甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

瑞巌寺を訪ねる!

2022年03月27日 16時33分33秒 | 芭蕉さんの旅・おくのほそ道ほか

 気まぐれにやってる「おくのほそ道」シリーズ、早くとりあえず平泉に行きたいんです。

 でも、平泉に行くと、何だかわからなくなります。一関の町だって二泊しているのに全くスルーだし、まあ芭蕉さんに取り上げてもらうには何か物語が必要だったのだと思われますが、雨が降ってたり、ただ宿泊するだけだったりしたから、もうここは省略でいいや、物語を作るのはやめにしようって、省かれてしまったんですね。

 残念だけど、今さら言っても始まりません。旅人は、自分で芭蕉さんの旅をイメージするしかありません。

 それに比べて、松島あたりは、実に丁寧に描いていきます。俳句は残さなかったのに、それぞれのスポットで、それぞれのお話を書いているみたいです。

 曽良さんの随行日記を一緒にのせて、本文を読んでみようと思います。

 十一日、瑞岩寺(ずいがんじ)に詣(もう)ず。

 当寺(とうじ)三十二世(さんじゅうにせい)の昔、真壁の平四郎出家して入唐(にっとう)、帰朝の後開山す。

 十一日、瑞岩寺にお参りをしました。 

 このお寺は三十二世の昔、真壁の平四郎という人が出家して唐で修行を積み、日本へ帰ってきた後に開山したということです。

 瑞巌寺は、838年に慈覚大師によって創建されたということです。ということは天台宗なんでしょうか。平安の終わりには少し荒れて(?)、鎌倉時代に北条時頼が宋から帰って来た法身和尚という人を迎えて中興し、禅宗・臨済宗のお寺に模様替えされます。松島山円福寺という名前に変わる。禅宗は、建長寺派から妙心寺派へと移り変わり、伊達政宗の時代に更に模様替えして、雲居さんというお坊さんが呼ばれ、今に至っていくようです。

 でも、明治の初めには廃仏毀釈に遭うので、いくつもの盛衰を経なければならなかったようです。

 やはり、江戸時代というのは、一つの安定した社会が作られていたような気がします。天下泰平だったんですね。それはそれで素晴らしいというか、奇跡的なことではあったんでした。

 「真壁の」ということだから、茨城県の人なんですけど、その平四郎さんが中国に渡り、9年間修行してやっと帰ってきたら、松島のお寺に迎えられた。

 それは、やはり9年の歳月を経たから、お寺を再興するための貴重な人材としてスカウトされたはずで、当時の流行の禅宗のお寺になったんですね。

 東北地方は、割と曹洞宗が強いような気もするんですが、ここは幕府のバックアップがあったから、臨済宗になったみたいです。それくらいパブリックなお寺の格だったんでしょう。

 だから、伊達政宗さんも大事に支援したんでしょうね。

 1984年の秋、大雨の中を歩いたんですけど、ふたたび行きたいです。



 其の後(そののち)に雲居禅師(うんごぜんじ)の徳化(とっか)によりて、七堂(しちどう)甍(いらか)改まりて、金壁(こんぺき)荘厳(しょうごん)光を輝かし、仏土(ぶつど)成就(じょうじゅ)の大伽藍(だいがらん)とはなれりける。かの見仏聖(けんぶつひじり)の寺はいづくにやとしたはる。

 それからまた時代は経過して、雲居禅師の力によって、七堂伽藍ができあがり、金色の壁、立派な建物の輝きが放たれ、仏様の願いのかなう聖域になったようです。ところで、あの見物聖のおられたお寺はどこなのだろうかと、慕わしい気持ちが起こりました。

 曽良さんの「随行日記」の関連するところを抜き出してみます。

 (旧暦の五月)九日 快晴。辰の刻、塩竃明神を拝む。帰りて船を出す。千賀の浦・籬島・都島などをところどころ見て、午の刻松島に船を着ける。茶など飲みて瑞巌寺に詣づ。残らず見物す。開山(は)法身和尚(真壁兵四良)。中興(は)雲居。法身の最明寺殿宿られし岩窟あり。無相禅窟と額あり。

 芭蕉さんの5月11日分は、実は9日に見ていたんですね。それらをいっぺんに書いてしまうともったいないから、それぞれ別の日に、一つずつ見たんだよ、という形に書き換えてあるようです。旅のガイドではなくて、ネタによってどれだけ文学できるか、それが大事なんですもんね。



 (同じく五月九日)それより雄島ところどころを見る(とみ山も見ゆる)。御島、雲居禅師の座禅堂あり。その南に寧一山の碑の文あり。北に庵あり。道心者住す。帰りて後、八幡社・五大堂を見る。慈覚の作。松島に宿す。久之助という。加衛門状添ふ。

 瑞巌寺見学の後に、松島の海を見ているようです。これらはすでに前のところで芭蕉さんは旅していました。

 順番を変えたり、実際にはなかった話を、お話の中で語ってみせる、こういうことをしてもらうと文学になるんだ。

 当たり前のことを順番通りに書いても、それは日記になるだけなんですね。まさにその通りだけれど、今さらながら文学の難しさです。語り手はそこでどんな世界を作り上げるか、それが問われている。

 本文の最後に出てくる「見物聖」、この人は西行さんの時代の人で、西行さんとも出会っているし、西行さんが見物さんに会いに宮城県の松島あたりまで来たというんだから、このこだわりが文学なんでしょうね。


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