かつおパックなんて、昔はありませんでした。かつおぶしは、なかなか食べられないけれど、実はすぐそこにあって、食べさせてもらう時には、母の指示があって、それならばと父がカンナを取り出してきて、しこしこと削らないと食べられないものでした。
今は、一回分ずつパックにされていて、乾燥も防いでいるし、風味もそのまま残されているし、とてもありがたいのになりました。でも、もし許されるなら、削りたての鰹節をつまみ食いさせてもらいたい。そんなこと、とても贅沢なことになりました(そういえば、同級生でかつおぶしの会社にお勤めだった人もいました。それも人生、おかげで彼はかつおぶし関連の転勤をして来たみたいでした。かつおぶしで、ゆかりの地を移動していくって、何だか面白いです)。
削りたてのかつおぶしをパラリとゴハンにかけて、しょうゆをサッとかけたら、それで御馳走でした。
うちの家はかつおぶしにものすごく信頼感があって、ゴハンのお供として利用させてもらっていました。味噌汁のダシと具の両方のはたらきで入ってたり、冷えたゴハンに鹿児島の麦みそとかつおぶし、それに熱いお茶をかけてお茶漬け、これも朝のゴハンとして何度も何度も食べました。大人になっても食べたりしてました。カゴシマ茶漬けと妻は呼び、「そんなのカゴシマだけだ」と小バカにしますが、何といわれようと、小さい頃に食べた味なので、そこに帰って行ったりするんでしょう。
父はいろんなことが上手な人でした。器用な人だったんですね。大工仕事も得意で、道具もたくさん持っていたし、いろんなものを作ることができました。今もうちにある本棚で、父の作品は二つくらいありますし、ちゃんとニスまで塗って黒光りしている本棚もあります。
こんな本棚、もう何十年もうちの中にしまわれてるけど、いつかどこかに出て行く時あるんだろうか。あまり、そんなの考えないけど、捨てられてしまう時もあるんでしょうね。とにかく、父の作品が今もあって、今も私は使わせてもらっているということですね……。
だから、かつおぶしも、父は細く長く削ってくれたんです。料理としてはあまり長すぎるのも邪魔で、適度な長さが要求されたと思います。でも、父のまわりで私と弟が、「ホラ、食べてみい」と言ってくれるのを待っているので、父としては子どもたちが喜ぶ長ーいかつおぶしを作ってあげなきゃいけなかったみたいです。
そして、ある程度削ったら、母に「もうええやろ」と合図をするし、子どもたちにも少しは食べさせてあげるし、最後の方のもう限界というところまで来ていた鰹節なら、歯の強い父はカリカリと食べてしまっただろうし、不思議なかつおぶしタイムはやがて終わるのでした。
削られたかつおぶしは赤く、しっとりしていて、どうしてあの硬い鰹節がこんなにしっとりしているのか、それはわからなかったけれど、父だけが作ることのできる不思議な食べ物であったのでした。
たくさん削ったら、何かに入れてとってあったものがあっただろうけど、もちろん、私はオヤツにして、コソコソゴキブリのように食べていました。それは無類のおいしさで、ゴキブリ息子になれてたのは、小学校までだったかなあ。それからあとに、かつおぶしパックなるものが世の中に出回って、こっそり食べる楽しみは奪われていったのかもしれません。