三連休、どこにも行かないで、最低限の買い物だけして、うちの奥さんは貼り絵をしていました。一つは作ったのだから、もういいではないの? もう十分ではないの? と、私なんかは思いますが、彼女は納得するまでやる人だから、しかも負けじ魂もあるから、各チームがどれだけ絵本などに対する気持ちをポスターにできるか、というコンテストではないけれど、品評会みたいなのに持ち込むため、パンダの模造紙ほどの貼り絵を完成させたようです。
文字や、パンダのシルエットは型紙を作り出し、いかにしてパンダらしい形を作り上げるか、イメージができたら、あとは切り出して重ねていくようです。
もちろん、細かい演出もあって、パンダが読んでる本は、どこかのお菓子メーカーの人気商品の名前のようです。こんな憎らしい演出もあるんだけど、まあ、パンダだねえ、という人には、そんなところは見えないでしょうね。
狙いとしては、とにかく喜んでもらって、本に触れ合うきっかけが生まれればいい、その程度の作戦だと思われます。
でも、何度も描かれた線の中から浮かび上がったパンダの形・シルエットは唯一無二のもので、見る人に簡単に入り込むものだと思われます。それで、自分もパンダを描いてみようと思ったとしても、なかなかその人のカタチは生まれないでしょう。
人それぞれのパンダの形があるのだと思われます。
子パンダだちは、一つの型紙でできてるそうで、こうとなったらポンと二つ生まれるのだけれど、この形にたどり着くまで、どれだけの試行錯誤があったのか、そんなことは作者は言わないでしょう。
一瞬で喜び、インパクトを受けてもらえたら、それでいいのでしょう。あとは人それぞれなのかな。
はらぺこあおむしくんたちは、どこからか折り紙の本を借りてきて、自分でいくつか作ってたようです。じゃぱらのところが動くから、それは面白いんだけど、残念ながら、私には「おもしろいね」で終わっています。
できれば、この折り紙を使って、動画を作るとか、写真をコマ送りにして、野山を駆け巡らせるとか、そんな動きのあるものを作れたらいいのに、私はそういうことを研究していなくて、彼女がどんどん作り出すのに、「すごいね」と感心するだけでした。
そもそもエリック・カールさんの「はらぺこあおむし」だって、家にあっても、まるで読んでないのです。それほどに情熱がなければ、ただ「すごいね」で終わるでしょうね。
申し訳ないです。写真は簡単で一瞬だから、気が向いた時に撮りますが、それも光線もメチャクチャだから、とりあえず撮ってみただけです。
配色や文字、三つの果物の形、あれこれと工夫はあるんですけど、「きれいだね」で終わっている。
どうしてもっと突っ込んで、あれこれ言ってあげなかったんだろう。私って、そんなヤツなのですね。「すごいね」「写真撮ろう」それだけが私のアクションでした。
ああ、こんな夫にもかかわらず、彼女は文句も言わないで、私と一緒にいてくれる。それは感謝していますけど、あまり言葉にはしていないですね。
そうでした。「ティッシュある? どこ?」という彼女の問いかけにも、ウーウーうなって、向こうを指さしているだけです。それくらい口が動かないらしい。どこででも、しゃべれてないんだなあ。
もう、こうして言葉を失いつつあるオッサンとしてやっていくんでしょう。どこかでしゃべる時はあるの? あまりない気がする。
こんな風に、年を取っていくんでしょうか。