村上春樹「1Q84」第3巻、第17章にこうした文章を見つけました。
「月を見たよ、ゆうべ」とタマルは最初に言った。
「そう?」と青豆は言った。
「あんたに言われたから気になってね。しかし久しぶりに見ると、月はいいものだ。穏やかな気持ちになれる」
「恋人と一緒に見たの?」
「そういうことだ」とタマルは言った。そして鼻の脇に指をやった。「それで月がどうかしたのか?」
「どうもしない」と青豆は言った。そして言葉を選んだ。「ただ最近、どうしてか月のことが気にかかるの」
「理由もなく?」
「とくに理由もなく」と青豆は答えた。
タマルは黙って肯いた。彼は何かを推し測っているようだった。この男は理由を欠いたものごとを信用しないのだ。しかしそれ以上は追及せず、いつものように前に立って青豆をサンルームに案内した。老婦人はトレーニング用のジャージの上下に身を包み、読書用の椅子に座り、ジョン・ダウランドの器楽合奏曲『ラクリメ』を聴きながら本を読んでいた。彼女の愛好する曲だった。青豆も何度も聴かされて、そのメロディーを覚えていた。
彼女・青豆さんは殺し屋です。タマルはお金持ち夫人のボディガードというか、執事というような人です。青豆さんは2つの月があるのが気になっています。どうしてその疑問を他人にぶつけないのでしたっけ? いろいろ忘れていて、ボロボロですけど、気になるところでした。
「このコンパクト・ディスクの演奏も古楽器演奏です」と老婦人は言った。「当時と同じ楽器を使って、当時の楽譜通りに演奏されています。つまり音楽の響きは当時のものとおおむね同じだということです。月と同じように」
青豆は言った。「ただものが同じでも、人々の受け取り方は今とはずいぶん違っていたかもしれません。当時の夜の闇はもっと深く、暗かったでしょうし、月はそのぶんもっと明るく大きく輝いていたことでしょう。そして人々は言うまでもなく、レコードやコンパクト・ディスクをもっていませんでした。日常的にいつでも好きなときに、音楽がこのようなまともなかたちで聴けるという状況にはありませんでした。それはあくまでとくべつなものでした」
「そのとおりね」と老婦人は認めた。「私たちはこのように便利な世の中に住んでいるから、そのぶん感受性は鈍くなっているでしょうね。空に浮かんだ月は同じでも、私たちはあるいは別のものを見ているのかもしれない。四世紀前には、私たちはもっと自然に近い豊かな魂を持っていたのかもしれない」
「しかしそこは残酷な世界でした。子供たちの半分以上は、慢性的な疫病や栄養不足で成長する前に命を落としました。ポリオや結核や天然痘や麻疹(はしか)で人はあっけなく死んでいきました。一般庶民のあいだでは、四十歳を超えた人はそんなに多くはいなかったはずです。女はたくさんの子供を産み、三十代になれば歯も抜け落ちて、おばあさんのようになっていました。人々は生き延びるために、しばしば暴力に頼らなくてはならなかった。子供たちは小さいときから、骨が変形してしまうくらいの重い労働をさせられ、少女売春は日常的なことでした。あるいは少年売春も。多くの人々は感受性や魂の豊かさとは無縁の世界で最低限の暮らしを送っていました。都市の通りは身体の不自由な人々と乞食と犯罪者とで満ちていました。感慨をもって月を眺めたり、シェイクスピアの芝居に感心したり、ダウランドの美しい音楽に耳を澄ますことのできるのは、おそらくほんの一部だけだったでしょう」
老婦人は微笑んだ。「あなたはずいぶん興味深い人ね」
青豆は言った。「私はごく普通の人間です。ただ本を読むのが好きなだけです。主に歴史についての本ですが」
