『春と修羅』に載る「オホーツク挽歌」は、5つで、ものすごく長いので、ここで語り尽くしているのかなあと、ついこの間まで思っていました。でも、そうではなかった。いくらでも賢治さんのイメージは湧いてくるのです。
それが「銀河鉄道の夜」につながっていくのだと思うのですが、ザンネンながら私は挫折しています。もう少し寒くなったら、文字の大きい本を探して読みたいと思います。それとも、パソコンで見た方がいいんでしょうか。
いや、やはり本の形で読みたいですね。なんだかパソコンの画面で見るのはダメです。中高年用にもう少し丁寧な仕事をしてダイソーさんも本を作ってくれないかな。お店に並んでる本は何だか安作りで、とても手に取る気分にはなれません。新潮社もやらないから、私が起業して中高年用の本を作ろうかな。定価200円かで作れたらいいんだけど、一度考えておきたいですね。
私がオリジナル作品を書く必要はないのだから、著作権の切れたものを活字を大きくして、文庫本かB6くらいで出そうかな。儲かるかな。ダメかもしれないけど、自分用に作れたらいいですね。
さて、「青森挽歌 三」を読んでみます。補遺で取り入れられた作品のようです。でも、雰囲気は似ているかもしれない。私だって、興が乗れば、同じようなテーマで繰り返し書いたことはあります。でもレベルが違いますけどね。とにかく書きたい気持ちは止まらないのです。
青森挽歌 三 1923.8.1
仮睡硅酸(かすいけいさん)の溶け残ったもやの中に
つめたい窓の硝子(ガラス)から
あけがた近くの苹果(りんご)の匂(におい)が
透明な紐(ひも)になって流れて来る。
それはおもてが軟玉(なんぎょく)と銀のモナド
半月の噴いた瓦斯(ガス)でいっぱいだから
巻積雲(けんせきうん)のはらわたまで
月のあかりは浸(し)みわたり
それはあやしい蛍光板(けいこうばん)になって
いよいよあやしい匂(におい)か光かを発散し
なめらかに硬い硝子(ガラス)さへ越えて来る。
夜行列車に乗っています。朝になりました。連絡線に乗らなくちゃいけない。連絡船に乗るのは、少し面倒で、少し違う世界へ行く気持ち、何か自分の中で今までの自分を切り離さなくちゃいけない。そんな改まる気持ちが起こります。
青森だからリンゴの匂いがするのか、月明かりはどんなだったのかな。イメージとしては寒ーい冬みたいだけど、北国の夏の朝は、もう少しさわやかで、1つ1つが匂うようなんでしょう。ああ、こんなにおやかな駅に降り立ってみたいですけど、無理ですね。……今は、台風18号が三重県向けてまっしぐらで、明日の午前中が、上陸したり大雨だったりするようで、伊賀地区の小中学校は休校になりました。……洗濯物も乾かないし、匂いがクッキリ浮かぶさわやかさからはほど遠い、湿度100パーセントですね。
青森だからといふのではなく
大てい月がこんなやうな暁(あかつき)ちかく
巻積雲にはいるとき
或ひは青ぞらで溶け残るとき
必ず起る現象です。
私が夜の車室に立ちあがれば
みんなは大ていねむってゐる。
その右側の中ごろの席
青ざめたあけ方の孔雀(くじゃく)のはね
やはらかな草いろの夢をくわらすのは
とし子、おまへのやうに見える。
賢治さんは、9ヶ月前に亡くなった妹さんが見えたような気がしています。というか、妹さんを捜し求めるような旅ですから、当然妹さんはどこかにいるような気がしているでしょう。
というか、妹さんか何か聞かせてもらいたかったでしょうし、妹さんのおしゃべりが聞こえるような気もしていたでしょう。求めていれば聞こえるような気がします。うちの母なんかを見ていると、いつも父に話しかけていて、何か聞こえるような、対話しているような感じになっています。母が特別というのではなく、求めていたら、それなりに聞こえると思うのです。
「まるっきり肖(に)たものもあるもんだ、
法隆寺の停車場(ていしゃば)で
すれちがふ汽車の中に
まるっきり同じわらすさ。」
父がいつかの朝さう云(い)ってゐた。
そして私だってさうだ
あいつが死んだ次の十二月に
酵母のやうなこまかな雪
はげしいはげしい吹雪の中を
私は学校から坂を走って降りて来た。
まっ白になった柳沢洋服店のガラスの前
その藍(あい)いろの夕方の雪のけむりの中で
黒いマントの女の人に遭(あ)った。
帽巾(ぼうきん)に目はかくれ
白い(あご)ときれいな歯
私の方にちょっとわらったやうにさへ見えた。
( それはもちろん風と雪との屈折率の関係だ。)
私は危(あぶ)なく叫んだのだ。
(何だ、うな、死んだなんて
いゝ位(くらい)のごと云って
今ごろ此処(ここ)ら歩てるな。)
又たしかに私はさう叫んだにちがひない。
たゞあんな烈しい吹雪の中だから
その声は風にとられ
私は風の中に分散してかけた。
賢治さんは叫んだのかもしれない。見たのかもしれない。「なんだ、うな、死んだなんていいくらいのごと言って、今ごろここら歩いてるな」……ウソついて、おまえは、こんなとこを歩いてたのかよ! 悪い冗談だな!
