孔子さんのおことばを抜き出す度に、「ああ、私には無理かもしれない」という気持ちがわき起こります。私は、こんな立派なことができるわけがないんですから……。
とはいえ、気持ちとして・気分として、そういう世界もあるのかなと、気楽に聞いておけばいいですね。
何も私が孔子さんになる必要はないし、私は歴然とした「小人(しょうじん)」なんですから、小人の道を進んでいけばいいわけでした。
こうして孔子さんのお言葉を時々メモして、少しだけ思い出しているだけ救いがあるかもしれない。
とりあえず、3つの学ぶということを、かみしめてみましょう!
9【学びて( )わざれば則ち罔(くら)し】……学説・知識を学び取るだけではいけない。自分で深く考えないと、物事の真理を明らかにすることはできない。〈為政〉
10【( )相(あい)近く 習い相遠し】……教育の限りない可能性を言った言葉。「○」は生まれながらの素質。先天的なもの。「習」は反復練習によって身につくもので、学問・習慣・教養をいう。後天的な努力を要するもの。〈陽貨〉
11【玉琢(みが)かざれば( )を成(な)さず】……どんなにすばらしい素質を持っていても、努力して学問し、修養を積まなければ、立派な人物になれない。《礼記》
知識を広げるだけでは、どんどん増やすだけではいけない。せっかく吸収したことを、それが自分たちの生活にどんなふうに利用できるのか考え、学んだことの活用法・意味を問い続けなければ意味がない。
そりゃ、頭のいい人がいて、見聞きしたことをどんどん吸収する人はいるでしょう。チラッと見ただけでその情報を分析し、可否を判断してコメントを述べ、次から次と物事を処理することのできる人はいるかもしれない。
でも、世の中はそんな人だけでできているわけではなくて、人によって学び方はいろいろで、ゆっくりゆっくりの人だっているでしょう。大事なのは、それを自分のものにして、自分の生活で生かすことだというのです。
私だって、日々の生活で学び・吸収していることはあるでしょう。それをどう利用し、どのようにアウトプットするか、宝の持ち腐れではダメですし、常に情報発信をしなくてはいけない。……と、頭では何となくわかっていますが、あまりできていませんし、たいてい後回しにしていて、何か自分が吸収したということもそのまま忘れてしまうようなことがよくあります。
これでは学んだんだか、ただ学びのお稽古をしただけなのか、よくわからないじゃないですか。いかんなあ。
孔子さんは、つづけて「○いて学ばざれば則ち殆(あやう)し」とも言っています。……自分の乏しい知識で思いめぐらすだけで、ひろく他人の言や古人の教えを学ぶことをしないと、考え方が狭く、独断に陥って、危険このうえもないものだというふうに。
クルマの両輪なんでしょうね。インプットだけではダメ、アウトプットも必要だし、その前に寝かせたり、発酵させたり、自分の骨肉にしたり、とにかく自分の中にしっかり取り込まねばならない。そして、それを生かしていきなさいという教えです。……わりとオーソドックスな教えかもしれない。これは私も理解できますし、ぜひそういうふうにしていきたいです。少し最近はジジイなので、吸収する力がよわまっているかも……。勉強しなきゃいけません。本を読みましょう! テレビは見ません。外に歩きに行きたいです。家にいるよりいろいろ吸収できそうな気がします。
10番は、孔子先生に教えてもらうと、「はあ、そういうものかも」と納得のできることばです。
どういうことかというと、先天的に持っているものは自分に近いものであり、わりと近しいものである。すぐに取り出しが可能だというのです。もともと足が速かったとか、ジャンプ力があったとか、声が大きくて明るいキャラであるとか、もともと持ってたものがそのまま出るというのは、当たり前のことです。
後天的に、学ぶ中で身につけたものは、日々それを検証しないと、すぐに消えてしまうので、日々身近なものになるよう、忘れず、練習して自分から遠ざけずにおいておく。練習で身につけたコントロールとか、スポーツはたいてい日々の練習で自分から離れずにあるもので、すこしサボったら、すぐに体はなまってしまうらしいです。それで、体は重いし、うまく自制がきかなくなってしまう。おけいこごとって、すべてそうなんじゃないですか。寝かしておいたら、ある日突然うまくなっていたということはないのです。これが人間のムズカシイところです。
11番、「玉」は無限の可能性を持った原石のことです。加工して何を作るんでしょう? 放置しておいたら、原石のままで勝ちはあるだろうけど、役に立たないです。製品にしてはじめて自慢できたり、楽しめたりできるのです。というわけで、立派なものを漢字一字で表現すると……。
[答え]9・思 10・性 11・器
とはいえ、気持ちとして・気分として、そういう世界もあるのかなと、気楽に聞いておけばいいですね。
何も私が孔子さんになる必要はないし、私は歴然とした「小人(しょうじん)」なんですから、小人の道を進んでいけばいいわけでした。
こうして孔子さんのお言葉を時々メモして、少しだけ思い出しているだけ救いがあるかもしれない。
とりあえず、3つの学ぶということを、かみしめてみましょう!