「私も歴史の本を読むのが好きです。歴史の本が教えてくれるのは、私たちは昔も今も基本的に同じだという事実です。服装や生活様式にいくらかの違いはあっても、私たちが考えることややっていることにそれほどの変わりはありません。人間というものは結局のところ、遺伝子にとってただの乗り物(キャリア)であり、通り道に過ぎないのです。彼らは馬を乗り潰していくように、世代から世代へと私たちを乗り継いでいきます。そして遺伝子は何が善で何が悪かなんてことは考えません。私たちが幸福になろうが不幸になろうが、彼らの知ったことではありません。私たちはただの手段に過ぎないわけですから。彼らが考慮するのは、何が自分たちにとっていちばん効率的かということだけです」
「それにもかかわらず、私たちは何が善であり何が悪であるかということについて考えないわけにはいかない。そういうこと。ですか?」
老婦人は肯いた。「そのとおりです。人間はそれについて考えないわけにはいかない。しかし私たちの生き方の根本を支配しているのは遺伝子です。当然のことながら、そこに矛盾が生じることになります」彼女はそう言って微笑んだ。
村上春樹さんは、全体としてもすごいし、青豆と老婦人の会話だけでもすごいのです。当然のことながら、私にこんな会話は書けません。こんな会話を登場人物たちにさせて、しかも物語を進めていく作業もできるなんて、作家とはすごいものですね。
それで、私は遺伝子の話をおもしろいと思って抜き書きしたんだと思います。でも、青豆さんのいつも人間に対してクールな視点もなかなかいいなあと思って、こっちが気に入って抜き書きしたんでしようね。
10月になったら、第3巻を最後まで読んでみましようかね。
★ あれから1年、月末に満月がやってきます。今は9日めくらいの月でしょうか。あと1週間したら、おだんごを買って、お月見をしたいです。でも、夜にだんごを食べるのはよくないですね。
食べたら、どこかを走り回らなくちゃいけないです。そんなのは無理だから、だんごは朝か夕方に食べなきゃいけません。夜はダメです。と書いたけれど、今夜はどうです?
そうですね。正規のゴハンの後、りんご少々、甲斐路というブドウを少し、みかんを2つ食べました。少し果物を食べすぎですね。リスかバクか、それともただのタヌキか、なんだか夜、お酒を飲むと食欲が解放されてしまいます。いけないなあ。(2015.9.23)
「月を見たよ、ゆうべ」とタマルは最初に言った。
「そう?」と青豆は言った。
「あんたに言われたから気になってね。しかし久しぶりに見ると、月はいいものだ。穏やかな気持ちになれる」
「恋人と一緒に見たの?」
「そういうことだ」とタマルは言った。そして鼻の脇に指をやった。「それで月がどうかしたのか?」
「どうもしない」と青豆は言った。そして言葉を選んだ。「ただ最近、どうしてか月のことが気にかかるの」
「理由もなく?」
「とくに理由もなく」と青豆は答えた。
タマルは黙って肯いた。彼は何かを推し測っているようだった。この男は理由を欠いたものごとを信用しないのだ。しかしそれ以上は追及せず、いつものように前に立って青豆をサンルームに案内した。老婦人はトレーニング用のジャージの上下に身を包み、読書用の椅子に座り、ジョン・ダウランドの器楽合奏曲『ラクリメ』を聴きながら本を読んでいた。彼女の愛好する曲だった。青豆も何度も聴かされて、そのメロディーを覚えていた。
彼女・青豆さんは殺し屋です。タマルはお金持ち夫人のボディガードというか、執事というような人です。青豆さんは2つの月があるのが気になっています。どうしてその疑問を他人にぶつけないのでしたっけ? いろいろ忘れていて、ボロボロですけど、気になるところでした。
「このコンパクト・ディスクの演奏も古楽器演奏です」と老婦人は言った。「当時と同じ楽器を使って、当時の楽譜通りに演奏されています。つまり音楽の響きは当時のものとおおむね同じだということです。月と同じように」
青豆は言った。「ただものが同じでも、人々の受け取り方は今とはずいぶん違っていたかもしれません。当時の夜の闇はもっと深く、暗かったでしょうし、月はそのぶんもっと明るく大きく輝いていたことでしょう。そして人々は言うまでもなく、レコードやコンパクト・ディスクをもっていませんでした。日常的にいつでも好きなときに、音楽がこのようなまともなかたちで聴けるという状況にはありませんでした。それはあくまでとくべつなものでした」
