甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

さぶちゃんだったかな。ブンタさんかな?

2014年09月28日 07時20分24秒 | 中学生までのこと
 千本松渡しの写真を見ていて、昔を思い出しました。

 千本松渡しのあたりは、小学校のころの私たちには生活圏外でした。ここまで行ってしまったら、それはもう世界の終わりでした。ここから向こうは中山製鋼の大工場街で、対岸の木津川べりにはぎっしりと造船所が並んでいました。労働者のみなさんはあちらこちらから工場へ向かい、T区からも渡し船を利用して労働者は通勤していました。だから、子どもが寄りつく世界ではなかったのです。

 だから、小学校の5年生ころに切手収集を始めて、渡し船に乗って天下茶屋まで切手屋さんに出かけたりしたのが大冒険でした。あの切手屋さんは何という店だったかな。関西スタンプっていうんでしたっけ。


私は国定公園シリーズを専門に集め、弟は国立公園シリーズを集めるよう、棲み分けをしました。なかなか賢い知恵だったんですけどね。


今からはるか昔の70年代は、切手が大流行していたのですが、あのころ国際趣味週間の蒲原とか、もう見るだけで目の毒でした。こんな恐ろしいものがあるのかと、びっくりしました。子どもには無理な世界でしたね。子どもの弱みにつけこんで、子どもからお金を巻き上げるシステムがありましたね。

……おかげさまで今だに切手収集をやっています。大人だからシート買いしていますよ。恐ろしいことです。つい買ってしまって、ダラダラと切手シートがたまっていきます。いつか換金する日は来るのでしょうか?

 切手業界の悪口を今さら言ってもしょうがないですね。あれで自分の世界が少し広がったのだから、感謝しなくてはいけない。でも、それから進歩せず、小さくまとまってしまった気もします。まあ、これは私の責任であり、切手に八つ当たりしてはいけません。



 さて、そういう私の住む世界の果てで、映画のロケがあるという話を母が聞いてきたのでしょう。小学校低学年のころの話です。ということは、健さんも知らないし、裕次郎も興味ないし、片岡知恵蔵なんて全く知らない時代です。それよりは赤影さんの坂口祐三郎さん、白影さんの牧冬吉さんの方が興味がありました。でも、赤影が東映映画というのも知らないので、何かお祭りがある程度のノリで母に連れられていきました。

 夕方、早くごはんを食べて、母と弟と三人で出かけました。夜に校区外に出るのは、年に一回あるかどうかで、ものすごく珍しい! 何だか魅惑の夜です。途中の道のりは全くおぼえていません。

 到着すると、ものすごい人。どうしてこんなに人がいるのか。びっくりしてしまいます。ロケ見学というお祭りだったんですね。私たちの住む土地は大阪の中でも周辺部だったので、映画のロケというのが珍しかったのだと思われます。人だかりの向こうでだれかが何かをしているらしいのですが、何もわかりませんでした。どんなスターが来て、どんな演技をしているのか全く見えず、ただ現場の熱気だけを感じて、映画のロケ見物とはこんなものなのかと、私の人生の中の唯一の体験となりました。

 後年、東映や日活の活劇ドラマをいくつか見ました。たいていどこかの町外れで、ケンカや大騒ぎがあって、昔の人々の熱狂を見ることができました。それらは、あの熱狂の辺地ロケの中から映画を作り上げていったのだと、種明かしを知った気分で場面を楽しんだものでした。ですからストリートファイトの場面は、ストーリーに関係なく、何となく好きです。それは小学校低学年の頃に植え付けられたものだったのですね。

 切手といい、映画の場面といい、小さい頃にインプットされたものは、なかなかなくなりません。本当に三つ子の魂百までということなんでしょう。



 そうです。今でも赤影は好きで、本当ならDVD全部欲しいです。でも、そんなのはインターネットでいつでも見られるようになると、全く見ようとしません。あまりに膨大な世界があると、あえてそれに手を出そうとしません。不思議ですね。たぶんDVD全巻手に入れても、見ないような気がします。手元にあることで満足して、いつでも見れるということは、いつまでも見ないというのと同義なのでした。

 だれか知っている人が出ているとか、ここはあなたの近所で撮影したものだよとか、特別な情報がないかぎり、たぶんこのままずっと手を出さないでしょう。何とも不思議です。

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