40【杞( )】……無用の心配をする。取り越し苦労。
★空欄に「心配する」という意味の漢字一字を入れてください! 「き……に終わる」とかいうヤツです。
杞の国に、天が落ちてくるのではないかと心配し、夜も寝られず、食べ物ものどを通らない人がいました。見るに見兼ねた人がそういうことは絶対にないのだと安心させたというエピソードによる故事成語です。《列子・天瑞》
周の武王さんが殷を滅ぼしたとき、夏の禹王の子孫・東楼公(とうろうこう)を君主として封じ、禹の伝統を継承させた国がありました。この知恵を見習いたいところです。ちゃんと古いものを残しつつ新しいものを築いていった。それが3200年前の中国の人々の知恵でした。
ただ小さな国なので、そこに住む人も何となく小心で、まわりの国にいつ侵略されるかわからないとドキドキしたというふうに見られています。本当はどうなのかわかりません。まわりの国々の偏見がそう見させたのかもしれない。地元の人はわりとのんびりしていたのかもしれません。とにかく、小心者の代表者として杞の国の人が出てきます。
この人は「天地崩墜(てんちほうつい)して身の寄るべきところなきを……して、寝食を廃」してしまいます。
先ほども書きましたが、空と大地(天と地)が崩れたらどうしようと心配していた。世の中には、捨てる神あれば拾う神ありで、どこでだれに助けてもらうのかわからないところがあって、ちゃんとこの心配性の人にも友人がいました。
友人は言います。
「天は積気(せきき)のみ。所として気なきはなし。屈伸呼吸のごとき、終日天中に在りて行止(こうし)するなり。奈何(なんぞ)崩墜を……へんや」と。
……空は空気のかたまりで、すべて空気でできていて、その中で私たちはずっと生活しているんだから、それが崩れることを心配する必要はないよ、という感じでしょうか。
心配性の人はもう1つ疑問があります。
「天果たして積気なりとも、日月星宿(せいしゅく)、当に墜つるべからざるか」と。
……空が空気でできていたとしても、そこに浮かんでいる太陽と月と星は、あれは空気じゃないでしょ。だったら空から落ちてくるということもあるんじゃないの? (なかなかしつこく迫りますね)
友人は答えます。
「日月星宿は、亦た積気の中の光耀(こうよう)有る者なり。これ墜ちしむるも、亦た中傷する所有る能はず」
……太陽と月と星は、空に浮かんでいる光りみたいなものなんだよ。だから、落ちてきたとしても、だれも傷つけることはないんだよ。(少し強引な説得です)
心配性の人は念のために訊ねます。
「地の壊るは奈何いかん」と。……大地が壊れたら、どうしたらいいの?
友人は最後の説得に挑みます。
「地は積塊(せきかい)のみ。四虚(しきょ)に充塞(じゅうそく)し、所として塊(かい)亡きは亡し。躇歩跐蹈(ちょほしとう)の如き、終日地上に在って行止(こうし)するなり。なんぞ其(そ)の壊るを……へんや」と。
……大地は、土のかたまりで、地面の中にいっぱいつまっているんだよ。私たちはその上でずっと生活しているんだから、その大地が崩れることを心配しなくても大丈夫なんだよ。ぎっしり土がつまっているんだからさ。
(よくある地震とかは、地面が崩れる前触れ何じゃないの? と反証したくなりますが、中国は広い国で、四川省とか、ヒマラヤやチベットに近いところでは大きな地震がありますが、河南省あたりじゃ地震もあまり経験しなかったんでしょう。だからスンナリ納得してしまう。日本人ならだまされないのだけれど……)
説得は見事に成功して、2人とも仲良くシアワセになります。
長廬子(ちょうろし)という人はこのエビソードを使ってこう言います。
「虹蜺(こうげい)や、雲霧や、風雨や、四時や、これ積気の天に成る者なり。山岳や、河海や、金石や、水火や、これ積形の地に成る者なり。積気を知るや、積塊を知るや、奚(なん)ぞ壊れずと謂はん。」
……虹や雲や霧や風雨や四季の移り変わり、すべての気象のことも、山や川や海などすべての自然のことも、どうして壊れないと言えるだろうか。自然がいつまでもあると思うのは人間の傲慢じゃないのか?
「天地は、空中の一細物にて、有中の最も巨なる者なり。終り難く窮め難く、これ固(もと)より然(しか)り。測(はか)り難(がた)く識(し)り難く、これ固(もと)より然(しか)り。その壊るを……ふる者は、誠に大だ遠しと為す。其の壊れざると言ふ者も、亦た未だ是ならずと為す。天地は壊れざるを得ず、則ち会ふに壊るに帰す。其の壊るに遇ふ時、奚為(なん)ぞ……へざらんや。」と。
……私たちが生活する空間の天地というのは、ほんの小さなものなのかもしれないし、形あるものの中で最も大きなものなのかもしれない。それはとてもどれくらいなのか計測できないし、知ることができない。形あるものはいつかは壊れるから(あと50億年後に宇宙がなくなるとか言われてますもんね)、壊れるときが来るとしたら、それは心配せずにはおられないじゃないか!
