素敵な関係って、どんなの? 久しぶりに兼好さんに聞いてみます。そういう関係を作れていますかねえ。
さしたることなくて人のがり行くは、よからぬことなり。用ありて行きたりとも、そのこと果てなば、とく帰るべし。久しくゐたる、いとむつかし。
これという用事もなくて人のもとへ行くのは、よくないことである。たとえ用事があって行ったとしても、その用事がすんだならば、早く帰るのがよい。いつまでも長居をするのは、本当に迷惑である。
「さしたることなくて」という章段です。あまり用事もないのにノコノコ行くというのは良くないことである。適度な距離は大切だから、相手との距離を詰めないというのは、私たちが生きていく上での常識です。
人との関係って、いろいろですもんね。できれば離れて、気配だけを感じていられたら、それでいい、ということになりますか。
人と向かひたれば、( a )多く、身もくたびれ、心もしづかならず、よろづのことさはりて時を移す。
空欄を設定してしまいました。空欄には何が入るでしょう。私には思い当たる節がありました。でも、私はそういう義務感からも脱落して、ちゃんと人との関係の基本的なことを行ってこなかったのではないか、と反省します。
現代語訳としては、
人と向き合っていると、しゃべる(a)も多くなり、体もくたびれて来るし、心も穏やかではなくなり、いろんなことに問題が起こってきて、どんどん時間を浪費してしまう。
ということになるでしょうか。何が多くなりますか? いや、そもそも人と一緒にいるということは、どういう状態になりますか?
無言でいるわけにはいかない、気まずいですよね。何かしゃべらなくてはならないんです。
とにかく無意味に時間は過ごしたくない。あれ、無意味に過ごしたらいけないんでしたっけ? 無意味にボンヤリ過ごすのなんて、最高の楽しみではなかったっけ? まあ、一般的には無駄に過ごしてはいけないとは言われていますね。
(無駄だと感じている時間を共にするというのは)互ひのため益なし。いとはしげに言はんもわろし。心づきなきことあらんをりは、なかなかそのよしをも言ひてん。
それはお互いにとってつまらないことである。だからといって面倒くさそうに話すのもよくない。気が向かないようであれば、逆にそのことを正直に相手に話すのがよいのではないだろうか。
正直に相手に伝える、これは大事なことでした。それが言えないのであれば、「トイレに行ってきます」とか、「体調が悪くて、少し抜けさせてもらいます」とか、「もう、眠くてたまりません。もうダメです。少し仮眠させてください」とか、とにかくSOSを出さなくちゃいけない。
でも、これは簡単なことではなくて、勇気が要ります。若い時は、つい我慢してしまうんです。トイレに行きたくなくても、トイレに行かなくちゃ!
(途中は省略して)そのこととなきに人の来たりて、のどかに物語して帰りぬる、いとよし。〈170段〉
これといった用事もないのにだれかが訪ねてきてくれて、のんびりと話をして帰ってゆくのは、たいへんよいことだ。
あれ、何かおかしい。矛盾すると思ってしまいます。でも、ちゃんと理由はありそうです。
これといった用事もないのにだれかが訪ねてきてくれて、のんびりと話をして帰ってゆくのは、たいへんよいことだ。
あれ、何かおかしい。矛盾すると思ってしまいます。でも、ちゃんと理由はありそうです。
「のどかに物語」できる人が来るのはいいみたいなんです。おしゃべりで気苦労するのはダメ。でも、気がねなく、自然に、そんなにベラベラじゃなく、おしゃべりできたら、それはそれでいい、ということでした。
「さしたることなくて行く」と「そのこととなきに来」るとの違いは、「行く」と「来る」の立場のちがいだけでしょうか?
客として他家へ行くのは難しいものですが、おそらく用事だけの事務的な関係と、心がつながっている関係という、質のちがいを言っているんですね。ちがうかな?
人様のお宅へノコノコ出かけるのは、本来は避けるべきだし、それはこちらに何か魂胆があるわけです。用事があるなら、相手から来るべきである。でも、家でリラックスしてしゃべれる関係って、なかなかないですね。そういう空間が持てたら、それはなかなか素晴らしいです。
★ aの空欄は「ことば」でした!