甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

東京、病院、福祉施設の21世紀

2016年09月26日 21時20分03秒 | 私たちの社会・世界
 21世紀が明るくない、というのは今になってようやく私たちが理解したことです。これから四年間、日本は何かとスポーツとオリンピックで、いい調子になっていくでしょうけど、内実はボロボロであるのは変わりません。

 どんなに景気のいい話を聞かされても、それらは表面的であったり、一部の人が潤うものであったり、または賢い人たちだけが豊かになるだけのことです。私たちというか、ほとんどの国民は、景気がよくなるでもなく、年金は保証されず、いくつになってもボロボロで働かねばならず、高齢者で年金のないような人たちは、みんな生活保護でも受けて、それがイヤなら最低賃金の仕事をして、ヘトヘトになって働かねばならないようになるでしょう。

 さしあたって、私みたいな役立たずは、働ける限りは働き、私がダメなら妻が、どんな形でもいいから自助努力で貧乏な暮らしを続けていくことでしょう。子どもたち世代は、一部の優秀な子らを除いて、大半はそこそこの収入で、結婚できるかどうか微妙で、豊かさを実感できず、ガツガツ働きたくはなくて、それなりにおもしろおかしく過ごせたらいいや、というふうに生きていくでしょうから、そういうのを悔しいなと思いつつ、何もできないままに時間だけが過ぎていく、そういう21世紀の中盤はつづく。

 21世紀の後半は、人口も減っていくし、スモールサイズの日本が、自分の背丈にあった生活をみつけられるかどうか、その時代の東アジアはどうなっているのかどうか、私には見通せません。

 そりゃ、私は未来学者でもないし、ただのオッサンだから、せいぜい今のことしか考えることはできませんね。

 今の日本は、それはもう無責任時代の完成型というのか、途上型というのか、とにかく、ものすごくつきつめた形にはなっています。

 化学工場跡地、ということは地面は汚染されている、そういうのは百も承知です。そこに食品を扱う場所を作ろうとするのだから、それなりに対策を施さねばならない。そういうのは素人でもわかります。ガソリンスタンド跡地だって、それなりに汚染されているわけだから、化学工場ならなおさらです。

 だったら、せめて汚染された土地から汚染物質を発生させないように、最低の処置を施す、これもだれだってわかることなのに、あえてそれはしなかった。建設業界なのか、そこの権力者なのか、それとも官僚たちの悪だくみなのか、利権議員のせいなのか、とにかくみんなでよってたかって最低限のことをしないように決めた。

 たまたま内部告発なのか最低限のことをしていないよとバレたら、みんなでよってたかって私は告発するみたいになっていますが、実はみんなグルのような気がします。

 だから、みんなそれなりに責任感・反省をせねばならないのに、平気で私はしらないが、だれかがこんなとんでもないことをしてしまったと平気な顔です。共産党・公明党それぞれの都議さんたちは、まるで自分たちは告発する、とんでもないことが都政で行われていた、とかいうふうを装っているけれど、実はみんな仲間だったのではないか、そういう気がします。本当に知らなかったわけがないし、本当であれば、とんでもない無責任な政治活動というしかない。

 そうです。みんな仲間らしい。だから、絶対に責任者は出てこないし、責任追求は、努力してみたが、結局藪の中でしたくらいしか報告されないでしょう。

 このままでは済まないから、だれか変死者が出るとか、自殺者が出たら、いっぺんにマスコミも世の中も、どうでもいい気になって、いつものウヤムヤ結末になるはずです。

 これが日本のカタチなのだと思います。これが良くも悪くも伝統です。日本的幕引きです。欧米の人たちには考えられないだろうけど、日本ではそれが当たり前ですし、責任者は出てこない。実はみんなが責任を分担しているので、だれとは決められないのでしょう。みんななのです。それを知っている私たちも、ああ、そんなものかと思っているだけです。別に不思議でもなんでもない。気に入らないのは欧米系の人たちだけです。