なかなか長廬子(ちょうろし)さんは、おもしろいというか、科学的というか、クールというか、形あるものはいつかはなくなるというのは真実だと私は思います。だから、それを心配してドキドキするのはどうかと思いますけど、とにかく主張すべきことですね。
さて、いよいよ真打ち登場です。
列子さんは微笑みながら言います。
「天地は壊(こわ)ると言ふ者も亦た誤(あやま)りなり。天地は壊れずと言ふ者も亦た誤りなり。壊ると壊れざると、吾の知る能(あた)はざる所なり。然(しか)りと雖(いえど)も、彼も一なり、此も一なり。」
……天地が壊れると言う人も、天地が壊れないと言う人も間違っている。それらは私たちが知ることのできない事柄である。当たっているかもしれないし、当たっていないかもしれない。真実はわからないのだ。
「故(ゆえ)に生けるとき死を知らず、死するとき生を知らず、来るとき去るを知らず、去るとき来るを知らず。壊ると壊れざると、吾れ何ぞ心を容(い)れんや」と。
……私たちは、生きているときは死ぬというのを経験できないし、死ぬときには生きるということはもうわからない。過去には未来のことがわからないし、未来になったら過去のことなんか憶えちゃいないさ。だから、そんなわからないことに悩むことは不要なことなのさ。私は、そんなことに悩みはしない。
列子さんもいいですね。なかなかクールです。わからないことにあれこれ悩むのは時間のムダ、それよりはもっと人生を楽しむことを考える。ただ、わかることとか、予想のできることにはある程度予想を立てて、しっかり対策する。ただ、自分がどうにもできないことには手を付けない。この加減がムズカシイけど、とりあえず自分のことに関しては頑張って、自分がだれかのためになるのなら、それなりに何かしてあげる。これはやっていきたいと思います。
私は、自分のやれることをしっかりやれているでしょうか。たぶん、できていないです。何もかも忘れてしまって、ボケボケで日々を過ごしています。もう、とんでもないオッサンです。だから、みんなに謝りながら、トボトボやっていくしかないですね。
★空欄に「心配する」という意味の漢字一字を入れてください! 「き……に終わる」とかいうヤツです。
杞の国に、天が落ちてくるのではないかと心配し、夜も寝られず、食べ物ものどを通らない人がいました。見るに見兼ねた人がそういうことは絶対にないのだと安心させたというエピソードによる故事成語です。《列子・天瑞》
周の武王さんが殷を滅ぼしたとき、夏の禹王の子孫・東楼公(とうろうこう)を君主として封じ、禹の伝統を継承させた国がありました。この知恵を見習いたいところです。ちゃんと古いものを残しつつ新しいものを築いていった。それが3200年前の中国の人々の知恵でした。
ただ小さな国なので、そこに住む人も何となく小心で、まわりの国にいつ侵略されるかわからないとドキドキしたというふうに見られています。本当はどうなのかわかりません。まわりの国々の偏見がそう見させたのかもしれない。地元の人はわりとのんびりしていたのかもしれません。とにかく、小心者の代表者として杞の国の人が出てきます。
この人は「天地崩墜(てんちほうつい)して身の寄るべきところなきを……して、寝食を廃」してしまいます。
先ほども書きましたが、空と大地(天と地)が崩れたらどうしようと心配していた。世の中には、捨てる神あれば拾う神ありで、どこでだれに助けてもらうのかわからないところがあって、ちゃんとこの心配性の人にも友人がいました。
友人は言います。
「天は積気(せきき)のみ。所として気なきはなし。屈伸呼吸のごとき、終日天中に在りて行止(こうし)するなり。奈何(なんぞ)崩墜を……へんや」と。
……空は空気のかたまりで、すべて空気でできていて、その中で私たちはずっと生活しているんだから、それが崩れることを心配する必要はないよ、という感じでしょうか。
心配性の人はもう1つ疑問があります。
「天果たして積気なりとも、日月星宿(せいしゅく)、当に墜つるべからざるか」と。
……空が空気でできていたとしても、そこに浮かんでいる太陽と月と星は、あれは空気じゃないでしょ。だったら空から落ちてくるということもあるんじゃないの? (なかなかしつこく迫りますね)
友人は答えます。
「日月星宿は、亦た積気の中の光耀(こうよう)有る者なり。これ墜ちしむるも、亦た中傷する所有る能はず」
……太陽と月と星は、空に浮かんでいる光りみたいなものなんだよ。だから、落ちてきたとしても、だれも傷つけることはないんだよ。(少し強引な説得です)
心配性の人は念のために訊ねます。
「地の壊るは奈何いかん」と。……大地が壊れたら、どうしたらいいの?
