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今、16:42pm また、風が吹いてきました。さっきまでは風も止んで、空も見えかけていたので、
「ああ、台風は過ぎていったのだ。なんだ、たいしたことなかった。」
などと思っていました。でも、台風の中にいたから、そんな天気だったのであり、風はうなりだしていますし、雨もまた降ってきそうです。うかつでしたね。これが、台風というものでした。
来るぞ、来るぞ。どんなだ? 大きいのか?
大きいのはイヤだぞ! 洪水なんてゴメンだ。
でも、洪水って、経験したことあるか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/ff/d12626156cca68d44aaf10868a6b823a.jpg)
あっ、ありました。昔、初めてクルマを買ったとき、知人から十万でゆずりうけたヤツを、駐車場に置いていたら、たまたまそこは水浸しになって、クルマをニュートラルにして、クルマの床くらいまで、ということは二十センチくらいは浸水していて(もっと?)、それを少しだけ高いところに移動させたことがありました。
あれは、洪水ではないけど、床下浸水くらいはあったかもしれない。
それはもう、二十数年前のことですね。台風何号? 記憶にないなあ。とにかくすごかった、という記憶しかありません。雨戸もなくて、ガラス戸がウオンウオンうなっていました。割れたら、もうそれまでだなと覚悟するくらい、こわい台風でした。たまたまガラス戸は割れなかったけれど、いのちは縮まりました。
クルマはオースターというニッサンのクルマでした。あれから、日産車とは縁がありません。スカイラインとか、デュアリスとか、好きなのはありましたが、もう今はないし、好きになるクルマがありません。
まあ、私は走り屋でもないし、ただのオッチャンだから、せいぜい好きなのを見つけて、大事に乗るだけですね。
オースターは、しばらくしたらアクセルのあたりから水が吹き出してきて、すぐに廃車になりました。最初のクルマというのに、あまり縁がありませんでした。何だか十万円損した気分がしたものです。でも、自分で了承して買ったのだから、仕方ないですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/21/d84d9b24eb82cfa5a5a09729134a5f2e.jpg)
小さい頃、朝はNHKのニュース番組を見ていました。7時半くらいに、近畿の受け持ちの時間があって、たいてい台風の特集をしている、そんな印象があります。
何しろ住んでいるのは海抜の低いところで、まわりは全部堤防に守られている。現在は水門などができていますが、私の小さい頃は何もなくて、わりと無防備に台風を受け入れていた。でも、たまたま浸水することはなかった。
私の実家って、とんでもないところにあったんですね。当時は何も意識することはなかったけれど、大阪の海側の、江戸時代は海だったかもしれない、新開地にあった。いろんな人が新田開発で乗り込み、大阪へ出稼ぎに来た沖縄の人たちも住み、低湿地のバラックに住んで、そこを沖縄言葉でクブンバーとか呼んでいたらしいです。
本当に、いろいろな歴史を経て、私たちへとつながっていった。高校になって、紀貫之の「土佐日記」を副読本で勉強させられて、そこで貫之さんがうちの実家あたりを船で通過したときもあったのかもな、とか思うと、もう薄汚れた感じのわが街が、いっぺんにキラキラ見えるような気がしましたっけ……。
ああ、今は21世紀の初めです。紀貫之さんは十世紀の初めに通過したはずだから、千百年前のことでした。あまりにギャップはあるけれど、少しずつ私の街も、千年前を取り戻そうとしているので、いつか、あと数十年したら、ふたたび平安時代の水面を取り戻せるでしょうか。
それは、無理かな。でも、イメージできるような、浜辺・水辺を作ってくれたら、いいんですけど、それは考えてもらえるかな。
何を書いているのかというと、私は、近代以前の風景を求めているんですね。どこに行っても、現地の風景から近代以前の、加工していない、ありのままの日本の風景が見えないかと探している。
小さい頃の私の街は、コンクリートのこてこてだけど、時代の雰囲気は、室戸台風・第2室戸台風・伊勢湾台風の記憶を引きずっていて、近代初期の気分にはなれたものです。
台風は、人間に、改めて自然の偉大さを感じさせてくれて、「素直に自然はこわいし、人間は無力だ」という気にさせてくれるそんざいです。時には私たちの街に来て欲しい、そういうものかもしれません。
実際に来てもらったら、ひたすら家の中にこもるしかないですけどね。
「ああ、台風は過ぎていったのだ。なんだ、たいしたことなかった。」
などと思っていました。でも、台風の中にいたから、そんな天気だったのであり、風はうなりだしていますし、雨もまた降ってきそうです。うかつでしたね。これが、台風というものでした。
来るぞ、来るぞ。どんなだ? 大きいのか?