 病院の点滴に異物が混入されて、何人か亡くなったそうです。これは、内部の人の犯行で、犯人はそこにいます。これは犯人を見つけ出さねばなりませんが、そういう社会に私たちは生きている。

 病院は命をつなぐところなのに、そこで働く人が、疲弊していて、そこにやってくる患者の命をもてあそぶことが可能です。選ばれたのが高齢者というのが今風です。たぶんこの犯人は、老人ならかまわないだろうと思ったんでしょう。それで、点滴にどれくらい異物を混ぜたら死ぬのか、実験してみたのかもしれない。

 病院から無事に帰ってこられたら、それは幸せです。ものすごく頑張る人・一生懸命な人、たくさんおられると思います。でも、一部に仕事のために、食いっぱぐれがないから、とりあえず病院勤めをして、時々うさばらしで人体実験をしてみようという人たちも、何人かいる。それが私たちの日本です。

 普段は明るく、真面目で、仕事熱心で、たまたまストレスがかかったのかもしれないし、ギャンブルにはまったのかもしれない。いやなことが仕事以外であったのかもしれない。本来は、それは切り離してほしいところだけど、公私混同・何が現実やら何がストレスやら、もうゴッチャになってしまうのも今風です。

 そんな社会。建設やさんは、自分の仕事にプライドを持って、人に信頼されるモノを作ろうと、日本のカタチを変化させてきました。でも、いつの頃からか、時々は手抜きやら、いい加減な設計やら、鉄筋を少なくしてコンクリートづめにしたり、地盤工事もそこそこにしてみたり、それが当たり前になってしまいました。

 私たち国民が、それぞれに借金をして、国の進める建設業を支持してきましたが、それもどれだけしっかりしているのか、とりあえず表面は立派だけれど、中身はどうなっているのか、それは崩壊するまでわからないのです。そして、崩壊はわりとカンタンにやってくる。地震でコロリと崩れていくことでしょう。はてさて、うちの家だって、どうなるものか、地面の下に断層はないと思うけれど、自然が相手ですから、半信半疑です。でも、信じるしかないですね。

 東京、病院、建設マンション、その他、もっといろいろ崩壊しているモノがありますよ。


 福祉施設で、その人たちをお世話することで生活が成り立っていた人が、思いあまってその入所者、特に生きている価値がないとその人が決めた人たちを選び、計画的に多数殺害して、私たちは怒ったでしょうか。

 犯人の顔も知らないまま、私はそんな事件があったことさえ忘れてしまいそうです。

 私も実は、日本的無責任の片棒を担いでいるんでしょう。もっと怒らねばならないのに、無気力になっている。

 それもありかと、世の中に特に何も感じなくなっている。手抜き工事も許し、ヒラリーさんとトランプさんの対決も、特に興味もなくぼんやりしている。

 何にも責任を持たず、関わらず、何かあってもすぐに忘れて、自分さえ良ければそれでいいとしている。

 これが21世紀の生活スタイルというのでしょうか。そんなのって、すぐに破綻するような気がします。

 いろんな価値観が崩壊し、新しい価値観が生まれるのか? できれば、今までの無責任価値観を取り除き、もっとクリアーで、わかりやすく、みんなが納得のできる、みんなが平等な価値観が生まれてくればいいのに、今風というのは、みんな「自分自分」です。他人なんかどうでもいい。人のことなんかかまってられない。それくらい個々に生きることを強制されていて、みんなでともに支えて生きていく、そんなのは古い生活スタイルと切り捨ててきた。

 みんなの幸福を追求した人なんて、もう郷愁の中にしか出てこない。みんな自分のことで精一杯。選挙で誰かを選ぶのだって、自分の利益がどうなるかが先であって、みんなの幸福なんかだれも求めていない。

 ああ、困りました。ここらで誰か、みんなの幸福をちゃんとしたカタチにしてくれる人、出てこないかなあ。とんでもない全体主義者が選ばれたりしないようにしてほしいのだけれど……。


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