そこにいるじゃないか! 心配させやがって! うれしいような、だまされたような気持ち。だけど、会えたうれしさはもう何ものにも代えがたい。
でも、ものすごい吹雪だから、声はかきけされ、女の人はちゃんと確認できなくなった。
「太洋を見はらす巨(おお)きな家の中で
仰向(あおむ)けになって寝てゐたら
もしもしもしもしって云って
しきりに巡査が起(おこ)してゐるんだ。」
その皺(しわ)くちゃな寛(ひろ)い白服
ゆふべ一晩そんなあなたの電燈の下で
こしかけてやって来た高等学校の先生
青森へ着いたら
苹果(りんご)をたべると云ふんですか。
海が藍てんに光ってゐる
いまごろまっ赤な苹果(りんご)はありません。
爽やかな苹果青(りんごあお)のその苹果なら
それはもうきっとできてるでせう。
夢を見ていたのかも知れません。だれかに起こされたのかなあ。のんきな夢を中断してくれたどこかのだれかさん。高等学校の先生はだれでしょう。知り合い? 自分? 同行者?
夢見る賢治さんを、これからの北の旅に向けて背中を押してくれるのは、それは妹さんの幻影かも知れないけれど、青森駅では、とにかく青いリンゴだった。駅でパクリと食べたわけではないけれど、ふたたび意識を取り戻して、賢治さんの旅は続くのです。
青森に着いたら、そりゃすぐに青函連絡船の手続きをしなくちゃ! みんな桟橋の方へ階段を駆け上がっていくんですよ。賢治さんはそんなにガツガツしなくて、ゆっさゆっさと階段を上って、さあ、津軽海峡を渡って、北海道を縦断して、その次は宗谷海峡を渡らなくちゃ! とにかく樺太に行けば、何かがつかめるかもしれないと思ってたんでしょうか。仕事もあるけど、未知の地平がぼんやり見えていたのかも……。
それが「銀河鉄道の夜」につながっていくのだと思うのですが、ザンネンながら私は挫折しています。もう少し寒くなったら、文字の大きい本を探して読みたいと思います。それとも、パソコンで見た方がいいんでしょうか。
いや、やはり本の形で読みたいですね。なんだかパソコンの画面で見るのはダメです。中高年用にもう少し丁寧な仕事をしてダイソーさんも本を作ってくれないかな。お店に並んでる本は何だか安作りで、とても手に取る気分にはなれません。新潮社もやらないから、私が起業して中高年用の本を作ろうかな。定価200円かで作れたらいいんだけど、一度考えておきたいですね。
私がオリジナル作品を書く必要はないのだから、著作権の切れたものを活字を大きくして、文庫本かB6くらいで出そうかな。儲かるかな。ダメかもしれないけど、自分用に作れたらいいですね。
さて、「青森挽歌 三」を読んでみます。補遺で取り入れられた作品のようです。でも、雰囲気は似ているかもしれない。私だって、興が乗れば、同じようなテーマで繰り返し書いたことはあります。でもレベルが違いますけどね。とにかく書きたい気持ちは止まらないのです。
青森挽歌 三 1923.8.1
仮睡硅酸(かすいけいさん)の溶け残ったもやの中に
つめたい窓の硝子(ガラス)から
あけがた近くの苹果(りんご)の匂(におい)が
透明な紐(ひも)になって流れて来る。
それはおもてが軟玉(なんぎょく)と銀のモナド
半月の噴いた瓦斯(ガス)でいっぱいだから
巻積雲(けんせきうん)のはらわたまで
月のあかりは浸(し)みわたり
それはあやしい蛍光板(けいこうばん)になって
いよいよあやしい匂(におい)か光かを発散し
なめらかに硬い硝子(ガラス)さへ越えて来る。
夜行列車に乗っています。朝になりました。連絡線に乗らなくちゃいけない。連絡船に乗るのは、少し面倒で、少し違う世界へ行く気持ち、何か自分の中で今までの自分を切り離さなくちゃいけない。そんな改まる気持ちが起こります。
青森だからリンゴの匂いがするのか、月明かりはどんなだったのかな。イメージとしては寒ーい冬みたいだけど、北国の夏の朝は、もう少しさわやかで、1つ1つが匂うようなんでしょう。ああ、こんなにおやかな駅に降り立ってみたいですけど、無理ですね。……今は、台風18号が三重県向けてまっしぐらで、明日の午前中が、上陸したり大雨だったりするようで、伊賀地区の小中学校は休校になりました。……洗濯物も乾かないし、匂いがクッキリ浮かぶさわやかさからはほど遠い、湿度100パーセントですね。