友人は最後の説得に挑みます。
「地は積塊(せきかい)のみ。四虚(しきょ)に充塞(じゅうそく)し、所として塊(かい)亡きは亡し。躇歩跐蹈(ちょほしとう)の如き、終日地上に在って行止(こうし)するなり。なんぞ其(そ)の壊るを……へんや」と。
……大地は、土のかたまりで、地面の中にいっぱいつまっているんだよ。私たちはその上でずっと生活しているんだから、その大地が崩れることを心配しなくても大丈夫なんだよ。ぎっしり土がつまっているんだからさ。
(よくある地震とかは、地面が崩れる前触れ何じゃないの? と反証したくなりますが、中国は広い国で、四川省とか、ヒマラヤやチベットに近いところでは大きな地震がありますが、河南省あたりじゃ地震もあまり経験しなかったんでしょう。だからスンナリ納得してしまう。日本人ならだまされないのだけれど……)
説得は見事に成功して、2人とも仲良くシアワセになります。
長廬子(ちょうろし)という人はこのエビソードを使ってこう言います。
「虹蜺(こうげい)や、雲霧や、風雨や、四時や、これ積気の天に成る者なり。山岳や、河海や、金石や、水火や、これ積形の地に成る者なり。積気を知るや、積塊を知るや、奚(なん)ぞ壊れずと謂はん。」
……虹や雲や霧や風雨や四季の移り変わり、すべての気象のことも、山や川や海などすべての自然のことも、どうして壊れないと言えるだろうか。自然がいつまでもあると思うのは人間の傲慢じゃないのか?
「天地は、空中の一細物にて、有中の最も巨なる者なり。終り難く窮め難く、これ固(もと)より然(しか)り。測(はか)り難(がた)く識(し)り難く、これ固(もと)より然(しか)り。その壊るを……ふる者は、誠に大だ遠しと為す。其の壊れざると言ふ者も、亦た未だ是ならずと為す。天地は壊れざるを得ず、則ち会ふに壊るに帰す。其の壊るに遇ふ時、奚為(なん)ぞ……へざらんや。」と。
……私たちが生活する空間の天地というのは、ほんの小さなものなのかもしれないし、形あるものの中で最も大きなものなのかもしれない。それはとてもどれくらいなのか計測できないし、知ることができない。形あるものはいつかは壊れるから(あと50億年後に宇宙がなくなるとか言われてますもんね)、壊れるときが来るとしたら、それは心配せずにはおられないじゃないか!
なかなか長廬子(ちょうろし)さんは、おもしろいというか、科学的というか、クールというか、形あるものはいつかはなくなるというのは真実だと私は思います。だから、それを心配してドキドキするのはどうかと思いますけど、とにかく主張すべきことですね。
さて、いよいよ真打ち登場です。
列子さんは微笑みながら言います。
「天地は壊(こわ)ると言ふ者も亦た誤(あやま)りなり。天地は壊れずと言ふ者も亦た誤りなり。壊ると壊れざると、吾の知る能(あた)はざる所なり。然(しか)りと雖(いえど)も、彼も一なり、此も一なり。」
……天地が壊れると言う人も、天地が壊れないと言う人も間違っている。それらは私たちが知ることのできない事柄である。当たっているかもしれないし、当たっていないかもしれない。真実はわからないのだ。
「故(ゆえ)に生けるとき死を知らず、死するとき生を知らず、来るとき去るを知らず、去るとき来るを知らず。壊ると壊れざると、吾れ何ぞ心を容(い)れんや」と。
……私たちは、生きているときは死ぬというのを経験できないし、死ぬときには生きるということはもうわからない。過去には未来のことがわからないし、未来になったら過去のことなんか憶えちゃいないさ。だから、そんなわからないことに悩むことは不要なことなのさ。私は、そんなことに悩みはしない。
列子さんもいいですね。なかなかクールです。わからないことにあれこれ悩むのは時間のムダ、それよりはもっと人生を楽しむことを考える。ただ、わかることとか、予想のできることにはある程度予想を立てて、しっかり対策する。ただ、自分がどうにもできないことには手を付けない。この加減がムズカシイけど、とりあえず自分のことに関しては頑張って、自分がだれかのためになるのなら、それなりに何かしてあげる。これはやっていきたいと思います。
私は、自分のやれることをしっかりやれているでしょうか。たぶん、できていないです。何もかも忘れてしまって、ボケボケで日々を過ごしています。もう、とんでもないオッサンです。だから、みんなに謝りながら、トボトボやっていくしかないですね。