人たちがいるけど、お互いにフォローするし、支え合っているのかもしれません。敵はこちらが意識せねばなりませんし、弱みを見せちゃいけない。敵も私を支えてくれているのかもしれない。
そんなこんなで、孔子先生は、お弟子さんたちにはいつも同じ心でひらかれた気持ちで接していた。なかなか答えにたどりつけないけれど、数字は、四人でも、五人でも、多ければ多いほど、それはもうみんな何かいいところがあるのでしょう。
二人だと、社会・世の中とはいえないものなんでしょうね。日本では「人のふり見て我がふり直せ」ということわざがありますが、孔子先生のおことばの方が人間社会を見つめている感じで、いいですね。
答え 19・三