青森だからといふのではなく
大てい月がこんなやうな暁(あかつき)ちかく
巻積雲にはいるとき
或ひは青ぞらで溶け残るとき
必ず起る現象です。
私が夜の車室に立ちあがれば
みんなは大ていねむってゐる。
その右側の中ごろの席
青ざめたあけ方の孔雀(くじゃく)のはね
やはらかな草いろの夢をくわらすのは
とし子、おまへのやうに見える。
賢治さんは、9ヶ月前に亡くなった妹さんが見えたような気がしています。というか、妹さんを捜し求めるような旅ですから、当然妹さんはどこかにいるような気がしているでしょう。
というか、妹さんか何か聞かせてもらいたかったでしょうし、妹さんのおしゃべりが聞こえるような気もしていたでしょう。求めていれば聞こえるような気がします。うちの母なんかを見ていると、いつも父に話しかけていて、何か聞こえるような、対話しているような感じになっています。母が特別というのではなく、求めていたら、それなりに聞こえると思うのです。
「まるっきり肖(に)たものもあるもんだ、
法隆寺の停車場(ていしゃば)で
すれちがふ汽車の中に
まるっきり同じわらすさ。」
父がいつかの朝さう云(い)ってゐた。
そして私だってさうだ
あいつが死んだ次の十二月に
酵母のやうなこまかな雪
はげしいはげしい吹雪の中を
私は学校から坂を走って降りて来た。
まっ白になった柳沢洋服店のガラスの前
その藍(あい)いろの夕方の雪のけむりの中で
黒いマントの女の人に遭(あ)った。
帽巾(ぼうきん)に目はかくれ
白い(あご)ときれいな歯
私の方にちょっとわらったやうにさへ見えた。
( それはもちろん風と雪との屈折率の関係だ。)
私は危(あぶ)なく叫んだのだ。
(何だ、うな、死んだなんて
いゝ位(くらい)のごと云って
今ごろ此処(ここ)ら歩てるな。)
又たしかに私はさう叫んだにちがひない。
たゞあんな烈しい吹雪の中だから
その声は風にとられ
私は風の中に分散してかけた。
賢治さんは叫んだのかもしれない。見たのかもしれない。「なんだ、うな、死んだなんていいくらいのごと言って、今ごろここら歩いてるな」……ウソついて、おまえは、こんなとこを歩いてたのかよ! 悪い冗談だな!
そこにいるじゃないか! 心配させやがって! うれしいような、だまされたような気持ち。だけど、会えたうれしさはもう何ものにも代えがたい。
でも、ものすごい吹雪だから、声はかきけされ、女の人はちゃんと確認できなくなった。
「太洋を見はらす巨(おお)きな家の中で
仰向(あおむ)けになって寝てゐたら
もしもしもしもしって云って
しきりに巡査が起(おこ)してゐるんだ。」
その皺(しわ)くちゃな寛(ひろ)い白服
ゆふべ一晩そんなあなたの電燈の下で
こしかけてやって来た高等学校の先生
青森へ着いたら
苹果(りんご)をたべると云ふんですか。
海が藍てんに光ってゐる
いまごろまっ赤な苹果(りんご)はありません。
爽やかな苹果青(りんごあお)のその苹果なら
それはもうきっとできてるでせう。
夢を見ていたのかも知れません。だれかに起こされたのかなあ。のんきな夢を中断してくれたどこかのだれかさん。高等学校の先生はだれでしょう。知り合い? 自分? 同行者?
夢見る賢治さんを、これからの北の旅に向けて背中を押してくれるのは、それは妹さんの幻影かも知れないけれど、青森駅では、とにかく青いリンゴだった。駅でパクリと食べたわけではないけれど、ふたたび意識を取り戻して、賢治さんの旅は続くのです。
青森に着いたら、そりゃすぐに青函連絡船の手続きをしなくちゃ! みんな桟橋の方へ階段を駆け上がっていくんですよ。賢治さんはそんなにガツガツしなくて、ゆっさゆっさと階段を上って、さあ、津軽海峡を渡って、北海道を縦断して、その次は宗谷海峡を渡らなくちゃ! とにかく樺太に行けば、何かがつかめるかもしれないと思ってたんでしょうか。仕事もあるけど、未知の地平がぼんやり見えていたのかも……。