何だか落ち着かない一日でした。まあ、いつものことなんですけど。
でも、自分たちなりに頑張ろうとはしたんです。でも、途中でお腹が痛くなったり、あまりの湿気と暑さでダウンしたり、なかなかこの梅雨を乗り切るための体力が整っていませんでした。
朝から珍しく散歩もしたんですよ。
通りにクルマはまるで走ってませんでした。あれ、こんなもんだったっけ? と思いつつ道路を渡り、田んぼの中の道を歩いて、適当なところまで来たら、適当に引き返してきました。
すべていつも通っている道でした。田んぼはみんなミドリに見えていて、実はいろいろと違っているのだというのに気づきました。
まわりのあぜの草を丁寧に刈り取ってあるところ、除草剤を散布して田んぼのまわりだけ茶色になっているところ、たくさんのカエルとザリガニ、タニシのいるところ、タニシの全くいない泥だけの田んぼ、小さい稲穂・幼穂というのかな、そんなのが出ているところ、まだ穂が出ていない田んぼ、同じように見えて、みんなそれぞれに違っていました。
そう、アザミが出ていたあぜ道も、どれもきれいに刈り取られていて、スイバも、アザミも何もなくなっていた。まあ、農家さんにしてみれば、何にもない方がいいんでしょう。そういう美学なのかな。それなのに、草は生えて来るし、余計な虫も出て来るし、そんなこんなで草は刈り取られてしまう。
それはまだましな方で、機械的に除草剤散布されてるドライな田んぼだってある。そういうのが同じ緑の世界の中で混在していました。
これは、どうしてなんだろうと思ったら、たぶん、近所のおうちがみんな田んぼのオーナーなので、自分たちが食べる田んぼには低農薬で、除草剤もしない。出荷用の田んぼは、機械的に、機能的にやれる管理の仕方をする、そういう風に使い分けているのかもしれない、ということだったのかどうか。
また、近所には、耕作をしない田んぼの管理をしてくれる請負会社もあって、こういうところはスピードがすべてだから、機械で田植えして、薬をまいて、まわりは除草剤で枯らしておいて、適当な時期が来たら稲刈りする。時々は見回りに来る、みたいな管理方法なのかもしれません。
詳しい田んぼのオーナー区分はわからないのですが、勝手な想像です。でも、一面のミドリの田んぼにそれぞれ違いを見つけたのは発見でした。
カーブのところの電線の上では、ツバメがひとりでずっとおしゃべりしていました。誰に聞かせているんでしょう。民家は近いところにあるし、彼の家族は聞こえるところにいたのかもしれなくて、たまたま私たちのところからは見えなかっただけなのかもしれない。
カラーで撮ったつもりなのに、何か暗いなあと思ってたら、白黒モードで撮っていました。何をしてんだか。それさえわからないボケボケなんですから。
月見草を見つけました。こんなにあっちこっちニョキニョキ出ているとは知らなかった。
なあんだ。月見草って、富士山麓だけに出るものではなかったのか。いや、もっと前にもたくさん近所で見かけたかもしれないのに、すべて忘れて、今初めて見たような気持ちで見ていました。ああ、太宰さんにもなれないし、野村監督にもなれない私です。
今度見つけたら、ちゃんと今朝出会ってたというのを憶えていたいです。でもまた忘れて、初めて見るような気になるかもしれない。ネムの花はあんなに感動するくせに、月見草には冷たいなんて、とんでもない野郎です。好き嫌いがはっきりしているのかもしれない。何だか自分のことだけど、怖いくらいです。