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★ 指宿通信 第7稿 ……2019.1.1 Tue 9:37am
元旦になりました。初日の出を拝みに行きました。母を誘ったら、喜んでついてきました。いつもはヨタヨタ歩いているのに、今朝は「朝は調子がいいんだよ! だんだん疲れてくるけど……」ということでした。確かに元気に歩いています。この調子で普段は朝の公園を散歩して、帰りはヘトヘトで家にたどり着き、家ではヨタヨタになるのかもしれません。疲れてくると、歩いていても体がフラフラするということでした。
私も、そういう経験がありました。私も振り子のように夕方は歩いているみたい。もっとシャキッと歩けないものだろうか。体幹というのか、筋肉というのか、ダラッとしないように鍛えねばならないようです。それは口でいうものではなくて、地道にコツコツ積み上げるものなんだろうな。
さて、七時十五分ころに家を出ました。港までは十数分で、軽快に歩く母と気ばかり焦る私とで、やっと港に着きました。港に続く道の向こうに三人の人たちが並んでいました。あそこから見たら、大隅半島から上って来る太陽が望めるようです。
それにしても、うちの玄関からチラッと見えた外はもう明るかったのですけど、外に出てみたら、それは空の底の方だけがオレンジ色で、大半は雲が幾重にも重なっているようでした。指宿は薩摩半島の南東にあり、向こう岸は大隅半島です。地図ではわからないけれど、大隅半島は巨大な山塊で、平地があるのかと心配になるくらい山また山の土地に見えます。屋久島ほどではないけれど、あれが南北に延々と連なっていて、錦江湾越しに見ているとすべてが海からせりあがっています。太陽はその山のどこかから出てくるしかありません。フラットな平地はありません。
山と海と空には雲、そして、太陽が昇る。私たち人間はその世界の中で生かせてもらっている。
太陽は、いつも初日の出を大阪で見ている母は経験的に七時十五分くらいに出てくるから、それからカゴシマは十分か十五分遅れて出てくると語ってくれました。
あとどれくらい待てばいいのだろう。幸い風はありませんでした。温かくもないけれど、寒くもありません。もちろんこちらは重装備。今か今かとほんの少しだけ待ちました。何しろ東の空の底だけがオレンジの帯になっています。ということは、東の方は快晴なのだと思われます。
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港に太陽を見に来た人々が集まってきます。釣りをしている人もいる。カップル、親子、お年寄りグループ、母と子、みんなが東を見ていました。
やがて、太陽は出てきて、母は一心に拝んでいます。「ちゃんと名乗って、よろしくお願いしますと言わんといけないんだよ。」などと、どこかで聞いたようなことを言います。私は名乗らず、手も合わせず、心の中で今年の無事を祈らせていただきました。
さて、帰りは、もと来た道を歩けばいいのに、路地好きの母のお供をして、「ここらへんはよくお父さんと散歩に来た。あんたの生まれた病院はもうないねえ。道も少し変わっている。」とか言うのを聞かされ、あちらこちら案内してもらいながら帰りました。来た時よりも倍以上時間はかかったでしょう。狭い範囲の中で、父母の暮らしがかつてあり(大阪でも同じようなものだったかも)、母は父と過ごした町の記憶を大事にしながら今を生きていました。そこにチョコンと参加した私は、母をネタにブログを書いて遊んでいます。何というムスコなんでしょう。あさってにはここを去らねばならない。
元旦になりました。初日の出を拝みに行きました。母を誘ったら、喜んでついてきました。いつもはヨタヨタ歩いているのに、今朝は「朝は調子がいいんだよ! だんだん疲れてくるけど……」ということでした。確かに元気に歩いています。この調子で普段は朝の公園を散歩して、帰りはヘトヘトで家にたどり着き、家ではヨタヨタになるのかもしれません。疲れてくると、歩いていても体がフラフラするということでした。
私も、そういう経験がありました。私も振り子のように夕方は歩いているみたい。もっとシャキッと歩けないものだろうか。体幹というのか、筋肉というのか、ダラッとしないように鍛えねばならないようです。それは口でいうものではなくて、地道にコツコツ積み上げるものなんだろうな。
さて、七時十五分ころに家を出ました。港までは十数分で、軽快に歩く母と気ばかり焦る私とで、やっと港に着きました。港に続く道の向こうに三人の人たちが並んでいました。あそこから見たら、大隅半島から上って来る太陽が望めるようです。
それにしても、うちの玄関からチラッと見えた外はもう明るかったのですけど、外に出てみたら、それは空の底の方だけがオレンジ色で、大半は雲が幾重にも重なっているようでした。指宿は薩摩半島の南東にあり、向こう岸は大隅半島です。地図ではわからないけれど、大隅半島は巨大な山塊で、平地があるのかと心配になるくらい山また山の土地に見えます。屋久島ほどではないけれど、あれが南北に延々と連なっていて、錦江湾越しに見ているとすべてが海からせりあがっています。太陽はその山のどこかから出てくるしかありません。フラットな平地はありません。
山と海と空には雲、そして、太陽が昇る。私たち人間はその世界の中で生かせてもらっている。
太陽は、いつも初日の出を大阪で見ている母は経験的に七時十五分くらいに出てくるから、それからカゴシマは十分か十五分遅れて出てくると語ってくれました。
あとどれくらい待てばいいのだろう。幸い風はありませんでした。温かくもないけれど、寒くもありません。もちろんこちらは重装備。今か今かとほんの少しだけ待ちました。何しろ東の空の底だけがオレンジの帯になっています。ということは、東の方は快晴なのだと思われます。
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港に太陽を見に来た人々が集まってきます。釣りをしている人もいる。カップル、親子、お年寄りグループ、母と子、みんなが東を見ていました。
やがて、太陽は出てきて、母は一心に拝んでいます。「ちゃんと名乗って、よろしくお願いしますと言わんといけないんだよ。」などと、どこかで聞いたようなことを言います。私は名乗らず、手も合わせず、心の中で今年の無事を祈らせていただきました。
さて、帰りは、もと来た道を歩けばいいのに、路地好きの母のお供をして、「ここらへんはよくお父さんと散歩に来た。あんたの生まれた病院はもうないねえ。道も少し変わっている。」とか言うのを聞かされ、あちらこちら案内してもらいながら帰りました。来た時よりも倍以上時間はかかったでしょう。狭い範囲の中で、父母の暮らしがかつてあり(大阪でも同じようなものだったかも)、母は父と過ごした町の記憶を大事にしながら今を生きていました。そこにチョコンと参加した私は、母をネタにブログを書いて遊んでいます。何というムスコなんでしょう。あさってにはここを去らねばならない。
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