大きいのはイヤだぞ! 洪水なんてゴメンだ。
でも、洪水って、経験したことあるか?
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あっ、ありました。昔、初めてクルマを買ったとき、知人から十万でゆずりうけたヤツを、駐車場に置いていたら、たまたまそこは水浸しになって、クルマをニュートラルにして、クルマの床くらいまで、ということは二十センチくらいは浸水していて(もっと?)、それを少しだけ高いところに移動させたことがありました。
あれは、洪水ではないけど、床下浸水くらいはあったかもしれない。
それはもう、二十数年前のことですね。台風何号? 記憶にないなあ。とにかくすごかった、という記憶しかありません。雨戸もなくて、ガラス戸がウオンウオンうなっていました。割れたら、もうそれまでだなと覚悟するくらい、こわい台風でした。たまたまガラス戸は割れなかったけれど、いのちは縮まりました。
クルマはオースターというニッサンのクルマでした。あれから、日産車とは縁がありません。スカイラインとか、デュアリスとか、好きなのはありましたが、もう今はないし、好きになるクルマがありません。
まあ、私は走り屋でもないし、ただのオッチャンだから、せいぜい好きなのを見つけて、大事に乗るだけですね。
オースターは、しばらくしたらアクセルのあたりから水が吹き出してきて、すぐに廃車になりました。最初のクルマというのに、あまり縁がありませんでした。何だか十万円損した気分がしたものです。でも、自分で了承して買ったのだから、仕方ないですね。
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小さい頃、朝はNHKのニュース番組を見ていました。7時半くらいに、近畿の受け持ちの時間があって、たいてい台風の特集をしている、そんな印象があります。
何しろ住んでいるのは海抜の低いところで、まわりは全部堤防に守られている。現在は水門などができていますが、私の小さい頃は何もなくて、わりと無防備に台風を受け入れていた。でも、たまたま浸水することはなかった。
私の実家って、とんでもないところにあったんですね。当時は何も意識することはなかったけれど、大阪の海側の、江戸時代は海だったかもしれない、新開地にあった。いろんな人が新田開発で乗り込み、大阪へ出稼ぎに来た沖縄の人たちも住み、低湿地のバラックに住んで、そこを沖縄言葉でクブンバーとか呼んでいたらしいです。
本当に、いろいろな歴史を経て、私たちへとつながっていった。高校になって、紀貫之の「土佐日記」を副読本で勉強させられて、そこで貫之さんがうちの実家あたりを船で通過したときもあったのかもな、とか思うと、もう薄汚れた感じのわが街が、いっぺんにキラキラ見えるような気がしましたっけ……。
ああ、今は21世紀の初めです。紀貫之さんは十世紀の初めに通過したはずだから、千百年前のことでした。あまりにギャップはあるけれど、少しずつ私の街も、千年前を取り戻そうとしているので、いつか、あと数十年したら、ふたたび平安時代の水面を取り戻せるでしょうか。
それは、無理かな。でも、イメージできるような、浜辺・水辺を作ってくれたら、いいんですけど、それは考えてもらえるかな。
何を書いているのかというと、私は、近代以前の風景を求めているんですね。どこに行っても、現地の風景から近代以前の、加工していない、ありのままの日本の風景が見えないかと探している。
小さい頃の私の街は、コンクリートのこてこてだけど、時代の雰囲気は、室戸台風・第2室戸台風・伊勢湾台風の記憶を引きずっていて、近代初期の気分にはなれたものです。
台風は、人間に、改めて自然の偉大さを感じさせてくれて、「素直に自然はこわいし、人間は無力だ」という気にさせてくれるそんざいです。時には私たちの街に来て欲しい、そういうものかもしれません。
実際に来てもらったら、ひたすら家の中にこもるしかないですけどね。