「そのとおりね」と老婦人は認めた。「私たちはこのように便利な世の中に住んでいるから、そのぶん感受性は鈍くなっているでしょうね。空に浮かんだ月は同じでも、私たちはあるいは別のものを見ているのかもしれない。四世紀前には、私たちはもっと自然に近い豊かな魂を持っていたのかもしれない」
「しかしそこは残酷な世界でした。子供たちの半分以上は、慢性的な疫病や栄養不足で成長する前に命を落としました。ポリオや結核や天然痘や麻疹(はしか)で人はあっけなく死んでいきました。一般庶民のあいだでは、四十歳を超えた人はそんなに多くはいなかったはずです。女はたくさんの子供を産み、三十代になれば歯も抜け落ちて、おばあさんのようになっていました。人々は生き延びるために、しばしば暴力に頼らなくてはならなかった。子供たちは小さいときから、骨が変形してしまうくらいの重い労働をさせられ、少女売春は日常的なことでした。あるいは少年売春も。多くの人々は感受性や魂の豊かさとは無縁の世界で最低限の暮らしを送っていました。都市の通りは身体の不自由な人々と乞食と犯罪者とで満ちていました。感慨をもって月を眺めたり、シェイクスピアの芝居に感心したり、ダウランドの美しい音楽に耳を澄ますことのできるのは、おそらくほんの一部だけだったでしょう」
老婦人は微笑んだ。「あなたはずいぶん興味深い人ね」
青豆は言った。「私はごく普通の人間です。ただ本を読むのが好きなだけです。主に歴史についての本ですが」
「私も歴史の本を読むのが好きです。歴史の本が教えてくれるのは、私たちは昔も今も基本的に同じだという事実です。服装や生活様式にいくらかの違いはあっても、私たちが考えることややっていることにそれほどの変わりはありません。人間というものは結局のところ、遺伝子にとってただの乗り物(キャリア)であり、通り道に過ぎないのです。彼らは馬を乗り潰していくように、世代から世代へと私たちを乗り継いでいきます。そして遺伝子は何が善で何が悪かなんてことは考えません。私たちが幸福になろうが不幸になろうが、彼らの知ったことではありません。私たちはただの手段に過ぎないわけですから。彼らが考慮するのは、何が自分たちにとっていちばん効率的かということだけです」
「それにもかかわらず、私たちは何が善であり何が悪であるかということについて考えないわけにはいかない。そういうこと。ですか?」
老婦人は肯いた。「そのとおりです。人間はそれについて考えないわけにはいかない。しかし私たちの生き方の根本を支配しているのは遺伝子です。当然のことながら、そこに矛盾が生じることになります」彼女はそう言って微笑んだ。
村上春樹さんは、全体としてもすごいし、青豆と老婦人の会話だけでもすごいのです。当然のことながら、私にこんな会話は書けません。こんな会話を登場人物たちにさせて、しかも物語を進めていく作業もできるなんて、作家とはすごいものですね。
それで、私は遺伝子の話をおもしろいと思って抜き書きしたんだと思います。でも、青豆さんのいつも人間に対してクールな視点もなかなかいいなあと思って、こっちが気に入って抜き書きしたんでしようね。
10月になったら、第3巻を最後まで読んでみましようかね。
★ あれから1年、月末に満月がやってきます。今は9日めくらいの月でしょうか。あと1週間したら、おだんごを買って、お月見をしたいです。でも、夜にだんごを食べるのはよくないですね。
食べたら、どこかを走り回らなくちゃいけないです。そんなのは無理だから、だんごは朝か夕方に食べなきゃいけません。夜はダメです。と書いたけれど、今夜はどうです?
そうですね。正規のゴハンの後、りんご少々、甲斐路というブドウを少し、みかんを2つ食べました。少し果物を食べすぎですね。リスかバクか、それともただのタヌキか、なんだか夜、お酒を飲むと食欲が解放されてしまいます。いけないなあ。(2015.9.23)