9【学びて( )わざれば則ち罔(くら)し】……学説・知識を学び取るだけではいけない。自分で深く考えないと、物事の真理を明らかにすることはできない。〈為政〉
10【( )相(あい)近く 習い相遠し】……教育の限りない可能性を言った言葉。「○」は生まれながらの素質。先天的なもの。「習」は反復練習によって身につくもので、学問・習慣・教養をいう。後天的な努力を要するもの。〈陽貨〉
11【玉琢(みが)かざれば( )を成(な)さず】……どんなにすばらしい素質を持っていても、努力して学問し、修養を積まなければ、立派な人物になれない。《礼記》
知識を広げるだけでは、どんどん増やすだけではいけない。せっかく吸収したことを、それが自分たちの生活にどんなふうに利用できるのか考え、学んだことの活用法・意味を問い続けなければ意味がない。
そりゃ、頭のいい人がいて、見聞きしたことをどんどん吸収する人はいるでしょう。チラッと見ただけでその情報を分析し、可否を判断してコメントを述べ、次から次と物事を処理することのできる人はいるかもしれない。
でも、世の中はそんな人だけでできているわけではなくて、人によって学び方はいろいろで、ゆっくりゆっくりの人だっているでしょう。大事なのは、それを自分のものにして、自分の生活で生かすことだというのです。
私だって、日々の生活で学び・吸収していることはあるでしょう。それをどう利用し、どのようにアウトプットするか、宝の持ち腐れではダメですし、常に情報発信をしなくてはいけない。……と、頭では何となくわかっていますが、あまりできていませんし、たいてい後回しにしていて、何か自分が吸収したということもそのまま忘れてしまうようなことがよくあります。
これでは学んだんだか、ただ学びのお稽古をしただけなのか、よくわからないじゃないですか。いかんなあ。
孔子さんは、つづけて「○いて学ばざれば則ち殆(あやう)し」とも言っています。……自分の乏しい知識で思いめぐらすだけで、ひろく他人の言や古人の教えを学ぶことをしないと、考え方が狭く、独断に陥って、危険このうえもないものだというふうに。
クルマの両輪なんでしょうね。インプットだけではダメ、アウトプットも必要だし、その前に寝かせたり、発酵させたり、自分の骨肉にしたり、とにかく自分の中にしっかり取り込まねばならない。そして、それを生かしていきなさいという教えです。……わりとオーソドックスな教えかもしれない。これは私も理解できますし、ぜひそういうふうにしていきたいです。少し最近はジジイなので、吸収する力がよわまっているかも……。勉強しなきゃいけません。本を読みましょう! テレビは見ません。外に歩きに行きたいです。家にいるよりいろいろ吸収できそうな気がします。
10番は、孔子先生に教えてもらうと、「はあ、そういうものかも」と納得のできることばです。
どういうことかというと、先天的に持っているものは自分に近いものであり、わりと近しいものである。すぐに取り出しが可能だというのです。もともと足が速かったとか、ジャンプ力があったとか、声が大きくて明るいキャラであるとか、もともと持ってたものがそのまま出るというのは、当たり前のことです。
後天的に、学ぶ中で身につけたものは、日々それを検証しないと、すぐに消えてしまうので、日々身近なものになるよう、忘れず、練習して自分から遠ざけずにおいておく。練習で身につけたコントロールとか、スポーツはたいてい日々の練習で自分から離れずにあるもので、すこしサボったら、すぐに体はなまってしまうらしいです。それで、体は重いし、うまく自制がきかなくなってしまう。おけいこごとって、すべてそうなんじゃないですか。寝かしておいたら、ある日突然うまくなっていたということはないのです。これが人間のムズカシイところです。
11番、「玉」は無限の可能性を持った原石のことです。加工して何を作るんでしょう? 放置しておいたら、原石のままで勝ちはあるだろうけど、役に立たないです。製品にしてはじめて自慢できたり、楽しめたりできるのです。というわけで、立派なものを漢字一字で表現すると……。
[答え]9・思 10・性 11・器