10日くらい前、たぶん朝のFMです。グルックという音楽家の『オルフェオとエウリディーチェ』(1762年 いくつかのバージョンがあるようです)というオペラの紹介をしていました。
最初はどうでもいいやと思いつつ聞いていたら(オペラというと腰が引けちゃうんです)、おもしろい展開になっているではありませんか!
オペラのタネ本がギリシア神話のオウィディウスの「転身物語」などみたいだから、通ずるところもあるんでしょう。どんな話なんでしょう? ウィキペディアさんを参考にさせてもらいながら、内容を考えてみます。
オルフェオという男の人が、妻・エウリディーチェの死を悼んでいました。オルフェオは絶望のあまり、とことん気持ちは高まって、妻を連れ戻しに黄泉の国に行きたいと神々たちにお願いしてしまいます。
愛の神が現れ、オルフェオの嘆きに心を動かされたゼウス神たちは憐れみ、彼が黄泉の国に行って妻を連れてくることを許しました。ただし愛の神は、彼の歌によって地獄の番人たちをなだめることと、何があっても決してエウリディーチェ(妻の姿)を振り返って見ないことという条件をつけました。
もちろん人間ですから、この条件は破られるために設定されています。いや、むしろ破らないとしたら、それは人間らしくないと神様たちはお怒りになることでしょう。それを承知で、つまり、人間がどんなに誓おうとも、人間たちは神との約束を守れないと知りつつ、願いを聞いてあげます。
試練を乗り越えて旦那であるオルフェオは妻の所にたどり着きます。そこはエリゼの園というそうで、妻のエウリディーチェは妖精とともに平和を讃えて歌っていました。旦那のオルフェオは妻のエウリディーチェを発見して、彼女の姿を見えないようにして手を取り、地上へと向かいました。
もうすぐにでも約束は破られる手はずは整いました。
妻のエウリディーチェは初めのうちは喜んでいたそうです。死後の世界に行ったとしても夫婦の愛は永遠なんでしょう。でも、旦那のオルフェオがすぐに自分の方に見ようとしないことに不審を抱き、疑心暗鬼になります。
妻のエウリディーチェは夫の愛が冷めたのではないかと怪しんで、夫と一緒に行くことを拒否します。絶望したオルフェオは耐え切れず、エウリディーチェの方を振り向いてしまいます。
この設定、この男女の機微、どうして男は女の機嫌をうかがわなきゃいかんのか。それが男と女のというものだろうし、女はどうして男って、説明もしないし、むやみやたらだし、なかなかその本心に触れられないからヤキモキしてしまうし、もっとお互いに話し合えたらいいし、うまくコミュニケーションを取れたらいいのに、できないみたいです。
ああ、神様の約束を破ってしまった。そうしたら、妻のエウリディーチェは倒れて息絶えてしまうのでした。当然の結果です。
でも、ここはヨーロッパですよ。しかもロマン派の時代じゃないかな。近代社会のオペラです。どうなるんでしょう?
オルフェオは嘆き、短剣を取り上げてそこで死のうとしました。彼女と過ごす望みが絶えてしまったからです。
その時、愛の神が現れ、彼を押し留めます。
愛の神は「お前の愛の誠は十分示された」と告げ、エウリディーチェは再び息を吹き返します。ああ、ヨーロッパ! 愛こそすべて! 愛の誠を信じて、みんなで愛を歌おうという感じです。
さすがだなと感心して、日本のあの物語を思い出しました。同じく神話です。
日本列島を海をひっかきまわして作ってくださった神様のイザナギさんとイザナミさんのご夫婦。ここも奥さんが先に亡くなり、悲嘆にくれたイザナギさんは、奥さんがいるという黄泉の国に向かいます。
イザナミさんに再会したイザナギさんは当然一緒に帰ってほしいと依頼します。すると奥さんのイザナミさんは黄泉の国の神々に相談してみるけれど、これから絶対に自分の姿を見ないでほしいと言って去ります。これはたぶん薄暗い黄泉の国だから、ハッキリと彼女の姿が見えないままに話し合ったんでしょう。
さて、イザナミさん(妻)はなかなか来てくれません。準備をしているのか、何かわけでもありそうです。当然男は、女の姿を探しますし、ハッキリと彼女の姿を確認したいと思うはずです。薄暗い黄泉の国でモヤモヤしてしまってます。
そこに落とし穴があります。
イザナギさん(夫)は、櫛の歯に火をつけて暗闇を照らし、イザナミの醜く腐った姿を見てしまいます。それで、約束を破ったことに怒ったイザナミさんは鬼女の黄泉醜女(よもつしこめ)を使って、逃げるイザナギさんを追いかけさせます。けれども、鬼女たちはイザナギさんが投げる葡萄や筍を食べるのに忙しく役に立たなかったそうです。
死後の世界の怪力女たちは、食べ物に弱かったなんて、何だか情けない怖さです。もっと真剣に襲ってくれたらいいのにね。
それから、イザナミさんは、雷神と鬼の軍団を送りこむそうですが、イザナギさんは黄泉比良坂(よもつひらさか)まで逃げのび、そこにあった桃の木の実を投げて追手を退けます。地獄の世界の鬼たちは食い意地が張っていますし、フルーツに目がなかったみたいです。
最後にイザナミさんが追いかけてきて、イザナギさんは千引(ちびき)の岩(動かすのに千人力を必要とするような巨石)を黄泉比良坂に置いて道を塞ぎます。閉じこめられたイザナミさんは怒って、毎日人間を千人殺してやると吠えますが、イザナギさんは、それなら毎日千五百人の子供が生まれるようにしようと誓って、黄泉比良坂を後にするという脱出劇。こちらは後味の悪い、日本的な結末です。愛は感じられなくて、目には目を、歯には歯をというアジア的な教訓が感じられます。
福岡の画家・青木繁さんに「黄泉比良坂」というテーマの絵がありました。あれは、妻を失ったイザナギさんの後ろ姿だと私は思ってましたけど、最愛の妻からキビシイ処遇を受けて、生きていく世界の違いを味わわされたイザナギさんがあわれでした。そんなものだと思っていました。
でも、ヨーロッパみたいに愛の力で二人はめでたしめでたしになれるんだったら、私はヨーロッパ的な愛を信じたいです。恨みつらみをひたすら言い募るなんてよくないです。「やはり愛だ!」と素直に言いたい。
生と死には深い壁があったとしても、愛の力で壁を乗り越えたい。愛の力の弱い私が念ずるのも何だけど、やはり愛の力を自分の中に蓄えていきたい……と、朝のFM聞いて思ったんでした。
よく見たら、下の方にイザナミさんたちの世界が描かれていたんですね。こちらを見てなかったんでした。女たちの世界の方がはるかに大きいし、それをわからない無知な男の後ろ姿、あわれですね。男どもって、こんなもんなんだ。勝手に自分たちでキレイキレイな世界を夢想していた。それは違うんだよ! というのがアジア的。
いや、男と女には壁はある。でも、それを愛で乗り越えなさい。それでなきゃ、人間的ではない! とするのがヨーロッパ的なのかな。そっちの方がいいですね。アジア的なのもいいけど、ヨーロッパ的にも憧れる!