甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

老いること 「母のキャラメル」より

2016年09月22日 06時33分28秒 | わたしたち、家族
 雨の休日、いつもの通りに起きて、いつものようにパソコンを開いてしまいました。ものを取ろうと下を向いたら、昨夜のシャックリがもどってきました。また、昨日のつづきです。

 昨夜は、何もかもあきらめてうつぶせになって寝ていたら、自然に収まりましたが、どうしたんでしょう、私の体、ご丁寧にシャックリをキープなんて、本当につまらない。本当にどうにもならない。

 「母のキャラメル」は、まだ途中ですけど、いのちを考えるエッセイがいっぱいで、私はあれこれ抜き書きをしたくなってしまいます。それで、作家の南城範夫さんのエッセイです。老いについて書いておられます。わりと新鮮で、こんなふうに老いていきたいなと思ったので、抜き書きしました。

 生まれてから十年、十五年くらいは、気力も智力も体力もすべて、年々急速に増加していたのだ。六十を超えてからは逆に、そのすべてが衰えてくるのは当然の現象で何の不思議もない。すべてそういうものだと、はっきり認めればよいこと、それをボケたなどと言って、自らおとしめたりがっかりする必要など、全くない。

 顔にシミができ、シワがより、色つやが悪くなり、髪の毛が白くなり、あるいは禿げてくる。人によって多少の差はあっても、こうした、いわゆる老いの現象が現れてきても、それは幼児が少年になり青年になり中年になってゆくのと同じことで、ただそれが逆行過程をたどってゆくだけのことである。慌てても、がっかりしても仕方のないことだろう。

 そんなことは気にしないで、言いたいことを言い、したいことをして、堂々と生きてゆけばいいのだ。

 若い時から、毎晩床につくと、今夜はどんな夢をみることかと期待した。時には、こんな夢をみたいと思って、その通りの夢をみることもあったし、全く反対の夢をみて、がっかりしたこともある。いずれにしてもほとんど毎晩夢を見た。昼間でもぼんやりしているといつの間にか白昼夢に引きずり込まれていた。

 今や、そんな空想力の作り出す夢の世界も次第に間遠になり、夢を見ない夜さえある。日常生活が色彩のないものになると、夢までしぼんでしまうものなのか。どうしようもないと諦めながらも、老いの身にはこれが一番淋しく情けない。


 文章の目玉は、後半にありますが、うれしいのは前半です。すぐ「ボケ」に傾いて、自嘲して、恐れて、自分が年を取るのがものすごく不安であったりします。

 それを当たり前だと言ってもらえると、そうだよなと思うのです。でも、すぐ不安になる。だから、みんなで声を掛け合って、ぼんやりしたり、もの忘れをしたり、いつまでも探し物をしたり、同じことを何度も口にしたり、何かをするのがおっくうだったり(これは私はいつも?)、心身ともに衰えてくるのを落ち込む必要はない。

 そんなの当たり前だし、みんなが経験するわけだし、順調な老化であり、自身の着実な年齢の積み重ねの結果なのだと自覚したい。自らを「順調に老化しているんだな、よしよし」と言ってあげたい。

 なかなか、自分に声はかけにくいので、他人に対して、「順調、順調、よしよし」と言ってあげたい。

 そういう気分になりました。



 朝から、「老化」の話ですか、シャックリしながら、何を書いているんだか……。

 とにかく、前向きに、雨でも何か楽しいことを考えて生きて行けたらと思います。

 さしあたって、何をしましょう。コーヒー淹れて、スクランブルエッグを作って、机の片付けかな。夏からずっと散らかったままで、2ヶ月くらい放置したままの机です。何とかしなくちゃ!


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