1914・T3 18歳
3月、賢治さんは盛岡中学を88人中60番で卒業。
4月、盛岡市の岩手病院に入院、肥厚性鼻炎の手術を受ける。入院中、短歌等で「白百合」「鸚鵡」と呼ばれる看護婦、高橋ミネと出会う。
5月、退院。
6月以降、家業の古着店の店番や母の養蚕の手伝いをしながら憂鬱な日々を送る。
★ 歌稿B 大正三年四月
97 よろめきて汽車をくだればたそがれの小砂利は雨に光りけるかな
汽車から降りるとき、少しボンヤリしていてふらついてしまった。夕暮れの駅、汽車は出て行き、自分は取り残された。他の人はみんなどこかへ行ってしまった。自分だけが取り残されて、雨にぬれたじゃりを見ている。……砂利にじっと目がいくのがスバラシイ! 私たちならそんなとこに目がいきません。もっとカンタンなものしか見ていない気がします。
180 はだしにてよるの線路をはせきたり汽車に行き逢へりその窓は明るく
いてもたってもいられなくて、つい夜の野原へ走り出ました。いつのまにか裸足になっていました。線路のそばを走っていました。そうすると、汽車がやってきて、猛然と行き過ぎていきました。音と煙もすごかったけれど、あの時の汽車の中の灯りはとても明るかった。どんな人がそこに乗っていて、どこへ向かっていったのだろう。……少し作りすぎではないかな。いや、気分としてはそんなだったのかなあ。これは実体験なんだろうか。
189 鉄橋の汽車に夕陽が落ちしとてここまでペンキ匂ひくるかな
夕焼けの中を、ゆっくりと細長い汽車は行きすぎていきます。太陽に照らされて、汽車のペンキもにおやかになってツーンと私の方まで匂ってくるようだ。……電車が行き過ぎるとき、無理矢理電車と自分の距離を縮めようと、特別な感覚・ひらめきが起きるときはありますが、たいていは気のせいというのか、ただの思い込みという場合が多いんだけど、これもその1つでしょうか。
207 停車場のするどき笛にとび立ちて暮れの山河にちらばれる鳥
ピーッという警笛が鳴って、汽車は動こうとします。駅で休憩しようとしていた鳥たちは驚いて、夕暮れの空へ消えていきました。ただのそれだけだけれど、夕暮れの駅は、それだけで何かが始まり、何かが終わろうとする感覚があって、心がうごめくのです。
なんとなく、じっとしていられない気分なんだけど、どこへも行けなくて、モヤモヤしてしまう。とりあえず駅に行けば落ち着くのかと思うけれど、それでも落ち着かなくて、つい鳥たちにイタズラな気分も起きてしまうのです。
212 かすかなる日照りあめ降りしろあとのめくらぶだうは熟れひかりけり
これは旅の歌ではないですね。どうしてメモしたのかなあ。「めくらぶどう」ということばの響きにビックリしてメモしたのかもしれません。
これは取り合わせの妙なのかな。「めくらぶどう」とは、どんな植物かわからないけれど、食べられるブドウとは別個の、特別な植物という気がします。
若者独特の感性で、その植物を取り上げ、そこに「かすかな日照り雨」を降らせています。どちらも頼りない感じのモノで、その頼りないモノ同士が不安な世界を広げている。
光ってはいるけれど、鈍く光るような感じです。生き物のギラギラした感じを含みつつ、そのギラギラを包み隠して、鈍くじっとり光っている。まるで当時の賢治さんそのものという気がしないでもないです。
3月、賢治さんは盛岡中学を88人中60番で卒業。
4月、盛岡市の岩手病院に入院、肥厚性鼻炎の手術を受ける。入院中、短歌等で「白百合」「鸚鵡」と呼ばれる看護婦、高橋ミネと出会う。
5月、退院。
6月以降、家業の古着店の店番や母の養蚕の手伝いをしながら憂鬱な日々を送る。
★ 歌稿B 大正三年四月
97 よろめきて汽車をくだればたそがれの小砂利は雨に光りけるかな
汽車から降りるとき、少しボンヤリしていてふらついてしまった。夕暮れの駅、汽車は出て行き、自分は取り残された。他の人はみんなどこかへ行ってしまった。自分だけが取り残されて、雨にぬれたじゃりを見ている。……砂利にじっと目がいくのがスバラシイ! 私たちならそんなとこに目がいきません。もっとカンタンなものしか見ていない気がします。
180 はだしにてよるの線路をはせきたり汽車に行き逢へりその窓は明るく
いてもたってもいられなくて、つい夜の野原へ走り出ました。いつのまにか裸足になっていました。線路のそばを走っていました。そうすると、汽車がやってきて、猛然と行き過ぎていきました。音と煙もすごかったけれど、あの時の汽車の中の灯りはとても明るかった。どんな人がそこに乗っていて、どこへ向かっていったのだろう。……少し作りすぎではないかな。いや、気分としてはそんなだったのかなあ。これは実体験なんだろうか。
189 鉄橋の汽車に夕陽が落ちしとてここまでペンキ匂ひくるかな
夕焼けの中を、ゆっくりと細長い汽車は行きすぎていきます。太陽に照らされて、汽車のペンキもにおやかになってツーンと私の方まで匂ってくるようだ。……電車が行き過ぎるとき、無理矢理電車と自分の距離を縮めようと、特別な感覚・ひらめきが起きるときはありますが、たいていは気のせいというのか、ただの思い込みという場合が多いんだけど、これもその1つでしょうか。
207 停車場のするどき笛にとび立ちて暮れの山河にちらばれる鳥
ピーッという警笛が鳴って、汽車は動こうとします。駅で休憩しようとしていた鳥たちは驚いて、夕暮れの空へ消えていきました。ただのそれだけだけれど、夕暮れの駅は、それだけで何かが始まり、何かが終わろうとする感覚があって、心がうごめくのです。
なんとなく、じっとしていられない気分なんだけど、どこへも行けなくて、モヤモヤしてしまう。とりあえず駅に行けば落ち着くのかと思うけれど、それでも落ち着かなくて、つい鳥たちにイタズラな気分も起きてしまうのです。
212 かすかなる日照りあめ降りしろあとのめくらぶだうは熟れひかりけり
これは旅の歌ではないですね。どうしてメモしたのかなあ。「めくらぶどう」ということばの響きにビックリしてメモしたのかもしれません。
これは取り合わせの妙なのかな。「めくらぶどう」とは、どんな植物かわからないけれど、食べられるブドウとは別個の、特別な植物という気がします。
若者独特の感性で、その植物を取り上げ、そこに「かすかな日照り雨」を降らせています。どちらも頼りない感じのモノで、その頼りないモノ同士が不安な世界を広げている。
光ってはいるけれど、鈍く光るような感じです。生き物のギラギラした感じを含みつつ、そのギラギラを包み隠して、鈍くじっとり光っている。まるで当時の賢治さんそのものという気がしないでもないです。