甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

船を撮る その2 IKEAと大正内港

2016年01月09日 22時17分52秒 | わたしと大阪
 元日は、三重県から家族で出かけたので、みんなで近所の神社にお参りをしました。うちの実家の方が海抜が高くて、神社のある地域は、少しだけ海抜が低くなっています。

 その坂にさしかかると、もう何十年も母は同じことをいいます。

「ほら、ここに豚小屋があったのにね。あんた、憶えてるでしょ?」

 私は、何十年もそのセリフを聞かされているので、あったらしいという情報は持っていましたが、実際に自分の目で見た記憶はありません。母の心に刻印されている豚小屋の姿を通して、私はこの境界線のところに豚小屋があって、この坂道を下りていくと、人間たちの住む世界があったのだなと思うのでした。

 だったら、今私たちが住んでいる、少しだけ高度が高い、といっても海抜2~3mだと思われますが、そこはなんだったのか? これは少しだけ記憶があって、ポツンと小学校があって、まわりは原っぱだったのです。雨が降ればあちらこちらに水たまりができ、トンボが飛び回り、少し歩くと、あちらこちらに運河があって、網を持ってすくったら、小魚が捕れるような、そんなワイルドな環境だったのです。

 豚小屋は、原っぱと人が住むところとの境界線のところにあったのです、たぶん。今から50年以上前、母が大阪に出て来て、父との夫婦生活を始めた町。そこで見つけた豚小屋は強く母の心に残った。しばらくはそこで養豚が行われていたものが、少しずつ人が住み始めて、やがて業者はどこか他の土地へ移っていった。

 私がものごころつくかつかないか、そういう頃に豚小屋はどこかへ消えた。それを数十年、母はずっと私たちに伝え、たぶんこれからもずっと伝え続けるでしょう。私は、「何度も聞いたよ」とは言わないで、これからもずっと「へーっ」と言い続けるでしょう。たぶん、親孝行というのではなくて、私もボケていて、母からその話が出るまではずっと忘れているんだと思います。母の方が先にスイッチが入って、毎度のセリフを言い、そのセリフによってやっと私のスイッチも入り、そうだ。母からいつもこのセリフを聞かされる私だった、そういう自分にビックリして、「へーっ」とやるのかもしれません。ああ、どっちもどっちですね。



 神社から、母の最初のアパートだった建物を確認し、今年は、IKEAを見に行こうと、ずっと先に見えるスカンジナビアン・ブルーの建物をめざしました。

 わりとすぐに着いてしまって、折角ここまで来たのだから、港を見てみようと、クレーン船やら、港区と住之江区を結ぶ港大橋をながめ、去年は新千歳橋を寒いのに歩いたけれど、今年は穏やかだから、きっと渡し船も動いているんじゃないのと、新千歳の渡船乗り場まで歩いてみました。



 すると、今年も運航中止と書いてありました。去年も今年も、波が荒いとかそういうんじゃなくて、元日だからお休みだったようです。そういえば年中無休と書いてあるIKEAさんだって、1月1日は休日と書いてありましたっけ……。

 そうでした。元日の町を歩いていたのです。


 こういうのをサルベージ船というんだと思います。そうでした。小学校の窓から、こんな大きなクレーンが移動しているのを見たことがあるような気がします。もう40年以上も前のことです。視界をゆっくり行き過ぎるので、なんなんだろうなあと見ていた、ような気がします。


 これは港に設置してあるクレーンです。元日の港で静かに休憩していた。


 これは先日に貼り付けた戦艦の艦橋のような、クレーン船です。

 クレーン3つ、貼り付けたから、もう寝ることにします。3連休の初日もたいしたことをせずに終わってしまいました。

★ あれから1年、とうとう稀勢の里は横綱になるそうです。今日はもらい泣きしました。でも、プレッシャーに弱い彼なのに、今場所は不戦勝があったり、本当にラッキーでした。ぜひ春場所は実力でぶっちぎってほしいなあ。(2017.1.22)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。