甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

「こころ」のKについて あれこれ1

2016年09月22日 20時30分16秒 | 本と文学と人と
私……どうしてKくんは亡くなってしまうのか、昔は少しだけ気になりました。でも、結局わからなかった。

だれか……今はどうなんです? わかるんですか?

私……いえ、まったくわかりません。それに今日もずっとシャックリつづきで、ひょっとして何か悪い病気じゃないのか、自分のことが心配でたまりません。今日は、お酒を飲みませんでした。自慢にならないけれど……。

だれか……それじゃあ、ブログを書く意味がないじゃないですか! ムダですよ。

私……いえ、何か書ける気がしていたんです。シャックリが起こる前ですけど、何か書きたい気持ちになっていた。でも、この落ち着かない感じでは、書けないかもしれません。ただ、先生とKが千葉に行く場面、ああ、こんなのがあったんだと今朝は思いました。だから、抜き書きだけでもしておきます。

 そうしたら、私のシャックリも収まるかもしれないし、何か書けるかもしれませんので……。何だか少し悲壮な感じですけど、とりあえず抜き書きしてみます。



 Kはあまり旅へ出ない男でした。私にも房州は初めてでした。二人はなんにも知らないで、船がいちばん先へ着いた所から上陸したのです。たしか保田(ほた)とか言いました。

 今ではどんなに変わっているか知りませんが、そのころはひどい漁村でした。第一どこもかしこもなまぐさいのです。それから海へはいると、波に押し倒されて、すぐ手だの足だのをすりむくのです。こぶしのような大きな石が打ち寄せる波にもまれて、始終ごろごろしているのです。

 私はすぐいやになりました。しかしKはいいとも悪いとも言いません。少なくとも顔つきだけは平気なものでした。そのくせ彼は海へはいるたんびにどこかにけがをしないことはなかったのです。

 私はとうとう彼を説き伏せて、そこから富浦(とみうら)にゆきました。富浦から那古(なこ)に移りました。すべてこの沿岸はその時分からおもに学生の集まる所でしたから、どこでもわれわれにはちょうど手ごろの海水浴場だったのです。

 Kと私はよく海岸の岩の上にすわって、遠い海の色や、近い水の底をながめました。岩の上から見おろす水は、また特別にきれいなものでした。赤い色だの藍の色だの、普通市場に上らないような色をした小魚(こうお)が、透き通る波の中をあちらこちらと泳いでいるのがあざやかに指さされました。


 若き先生とKの千葉への旅行です。昔の学生さんは、夏というと海水浴のはしごをしたんでしょうね。今では考えられない若者風俗という気がします。今なら、もっと別の遊び方がありそうで、「こころ」の時代の人々の夏の過ごし方、シンプルでいいです。今はこんな余裕がないですね。何かしないと気が済まない。

 たしか60年代の日活映画とか、裕次郎さんたちの時代は、わりと海に行くのを大事にしていた気がしますが、もうすっかりそういう風俗はなくなったかもしれない。

 後には、裏切り裏切られする二人なのですが、この時は仲良く千葉の海水浴場のはしごをしていた。ああ、こんな思い出が二人にはあったんだねと、ホッとします。でも、私はやがてKを裏切ってしまう。

 でも、Kは何も言わなかったけれど、実はKだって私を裏切っていたのかもしれないのです。私に黙ってお嬢さんとおしゃべりしたり、なんとも言えない心の交流を持っていたように思われます。それを私との場面では全く出さず、ただ恋に悩んでいるふうを装っていた。

 やがてお嬢さんと友人が結婚することにはなったけれど、十分本人は恋の気分は味わえたのではないか? いや、だったらあっさりとお嬢さんを諦めて、自らの進むべき道に行けばよかったのです。

 そこがはっきりしないなあ。Kは失恋のために自殺したのでしょうか。違うような気がします。

 海での二人はどうでしょう?



 私はそこ(海の岩の上)にすわって、よく書物をひろげました。Kは何もせず黙っているほうが多かったのです。私にはそれが考えにふけっているのか、景色に見とれているのか、もしくは好きな想像を描いているのか、全くわからなかったのです。

 私は時々目を上げて、Kに何をしているのだと聞きました。Kは何もしていないと一口答えるだけでした。私は自分のそばにこうじっとしてすわっているものが、Kでなくって、お嬢さんだったらさぞ愉快だろうと思うことがよくありました。

 それだけならまだいいのですが、時にはKのほうでも私と同じような希望をいだいて岩の上にすわっているのではないかしらと忽然(こつぜん)疑いだすのです。すると落ち着いてそこに書物をひろげているのが急にいやになります。

 私は不意に立ち上がります。そうして遠慮のない大きな声を出してどなります。まとまった詩だの歌だのをおもしろそうに吟ずるような手ぬるいことはできないのです。

 ただ野蛮人のごとくにわめくのです。ある時は私は突然彼のえり首を後ろからぐいとつかみました。こうして海の中へ突き落としたらどうすると言ってKに聞きました。

 Kは動きませんでした。後ろ向きのまま、ちょうどいい、やってくれと答えました。私はすぐ首筋を押さえた手を放しました。




 あれっ、Kくんはいつでも突き落とされてもいいような気分だったんですね。そして、私はいつもKにこの世からいなくなって欲しいと思っていたようです。

 小説は、二人の希望通り、Kくんは自分で自分の命を、それを見届けた私(先生)は、心の傷をかかえたまま生き続け、たまたま自分を慕う若者を見つけることができたので、自らもKのあとを追った。

 この房州の旅行で、すべては暗示されていました。

 Kくんは何も語りはしなかったけれど、いつでもこの世から去ってもいい、そういう気分で「道」とは何か、すべてを犠牲にして「道」を見つけたいと豪語していた。

 これはフェイクだったのかもしれない。生家からは切り捨てられていた。養家には愛着はなかった。だから、どんなに勉強しても、養家の希望である「医者になること」を叶えることはなかった。

 できれば養家の希望の真逆の方向へ行きたかった。だから、哲学のような、全く役に立たないものを勉強することにした。専攻は養家へのあてつけで選んだものであった。そして、あまり意義を見つけられなかった。

 すべての道がふさがっていたKは、唯一お嬢さんにいやしを見つけた。結ばれることなど求めず、できればずっとあいまいなまま、先生とお嬢さんと奥さんと不思議な同居を続けたかったのかもしれない。

 今だったら、そういう生活もありかもしれないけれど、それではやがてお嬢さんが飛び出ただろうし、ムズカシイです。

 Kの学問は、Kを助けるものではなかった。これは何となく確かな気がしています。

 また、チャンスを見つけて抜き書きしたいと思います。 



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