突然ですが、楚の厲王(れいおう)の時代にもどろうと思います。いつごろの話かというと、春秋時代の初めのころになります。厲王さんは蚡冒(ふんぼく)という名前だったそうで、楚という国の人の名前はイマイチわかりません。何しろ別民族・別言語であり、違う世界の人々だったと思われます。
厲王さんはBC757に即位し、BC741に弟さんに殺されてしまうので、在位は17年になるんでしょうか。まあ、普通よりちょっと少ないのかな。とにかく南の国の楚で王様になりました。
戦国のことをやっているのに、どうしてそんなに昔に戻るのか? どうして何百年も戻るの?
それは戦国時代に書かれた『韓非子』に関係します。
そこにつぎのような話が出てくるそうです。
卞和(べんか、生没年不詳)という男がいたそうですよ。と韓非さんは言うのです。
これまた突然すぎますね。『韓非子』の本はBC240年くらいの成立になるんだろうか。とにかく、そういう時代に、500年前の人の話を持ち出しています。なかなか話がつながりませんが、数百年前の南の国の楚に、卞和(べんか)という人がおりました。一つのたとえ話ですね。
何をする人なのかというと、玉(宝石)の鑑定人だったそうです。あちらこちらから原石を集め、それで商売していたらしいのです。ものすごい原石が見つかったので、時の王様に献呈し、それなりの報酬をもらおうとしたことでしょう。それがお仕事ですから、最上の品物を王様に見てもらおうとした。職人としては正直に生きていますね。
その王様が厲王さんで、原石を磨く職人さんに見させたところ、そちらの人は「ただの石ころだ」という鑑定をしてしまいます。やっかみだったのか、見分けられなかったのか、磨く方法が難しかったのか、とにかくレベルの高い石だったのでしょう。王のおそばにいた鑑定士には見分けられなかったのです。
王様はとんでもないものを持ち込んだ卞和(べんか)を許さず、足斬りの刑ということで左足を切り落としてしまいます。王様って、こうした刑をもって下々を取り締まることになっていたようです。
いや、そもそも本当の話なのか? たぶん、その石が後の時代の趙という国に伝わっていたはずだから、その石の伝説を戦国の人々は伝え聞いていたはずですね。あの有名な石にはそんなエピソードがあった。
とにかく、宝玉を見つけたはずの卞和(べんか)さんはとんでもない目に遭ってしまいました。自分が仕事に忠実にあろうとして宝物だと信じたものが見つかった。純粋な気持ちで王様に差し出したら、逆に自分が足斬りの刑にされるなんて、全く予想外のことが起きてしまいました。
卞和(べんか)さんは泣き寝入りだけど、厲王(れいおう)さんはそれからどうなったんでしょう?
なんと弟の熊徹(ゆうてつ)さんに殺されてしまいます。弟さんはそのまま王になりました。これが武王さん(在位BC740~690)で、在位は50年になります。長期政権ですね。
さあ、新しい時代ですよ。前の王様を否定した王様です。人々は空気が変わったとでも思ったでしょうか?
卞和さんは再び原石を王様に献上します。しかし、結果は同じで、武王さんは卞和さんを嘘つきとして右足を切り落としてしまいます。もともとウソつきというレッテルを貼られた者として王様のところに進み出てきたわけですから、チャレンジャーというのか、懲りないというのか、バカ正直というのかです。
数十年の歳月が経過しました。卞和さんはものすごいおじいさんになっていたでしょう。武王さんが死んでしまい、子の文王さん(BC690~BC675)が即位しました。
卞和さんは原石を抱きかかえて楚の国の山の中で三日三晩血の涙を流し泣き悲しんだそうです。人々はおかしくなったと思ったのか、怖くなったのか、何とかしてあげようと思ったのか。
文王さんは人を遣わして、足斬りの刑を受けた者は沢山いるはずだが、どうしてそのように悲しむのかと、その理由を訊ねました。
卞和さんは、足斬りにあったことが哀しいのではなく、宝石なのに石ころと鑑定されたことが辛く、真実を述べただけなのにウソつきと自分を否定されたことがどうしても悲しい、生きている自分を全否定された感じを何十年も背負ってきて、その処分を決めた王様が亡くなっても、自分の名誉は奪われたままであるのが何とも悲しかった。そんなに詳しく述べたわけではないと思われますが、「私はウソつきではありません。私は真面目な仕事人です。絶対にこれは宝玉です!」と何十年もの思いを込めて述べたでしょう。
さあ、文王さんが原石を磨かせてみました。やはりその石は見事な宝石となりました。カッティングの問題ではなくて、鑑定する人の眼力がなかっただけでした。そのせいで一人の人生がメチャクチャになった。
文王さんは、親や自分たちの非を認めた上で卞和さんを賞し、この宝石を「和氏(かし)の璧(たま)」と名付け、楚の国宝にしました。
卞和さんの強い信念と仕事への情熱、これが褒められるべきものですけど、韓非さんはどういうふうに評価しているんでしょう。
宝玉というものは、王様の装飾品ではあるものの、和氏(かし)さんは宝物として鑑定するのが難しいものを王様に差し出した。これくらい自分の才能・技能を認めてもらうのは命がけにするものである。
『韓非子』を読み、法術を学ぶ人々が活躍すれば、国に規律をもたらし、農民を仕事に取り組ませ、官僚は権力の乱用もしなくなるだろう。すべて法の下にコントロールがなされるだろう。
けれども、王様が、命がけの法術の士(法家……法律優先ですべてを取り締まろうという考えの人々)を認めないと、正しい道はやって来ないだろう、と述べておられるそうです。
〈「韓非子」の知恵 狩野直禎著 講談社現代新書より〉
それくらい法家って、王から認められないし、耳の痛いことを言うだろうし、法術の士そのものも悲惨な人生を歩くこともあると述べておられるそうです。
自分たちの道は厳しいものがあると思っていた。
その厳しい人生のシンボルとして
79【和氏のたま(璧)】……見分けるのが難しい原石という意味になりますか。……があったということですね。さて、この「和氏」の読みは? もう何度も出てますけど、一応質問させてください。
やがて、この和氏の璧は、戦国時代の趙へと渡り、「完璧」の故事の由来ともなります。
★ 答えは、79・「わし」ではなくて、「かし」でしたね!