先日、大阪城の東北側、お城と京橋のターミナル地区の中間にあるビジネス街、そこのツインビル(パナソニックさんの建物?)の1階で年に一回だけ開かれる古本市に参加しました。
もちろん、目標はありますが、そんなのないのがあたりまえで、目標はあってなきがごとく、何が欲しいのかわからないままに、本たちの中へ突進します。
私は、残念ながら、単行本はほとんど見ません。というのか、本を読むということは、寝転がって読むことであり、単行本は寝転がって読めないので、私の本としては除外されてしまいます。
というわけで、文庫と新書と、何か目に飛び込んでくる本を探します。
そして、見つけた本は、
・堀尾青史(ほりおせいし)「年譜 宮沢賢治伝」(中公文庫 1991)単行本は1966年に出ているそうですが、文庫本は91年が初めて見たいです。
・秋月龍珉(あきづきりょうみん)「白隠禅師」(河出文庫 2103)最初は1985年に講談社より出たものらしいです。
賢治さんのファンとしては、何かの役に立つと思い買ったんでしょうね。すべてを読み切る必要はなさそうで、466ページのところどころを拾い読みしようと思っています。これは使い道がある(かもしれない)。白隠禅師は、ほんの少ししか興味はないので、サッと読めたらいいのだけれど、どうなることか……。
・高倉健「旅の途中で」(新潮文庫 2006初版→2014の5刷版)2003年に単行本が出て、翌年に文庫化され、2014.11.10に高倉健さんが亡くなられてから、その12月に第5刷として出たようです。
・横井清「史話 中世を生きた人びと」(福武文庫 1991)
1991年といえば、ついこの間のような気もしますが、実はそうではないのですね。東西ドイツが一つになり、ソビエト連邦が崩壊し、ロシアとなった。エリツィンさんが大統領として活躍してたのです。とても昔なのです。だから、福武文庫も存在していた。今ならベネッセさんが文庫本を出すなんて、とても考えられないではないですか。ひと時代昔でした。
そんな昔に出た本を、今さらながら買いました。中世は私のテーマでもあり、最近少しだけ世の中も中世ブームでしょ。便乗しようとする歴史商売人たちには嫌気がさすけれど、中世が見直されるのはいいことです。
そうすると、三重県がクローズアップされるでしょ。三重県は古代だけが目玉なんじゃなくて、奈良時代は聖武天皇がやってきたり、平安は在原業平だったり、都のおこぼれみたいなあつかいだけど、中世は独自の進化で、独自の世界がありました。現在はただの砂浜の津は、大きな港として中世世界では重要な位置を占めていました。
海だけではなくて、山深いところでは、北畠さんところがずっと頑張って、後に信長さんと対抗したりするくらい、進化していたんです。
そうでした。奈良時代ころに、東大寺並みの大きなお寺もあったと想像される屋根のしび(お城のシャチホコみたいなもの)も発見されてたりするんですが、記録がなくて、だれもそんなのは信じないですし、私たちはあやふやな世界の中で、自分の立つ位置を確かめないで生きているなあと思ったりします。
そして、健さんのエッセイ集は、チラッと読んだだけで、話しかけてくれているようで、ありがたい本だなと思いました。
以上4冊を買いました。
あと、CDを300円だから、ポイッと買いました。
・ケテルビーの楽しい世界/ペルシャの市場にて ロバート・シャープレス指揮ロンドン新交響楽団 1958年ころの録音
あまりに古くて、録音日もわからないくらいらしいけれど、聞いた感じでは特に支障はありません。私は、ケテルビーの作品集はLPを持っているのに、ついつい安さにつられて買ってしまったんですね。アホですね。
でも、とりあえず楽しみたいと思います。
そして、今はインフルBの療養中です。病人にやさしいケテルビーです。ついこの間までとても優しかった奥さんは、自分がしんどくなってしまって少しナーバスになっています。彼女にも申し訳ないことをしました。どうして私は家に波風をもたらすのか……。
だから、しばらく隔離されていようと思います。誰ともかかわらないで、過ごします。